第4話 地底3マイル
偶然と言うべきか当然、いや、必然と言うべきか背中を下にして深い水の中に落ちた。急変し続ける事象に混乱していたが冷水が否応なしに冷静にさせた。
「無事の様で何よりです。匍匐生物は諦めて逃げ帰ったようですね。私に何か出来る仕事はありますか?」
飛鳥を掴んでプールから顔だけ出した。
「はあ、主人公補正かぁ」
「主人公だったんですか?知りませんでした」
「黙れ。周辺の索敵をしろ」
了解しましたとの声を聞き終えると私は得意とまでは言えない泳ぎで近くの岩場まで彼の手を掴み引き揚げた。
「大丈夫かい?」
彼は幾らか水を吸い込んだらしく、四つん這いになって咳き込んでいた。
「大丈夫、大丈夫だ」
私は耳を疑った。その声は先程までの聞き取りにくいノイズの入った音ではなくなっていたからだ。高校生ぐらいの若くて優しい音だった。
「綺麗な声」
「そうなのか?」
「そうだよ、誇っていいよ。こんないい声の人間はそうそういないさ」
すると飛鳥は少し顎を引いて考えるような仕草をした。
「人間、か。ではあかはが余に質問したように余からも質問をしてもいいだろうか?」
頷いて見せた。飛鳥の眼は今までにない眼差しを送っていた。
「余が本当に人間に見えるのか?」
「ああ、間違いない。君は人間と呼ぶにふさわしい、身体と知能を持つ偉大な生物だ」
現在の人間は猿から進化したとの誰でも知っている事実がある。およそ600万年前にチンパンジー亜属と人類の祖先に当たるサヘラントロプス属に別れた時の事だ。この話の悲観すべきはチンパンジーが文明を獲得出来なかった事にあり、その理由を掘り下げると言語を持たなかったことが大きいと言えるだろう。飛鳥は素晴らしき人類のこの発明を使いこなすことが出来ている。身体のつくりが少しばかり違う物がそれ程重要ではない事など今の人間社会でも言える事だ。もうその件で悩む事はないと伝えた。彼は私が話終えた直後に迷わず感謝の言葉を口に出してくれたのはこの上なく嬉しい限りだった。
これで悩みを解決した事になるのだろうか。目を合わせてくれない理由がもし本能的なものではなく先程の様なセンシティブな問題が他にあるのかもしれない。しかし私にはこれ以上何かできる気はしなかった。
服を絞って水分を落とすと、水の落ちる音が辺り一面に鳴り響く。プールと判断して落ちてきたが貯水池のようだ。コンクリート製で鉄板で仕切られた水槽は透き通る水が溢れ出していた。見上げると映る岩の天井を青天井に置き換えれば四角い空の見慣れた街で周りにはやはり水晶があって、明るさに困らない。それなのに水槽の底は真っ暗で何も見えない。ふとニーチェの言葉が思い浮かぶ。……何だっけ。
「すまない、ニーチェの暗闇に関する言葉って何か知らないかい?」
「深淵をのぞく時……って言葉だな、生憎、余も覚えていない」
その深淵から溢れる水は更に低い土地に流れている。そう言えば台風で水が上がると聞いた様な気がするがここの水だろうか。
そんな事を考えているとアユから通信が来た。随分早口になっていたのだが、どうやら通信が切れていたのともう一つの理由があった。
「対馬様の周辺にもう一人、生体反応を認識。確認願えますか?」
誰がいるのか視認しなければならない。離れた所で深淵を覗いていた飛鳥に知らせる。
「なぁ、飛鳥。この近くに誰かいるってよ」
すると飛鳥はすぐ近くのゴキブリに気が付いたように身震いしてから辺りを舐める様に見た。その反応は期待した結果より面白く可愛く見えた。
「笑わないでくれ。あかは、あそこの水晶の裏だ。あそこから視線を感じる」
濡れていて使えるかは知識の範疇を外れるが指摘された方へ銃を両手で構えて向けた。意外とその水晶は近くにあった。
「言葉が通じるなら、両手を挙げながらゆっくり全身が見える所に移動しろ」
瓦礫の奥から手袋をした人の両手が出てきた。それは言葉通りに私の目の前に出てきて手を挙げたままその場で正座した。それは銃で武装した小柄な人間であった。黒いシャツに迷彩柄のカーゴパンツ、鉄製のゴーグルとマスク、白髪混じりのショートボブ。足には銃のマガジンと拳銃、背には二丁のライフル銃が黒く光る。
「あんた、上の警備兵か?」
