第2話 そして彼女はいなくなった
そこからは光り輝く水晶が無数に散らばる古代遺跡。都市と言っても差し支えない。岩石の天井があるものの、ニューヨークの街並みを彷彿させる硝子の入った建物群があるのだ。建物や岩石に苔の様に生える水晶は青白く輝いて余りの明るさに洞窟である事を忘れさせるものだった。
外から見て気付いたのだが、この大穴は巨大な柱の仕事をしていて天井を支えているようだ。まだ下があるらしく建物間の通路は私が立っている床と同じ高さの鉄橋であった。一番近い橋はすぐ手前にあった為に好奇心のままにそこに駆け出して行った。
大きな時計が見える建物に入った。外観はアッバースの神殿を彷彿とさせ現代的とも言える鮮やかなステンドグラスの輝く芸術面に秀でた造形。内部には人間大の水晶が人の通りそうな場所にあり、邪魔で仕方がない。水晶自体が光る為、文字の読み書きに支障ない明るさであった。内装は広さを重視した設計で床は部屋ごとに違うが大抵はコンクリートのようだ。階段は少なく、スロープが上下に行く主な手段となる。これはオーストラリアの遺構にも見受けられる共通点だ。鉄製の壁には文字と思われる模様があり漢字に似たものも確認できる。しかし、汚れで殆ど見えない。鉄は不思議な事に錆びていない。風の影響。としか言えないのだった。
内装は何も無いが部屋の構造からオフィスビルのようにみえる。勿論、何かの文献が転がっている事は無かった。どうやら調査し終わったのかも知れない。
「大穴から近い程何も無いですよ。調査したての頃には既にもぬけの殻だったそうです」
後ろを付いてきた石動少尉に言われた。私のつまらなそうな顔に気付いたようだ。
「原住民が隠したのかな」
「いえ、奴らにそこまでする頭も理由もありませんよ。大穴の学者さんは誰かが来たとしか思えないなんて言っていました」
確かに綺麗過ぎると言い切れるだろう。けれどどうして壁以外何も無い状態に出来るのか。前の主人はとてもプライバシーを大切にするシェイクスピアに違いない。
「奥に行こう」
「了解」
同じ階層に離れたの建物に行くための空中廊下が沢山ある。とくに建物間の廊下が密集する場所では花壇とベンチなどが整備されて公園になっている。廊下を通る時に下を覗くと白い霧が出ていてここが人間の世界では無い事を告げている。
「トカゲって言うのは大穴からの距離で出現率が上がるのかい」
「そうらしいですね。私は1週間ぐらいここで過ごしているんですけ1、2回遠くに見た事があります。でもそれきりですね。数はそれ程いないと思います。生物学のせんせーが『そもそも生存に必要なエネルギーが無いから幻に違いない』なんて現実逃避するぐらいのUMAですから」
「でも念の為が銃火器とはね。あの会社の方がよっぽど怖いよ。使わない事を願っているよ」
「でも、いた方が面白いでしょう」
石動が「ふふっ」と笑い、それを見て私は鼻で笑う。
廊下を伝って幾らか奥に進むと流石に遺物が出て来た。それも大量に。
「驚いた。下町の工場じゃないか」そう思わず呟いた。旋盤が綺麗に整列し奥にはボール盤や研磨機、部品工場であった。年代物の加工機に全身が震え上がる。全て紹介したいものだが時間が惜しいので省略して旋盤のモーターだけ見てみよう。旋盤事態はドイツ製。そして貫禄のあるモーターは2馬力の三菱電機製。刮目すべきはコーションプレートの臨時JESの文字だ。JESとはJIS(日本工業規格)の前身であり1921年に制定された。臨時JESとは戦時下の状況に合わせて作られた物で1939年から1945年まで存在した規格である。慌てん坊のシェイクスピアは重大な忘れ物をしたのだ。
「これは良いものだ」
狂ったように写真を撮ったりして見て回ると謎の振動が身体を伝わっていくのを感じた。気のせいと思ったが一定感覚で発生しているせいで気になってしょうがない。振動は徐々に大きくなっているようで、こちらから出向かわなくても来てくれた。それは熊ではない。到底見間違うことの無い。鋭い頭、長い爪があり、身体は黒い鱗で覆われ四足歩行の爬虫類に似た生物だ。
「来た道を戻って」
石動に言われる間も無く私は一目散に逃げ出すと向こうも狂ったように追いかけてくる。気がした。いや怖くて振り返れないから全然わからない。しばらくして聞こえた銃声に背中を押されて死に物狂いで走る。
「逃げて」
逃げている、何を言いたいんだと思う。しかし、それでも言う状況で考え得る事象の答えは直ぐ浮かんだ。こちらに来たのだ。少し煩い息が聞こえるのに爪が床に当たる音はしない。という事は肉球がついている可能性が高い。一か八かだがガラスの壁の前で闘牛士のように翻弄し、外へ投げ飛ばす事を思い付いた。出来る自信はない。しかし鼻息がだんだん近づいて行く中で何故かその時の私は冷静であった。目の前の木製の床を目印に真横に飛んだ。そして転んでしまった。するとトカゲは爪を床に突き立て、身体を宙に飛ばすと勢いで方向を変えた。丁度起き上がった私と目が合う。凶暴だがしっかりとした自我が存在し生に対しての執着心を感じられた。大きく顎を広げて私を噛み砕こうとするも視界の外から銃声と共に刃物を持った石動がトカゲに飛び掛かる。後から確認した所、刃物は長めのナイフであり目に刺したそうだ。トカゲは唸りはしたが怯む事なく私に向かって来る。背に突き立てた刃物を握り締めた石動がしがみついているものの気絶したように
