第3話 アウターマン
アユの道案内に従い歩いている。見る景色に被さる地理情報とカーナビのようなルートガイドが説明を受けたにも関わらず近未来を感じさせた。ターゲットは現在、静止しているとの事で急ぐ必要はないらしいが足早になる自分には気付いていた。案内される事4、5分で着いたのは最下層から5階、壁がガラス張りの吹き抜けでロンドンの時計塔みたいな建物が良く見える広間だった。
そこには人型生物がベンチに腰掛けていた。ボロボロのサリーの様な茶色い一枚布を着込み、紺色のズボンに丈夫そうなブーツを履いている。肌は筋肉組織が薄く見えており顎からは皮膚が溶けたようにうすくぶら下がる。その容姿はかつてエジプトで見たミイラを彷彿させる。幸いにも目が閉じられ私の動揺を静める時間が取れた。
「すまん、あの…」
その声を掛けた瞬間に目が薄く開けられた。
「あんたがここの住人?」
人の見た目はしていない。言葉もわからないのかもしれない。しかし彼(彼女かもしれない)に頼るしかない。私が言葉を掛けてしばらくすると目が完全に覚めたのか私と目が合うとその身体が飛び跳ねた。驚いたのだろう。
「き、こう、は」
酷く低く掠れた声を出した。
「言葉が分かるのか。良かった。俺の名前は対馬明衣。学者だ」
「はかせ、か」
「博士……になれるかも知れないね」
「よわ、名前は、知らないが、言うなればアウトサイダー」
『よわ』は『余は』か。なかなか不思議な言葉を扱う物だ。
「あんたはアウトサイダーなんかじゃない。少なくとも霊長目ヒト上科に値する特徴を保持していると思うぞ」
彼の見た目はともかく今の発言は紛れも無い本心だ。
「怖く、ない、か」
「怖がる要素なんてない」
少し落ち着いてから幾つか質問をしてみると、途中考え込む事はあっても出来るだけ応えてくれた。彼は自分の事を男だと思っており、子供の記憶は無い。今まで住んでいた城の生活に飽きて地下世界を徘徊しているらしい。その城は無人で内部に存在する図書館にいたらしいが訳あって帰れないとのことだ。帰還予定時刻までは何時間かある為、付き合ってあげる事にした。
「で、では、行こう」
彼は猫背で大股ではあるものの直立二足歩行を行い、何かに引き寄せられる様に意外と長い手足を同時に動かした。
「ど、どこから来たんだ」
こちらを見ずに聞いてきた。
「八王子から。あんたは?」
「あ、今、行く所」
「そっか、ごめん」
私は洞察出来なかった事を詫びたつもりだったが、本人には理解出来なかったらしく。目を細めた。
「学校行ってない感じですね。そこら辺、直接聞いてみたらどうです」
アユが突然話しかけてきた。文句を言いたいがそうすると一人で勝手に喋っている変人に成りかねない。また首を傾げられる気がして無視した。彼にまた問いを投げかけると確かに学校には行っていない。城に住んでいていまは図書館が住家。不思議な人だ。
彼は恐らく下に続くであろう落とし戸の隣でうずくまった。
「これを、開けてくれないか」
相変わらず聞き取りにくい声でそう言う。縁の小さな出っ張りを引いて戸を上げると梯子が出てきた。
「頼んでしまい…申し訳ない」
「そこは感謝を言うべきだぜ」
「…感謝する。ありがとう」
そう言うと穴に頭から入っていく。
「あ、そうやって降りるんだ」
完全に姿が見えなくなった所で言葉を吐いた。
「今の感謝は心から言ったのかな?」
すると頭の中に直接声が反響する。
「『感謝』の言葉を言ったまでですね。憶測ですが『中国語の部屋』でしょうか」
理想の返事が来た。中国語の分からない人を部屋に閉じ込め、中国語の辞書を渡す。そして中国語で脱出の仕方の書かれた紙を渡して訳させる。当然この人は脱出出来るだろう。しかし中国語を理解しただろうか?この問題は大昔のジョン・サールという哲学者が出した思考実験だ。彼はこの問題で意識について説いた。ちなみに彼が言うには中国語をこの人は理解していないらしい。
「あの方は元人間とかじゃなくて本当に単なる化け物なのかも知れません。人間の真似をしているだけであの声も、彼にとっては鳴き声なのかも」
オウムだってそうだ。一理ある。
「でも理解の定義は曖昧だし、日本人のだいたいはなんとなくでアメリカの奴らと会話してるだろう」
これはアユに対する皮肉だ。
「肯定します」
と言われて締め括られる。全く。自分から疑問を呈して置いて相手を虐めている様でならない。あゝ、こう言う事がよくあって自分が好きになれない。
梯子の下はもっと下る階段になっていてその先には巨大な図書館の様になっていた。古めかしい本がびっしりと陳列し、机と椅子が幾つかある。謎の光を放つ赤い水晶が電球の様に壁や天井に散りばめられ、読書をするのに支障をきたさない程度の光度が保たれている。一瞥すると日本語の本しか見当たらないが様々なジャンルが一堂に会する。
「ここの本は…流石に無いか」
遺跡に関する書物は見当たらなかった。しかし、本自体は新しいものがあるようで、私が偶然手に取った小説本は2000年発行だった(これ以上新しい日付けの本は無い)。
さて、さっきの生物に目を向けると忙しなく麻袋に本を詰めていた。覗いてみると私には一切縁のない科学系のものや礼儀作法についての本ばかりだ。
「勉強熱心なんだね」