幾ら相手が無防備とはいえ、その武装から銃を降ろすことは出来なかった。
「ええ、その通りです。匍匐生物討伐の為に下りて来ました」
聞き慣れないボイスロイドの声を出した。太い男性の声だが聞き取りやすく趣がある。
敵対心は無いと判断して銃を下ろすと突然その兵士は飛びかかり「わっ」と大声を出した。たまらず尻餅をまたつき銃は手から落とすと兵士は頭の装備を取り外した。
「実は仲間が近くにいましてね。着替えたんですよ」
「やめてくれよ、そういうの。銃で撃ったらどうするつもりなんだよ」
「セーフティが掛かったままだぜルーキー」
「嘘だあ。ホントだ」
正体を現した石動曰く、例によってあのトカゲは死亡したがその後に合流した仲間により別のトカゲが発見されたらしく見晴らしの良いここから射撃戦を行うつもりだったらしい。見ると、水晶の脇にバイポッドの立ったライフルが見える。
銃をホルスターにしまうと、彼女が私の物が濡れているからと言ってライフル銃をくれた。私の拳銃と同じくフルオートも撃てるようだ。礼を言うと「使わない方が望ましいですがね」と苦笑いをされた。
「で、あなたはどこかで会いましたっけ?」
飛鳥にもくれたがそちらはモダンな拳銃だった。
「俺の目標である古の種族の痕跡に近づく為の手掛かりになるかも知れない人なんだ。ここで住んでいるそうだよ」
「黒須、飛鳥。この男の助手をしています」
「私は石動海月。NT社からの依頼で匍匐生物の狩猟をしています」
彼女は彼にも名刺を差し出した。
「頂戴、いたします。いするぎくらげさんですね。よろしくお願いいたします」
私を仰天させたいのか研修用ビデオの手本の様な行動をとった。心なしか石動も目を丸くしている気がした。
哨戒中の仲間に通信をする為に彼女が離れたのを見届けると、こちらにはアユからの通信だ。
「彼女、何を考えてるのか分かりませんね」
「言えないだろう」
「まあ、それよりも先程の黒須様の対応は凄まじいですね。我が社には育ちが良くない社員もいますので見習いたいものです。それはそうと、匍匐生物を二匹確認しました。それぞれ容姿が異なりますので画像を転送します」
数十枚の画像が一気に目の前に広がる。嫌がらせにしか見えないので文句を言うと間もなく三次元モデルが出てきた。片方は尖った三角形の頭部を持ち、後脚が発達しているせいでカエルを連想させる姿。さっきの奴だ。もう一方はとても独自の形状だ。比較的長い足のお陰で馬の様なシルエットでなおかつ背後に折り畳まれた翼が垣間見える。何よりの特徴は頭部で大型の機械が頭頂部から背まで生える様に並び、頭部の機械は大きすぎる為眼球が隠れてしまっているのだ。
「この機械はアユに似ているね。何か関係があるのか?」
「話すと長くなります」
ただの感だが、聞いて欲しくない事項に感じる。
用事が済んだ石動が先頭となり、大穴を目指した。お仲間は既に帰還していいるらしいので直ぐに出発する。もっと滞在してもいいが流石に危険すぎるし食料が不足していた。移動中はアユからの連絡は無かった。色々と情報を引き出しておきたいものの彩乃は沈黙を貫き独り言が許されぬ様に思えた。
大穴の入口は開かれたままだった。それが見えた時、石動が吐き捨てる様に「ここで待っていてください」と言ってライフル銃を構えて入って行った。
トカゲと戦闘を始めると予想したがしばらく待っても銃声はしない。
「もう大丈夫かい?」
入口から声を掛けると中から海月の声が返る。
「問題ありません。足元にお気を付けください」
入口から入ってを真っ直ぐ行くと直ぐ穴に繋がる。来た時も見た景色だが少しばかり異臭がした。飛鳥は頭上の円柱壁面を見ていたが注意がそこに行っていたためか躓いた。異臭について聞こうとしたがそこに答えがあった。
それは、トカゲの死体だった。地面の岩石と同じ体色だった為に気づかなかったのだ。さっきの画像でいうところのカエルの様なやつでうつ伏せになっている。尖った三角形の頭部に幾つもの穴が空いていて警備員の腕が知れる。床には血溜まりがいたるとこらにあるが目で追うと無惨な姿の人間が目に入る。