今の私はまさしく試合時のその状態だった。また壁際に走ると開けた窓の枠に乗り上げ、ギリギリまで来た所で向かいの建物に飛んだ。すると床が体重を支えきれなかったらしくトカゲの床を蹴ろうとしたであろう脚が音を立てて落ちて行く。床が抜けたのは予想外。しかし幸運と言えばそれまでだ。まだ来る事を予想し相手を凝視するもやはり2、3階落ちた後、こちら側の建物の壁面に爪を立ててしがみつく。私が顔を覗かして見下しているのに気付いて勢いよく登ろうとする。
「ここで落ちろ、クソトカゲッーー‼︎」
トカゲの背に乗った石動の銃がけたたましい叫び声を上げて火を吐く。それに堪らないトカゲも叫び出した奈落の底目掛けて落下していった。
想像していたものと違うが無事回避成功と言ったところか。しかし、犠牲が出てしまった。彼女に何の思いも不思議と無い。親族が行方不明者となった時、もう二度と会えないであろうと分かっていても実感する事のないような気持ちだろうかそれとも単に思い入れが無いのだろうか。そう考えながら渡り廊下を幾つか通る。机や棚などが残っていたが紙は見当たらない。言うなれば紙を含めた情報媒体だ。まるで誰かが捜索する事をわかっていて隠したかのようにも思える。
「大丈夫ですか?…近くで大きな音がしましたよね」
突然過ぎた為に飛び上がってしまう程驚いたがしっかりとした足取りで声のする方に歩く。
「誰?」
「よくぞ聞いてくれました。私はAH23-NTP01です。気軽にアユと呼んでください」
近くの机の上のスピーカーから声が聞こえる。ダミーヘッドマイクみたいに気味が悪い程に人が近くで話しているようだ。ともかくこんな深い所に人がいるとは考えにくい。私の足はまた好奇心に動かされた。
「今確認しました。床が落ちていましたね。匍匐生物の仕業でしょう……あなたについてのデータは現在ありません。お互いに未知との遭遇になるのでしょう」
声のするスピーカーは通路の奥へと移動しており、導かれるままに扉を次々と開け進むと広場に来た。5階ぐらいの吹き抜けには巨大な機械が吊るされている。1階の楕円状のステージ中心に設置されているスピーカーが最後のようだ。
「ようこそ、エルドラドへ。お疲れの所心中お察しします」
「姿を見せない奴に何が解るんだい?」
「貴方様の頭上におります。直上です」
見上げると機械の真下に赤く光る物体があった。すぐにカメラだと理解した。
「ここは大穴駐屯基地から北、時計塔の真下になります。かつては陸軍司令部として使われ、我が社の最初の調査が行われた場所でもあります。
私は先程申した通りAH23-NTP01との型式番号を頂いております。AHはArtificial humorの頭文字、西暦2023年のNT社製Prototype01番です。人工知能とは違い、目的を設定せずとも動き、未知の事象への対応も人間並に出来ます」
よく話す機械だ。内容からすると今、考えて話していると言うことだろう。
「そこから降りたら?」
「いやあ、貴方が立っている場所はよく大雨で浸水するのです。なので上から目線なのは仕方ないのですよ。もし気に触るなら謝ります」
どうやら、冷やかしのようだ。紅く光るカメラがモーターの駆動音を響かせる。
「うん、じゃあ謝れ」
「申し訳ございません。現在、解決策を模索中です」
当たり前のように嘘をつかれたが気にしてはいない。取り敢えず必要な情報だけ聞き出しておこう。
「さっき出会った、今のは何?熊か?」
「我々が匍匐生物と呼ぶ原生生物の1種です。説明しましょうか」
原生生物とは一般に動物にも植物にも分類出来ない生物の事だ。アユ曰くこの地下世界の食物連鎖の頂点であり、非常に凶暴な性格から、何度かNT社の方で銃による狩猟が行われているそうだ。その為、私に渡された銃は威嚇用で見せるだけで奴らはたちまち逃げていくと言う。
「彼らは賢いので、銃が殺害する為の道具だと覚えているのですよ」
「モデルガンって事か。これは」
ホルスターから銃を取り出す。黒光りするそれはモーゼル M712。第二次世界大戦の時のドイツ製マシンピストルだ。
「いえ、実銃ですよ。最近製造された物です」
怖くなってホルスターにしまった。
「あなたは何でここに居るんだい?何も出来ないだろう」
「私は調査隊や特別機動隊のサポートの為に丁度真上で組み立てられました。ですが匍匐生物の攻撃により床が抜けてしまいこの通りです。あ、サポートの対象に貴方も含まれていますよ」
持参したヘットギアを装着するよう促され、付けるとアユの声が聞こえた。直接脳内に語りかけているかのようだった。
私の知らないAR技術で空間に映像を映す事もできるらしく、操作方法を確認してからまた調査を続ける事にした。
「さっきのトカゲの場所はわかるかい」
「付近一帯のセンサー等に反応はありません。過去の出現地点を記した地図を送るので参考にしてください」
先に教えられたジェスチャーをすると立体の地図が目の前に現れた。赤く光る斑点が出現地点だろう。便利な時代になったな。
「近くに学者とか来ていないかな」
「学者ではありませんが長年ここに住み続けている者ならいますよ」
私の好奇心はその者に向いた。
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