「うう、知りたい事は、まだ、たくさん、ある。決して、怠惰では、ない」
今更のような気がするが彼がどうやって言語を習得したのか気になるので質問すると、幼少期に誰かから話し方、本の読み方を教わったとの事だ。
「用は、済んだ。貴公の、要件を問おう」
「俺は偉大なる種族の研究をしている。そこで何か手掛かりになるものが欲しいんだ」
彼は天井を見て暫くしてから言葉を発した。
「悪いが、何も知らない。何者だ。その、種族とは」
そうだった、偉大なる種族とは知るものも少数で尚且つ都市伝説レベルの会話でしか使われない表現だ。
「彼らは十億年くらい前にこの地球にやってきた生物なんだ。時間旅行が出来るとされていてそれ故に偉大なる種族なんて呼ばれているんだ」
「似たような、生物を聞いた事が無い。時間旅行が、出来るのか?貴公の、世界では」
現在の人類は未だその域に到達していない事を伝えた。それ以上は自分で考えると言って黙り込んでしまったので私は外に出ようとした。
来た道を戻るとさっきの梯子の裏に扉があった。梯子が出入口などおかしいと今更ながら思っていたので尋ねると鍵が掛かっているのだと言う。ドアノブを捻ると確かに鍵が掛かっているようでビクともしない。
梯子を登りきった時に私は不意に名前を聞いた。『アウトサイダー』と名乗ったものの、そう呼ぶ事に抵抗があったからだ。初めはアウトサイダーでいいと彼は言ったがやがて俯きつつ応えた。
「黒須飛鳥。黒い須く(すべからく)に、飛鳥時代の、飛鳥」
「ありがとう、教えてくれて。では飛鳥と呼んでもいいかい?」
「う、うう。好きなように、してくれ。でも、済まない。いつ、誰から聞いたのかは、思い出せない。だから、正確な名前では、ないのかもしれないのだ」
「やめてよ、済まないなんて。申し訳ない気持ちを伝えるのは結構だがもうこちらは何もかも受け入れるつもりなんだ。飛鳥には今の感謝を受け入れて欲しかったな。感謝こそ人間の持つ最大の美だからね」
「美、か。何が、素晴らしいと考える」
「感情。と言った所かな。人間しか持たない素晴らしい特性だと思う。ま、あくまで個人の考えだよ」
最後の言葉はバックドアだ。我ながら卑怯であったと後悔している。
「職業は、学者と言ったな。何を研究している」
さっき話した調査目的を忘れてしまったのだろうか。それとも学者という職業と結びつけられなかったか。どちらにせよ私は親切なので丁寧に教える。
「歴史だね。興味を惹く時と場所の研究だよ。今は勿論ここに興味がある」
そう、『今は』だ。昨年まではまた第二次世界大戦の史跡を回っていた。本格的に現在の研究に取り組むようになったのはここの存在を知ってからの事だ。
「改めて、要件を問おう。出来る限り、尽くすつもりだ」
何か凄い事をしたつもりは無いのに何故こう言うのかわからない。ただ、言わないのは失礼だろう。
「調査を手伝って欲しい。見捨てるかもしれないけど二人の方が心強い」
ああ、石動を見捨てた事を認める発言だな。酷い事をした。
「了解」
今まで掠れ気味の声だったのが一瞬はっきりとしたものになった。
石動を見捨て、決意を新たにした私達はまた軍需工場跡に向かって歩き出した。すると遠くの建物に四人程の人影がある。白、白、白、黒の影が並ぶ。そう言えば警護の物は皆、黒い服を着ているが制服のつもりなんだろうか。手を振って大声で呼ぶとこちらにすぐ気付いて何かを言っている。何だか聞こえにくいが表情から必死な事はわかる。そこでアユから通信が入った。
「匍匐生物です。注意してください」
「やけにスムーズに来たと思ったらこれかよ。そろそろ出ると思ったんだ」
「誰と、話している」
「飛鳥には見えない妖精だよ」
「そうか、わかった」
トカゲは居場所を知っていたかのように目の前に飛び出してくる。そこで眉間目掛けて銃を向けるが黄色い猫目で凝視するだけだ。
「嘘だろ。逃げんじゃねーのかよ」
「逃げるべきは、我々では?」
背中を向けて全力疾走。アユに狭い路地を教えて貰い、私の後から彼が続く。しかし上手く撒けるのはフィクションの世界だけで障害物を置いても無視して突進してくる。上方に逃げて橋の上に来たが希望は無かった。途中で切れていたのだ。
「平敦盛かな。まさか人生でこんな経験するとは思わなかったぜ」
「あかは、よく喋るな。楽しい奴と、会えて嬉しいぞ」
恐ろしい形相で迫り来る匍匐生物に銃口を向けるとすかさず引き金を絞る。しかし銃の無い平和な国の国民だからだろう。私は無様にも射撃の衝撃を吸収出来ず尻餅をつき倒れてしまった。その時彼は直ぐ横にいたが発砲音で驚いてしまい、目を見開いてたっているだけだった。
「俺、死ぬの?」
アユに言ったつもりだが、返事をしたのは飛鳥だった。
「死ぬな。やるべき事が、あるのだろう」
何か無いか辺りを見回すと丁度真下に巨大な池、プールが見える。
「アユ、行けるかい?」
「そのデバイスは防水使用ですのでどうぞご自由に」
期待した答えではないが一か八かだ。
「黒須。飛ぶぞ」
匍匐生物はあと数糎といった所で飛ぶ。というより落ちた。背後に迫る荒々しい吐息に怯えていなければこんなに早い決断は出来なかったろう。
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