飛鳥が倒れた人を見て硬直していた。近づいて見ても単に死亡を確認したのに過ぎなかった。死体を見たのは初めてだろうが私は恐怖というより期待を感じていた。この先何かが起こるかもしれないという期待が恐怖を押し除けていたのだ。病的と言われるかもしれないが元来、私は卒業式で涙を見せない薄情者なのだ。
奥の部屋に学者達が隠れていると石動が言うので黒須の手を引きついて行った。
「離れて」
その時だ。死んだと思われた匍匐生物が突然動き出したのだ。石動の声が無ければその時死んでいただろう。
飛鳥と飛び上がって逃げ出した。基地の壁面の扉を開けて来る時も来た部屋に転がり込む。部屋の隅に可哀想な研究者が隠れていた。扉の向こうを振り返って見ると暴れ回る匍匐生物と果敢に対峙する石動の姿があった。我武者羅に噛み付こうとする匍匐生物は体長10mぐらいある巨体だが彩乃は的確に顔面に弾丸を走りながら撃ち込んで行く。
「援護した方がいいのではないか?」
飛鳥の提案に乗り、二人でほぼ同時に撃った。すると匍匐生物はこちらに突然向き直る。瞬時に石動も察したようでこちらに走ってきた。間も無く匍匐生物も聞こえるほどの呼吸をしてから突進してきた。明らかに扉から入れる大きさの顔ではないが追突されたらひとたまりもない。
「撃てッ」
彩乃の声が飛んできた。その声に反射してライフルをフルオートモードにして撃った。先程のようにはいかない為に壁に背をつけ引き金を思い切り引いた。
どこに当たったのか分からないが匍匐生物は甲高い悲鳴を上げた。その時、彩乃が背中で地面を滑りながら扉の前に来ると何か投げてそのまま仰向けに倒れ込んだ。
「伏せろ」
『撃て』は反応出来たが『伏せ』は考えられなかった為にしゃがんでしまった。となりの飛鳥も同じ姿勢だった。
瞬間、破裂音と共に匍匐生物が咳き込むとまた彩乃が何かを投げた。爆発音とともに匍匐生物の口が破裂したようだった。辺りに血液や皮膚などが飛んできた。牙も飛んだが伏せていたお陰で助かった。
倒れた匍匐生物はまだ息をしていた。しかし、顔は前述の通り半壊しており、何故死なないのかが不思議だった。
「いい仕事しましたね。ありがとうございました」
すっかり砂を被った海月が起き上がりつつ礼を言う。
「ああ、お互い良く頑張った」
直後、自分の発言を後悔した。私は守られたのだ。余計な事をした冷静さを失った私が悪い。今、謝れない自分が憎い。それでも彩乃はその言葉に反応しないでくれた。
彼女は匍匐生物の脇に立つとナイフを取り出してヤツの首に突き刺した。引き抜くと血液が流れ出し、広がる血溜まりから逃げるようにそこから引いていく。
「二人とも怪我は無いみたいですね」
「全員無傷だ」
「おつかれ」と笑いながら海月がハイタッチを強要してくる。その笑顔はとても綺麗だった。要求に応えると「出てきて良いですよ」と彩乃が声を張り上げる。するとさっきの研究者を筆頭に何人か広場に出てきた。
「警備員はいないんですか?もっといたと思うけど」
石動が倒れた警備員に聞くと誰かが「食われた」と言った。
その時、地震が起きた。ほんの小さな揺れだ。しかしその振動は等間隔で大きくなっていく。すると揺れと共に砂埃が開けていた出入り口から入り、付近の匍匐生物の死骸が引っ張られていく。
石動駆け出して追いかけ、私を含む研究者達やらの烏合の衆も後を追った。
鉄扉の向こう、鉄橋のそこに現れたのはグリフォンの様なキメラとも言える生物だった。20メートルはありそうな巨体で、先程の匍匐生物を前脚で掴み、喰らおうとしている。
「そいつを返してください」
彩乃が叫ぶと、巨大生物は加えたままこちらに近づく。
「何に使うのか」
テレパシーだ。こいつ脳に直接語りかけている。
「研究対象でもあり、私の金なんです」
言っちゃうのかよ。
「…それは申し訳ない。深く詫びる」
考える様に一呼吸するとデカブツは匍匐生物の死骸を投げ捨てた。
「へ、良いんですか」
彩乃は面食らい、後退りするが顔は依然として相手を睨みつけている。
「エネルギーは大量に取れるが必須ではないからな」
そして、突風を起こしながら飛び去っていく。黒光りする身体は生物というよりか意志を持った自然と言いたくなる。
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