舞うが如く8話-5「暗転」
「曲者だ!」
屋敷じゅうの灯りが点き、方々から武装した男たちが現れる。彼らが追いかけているのは、屋敷の主、メレンゲ・マシュマロ子爵を狙った刺客達だ。
その中には、女剣士のミズチも混ざっていた。彼女は、親しかった警部の死の謎を追う内に、マシュマロの悪しき企てを知ってしまったのである。
ミズチは一団の
度重なる斬り合いに、刀はとうとう、血と刃こぼれでなまくらと化してしまった。それでも彼女は、味方の脱出を助けるために、刀を振るい続ける。
しかし、彼女の努力も追いつかず、一人、また一人と味方は落伍していく。
それでも逃げ続けて、ようやく正門前に辿り着いた時には、生存者はミズチを含めて、三人となってしまった。
しかも一人は酷い手傷を負っていた。
道場師範のガボ。マシュマロ一派に殺された、警部の兄だ。
「ひどい傷だ。ミズチさん、このままでは」
警部の部下だった男が声を震わせる。
「分かっている。先生を頼む」
そういうと、ミズチは正門へ体を向けた。両開きの門は厚く、更に頑丈な閂が掛かっている。
竜人の彼女なら、飛んで門を飛び越えることはできる。しかし、残る二人を置いて、そのような真似はできない。
ミズチは深く腰を落とし、刀を水平に構えた。
「何をする?」
「破る!」
次の瞬間、ミズチは弾丸となって門へぶつかった。一間遅れて轟音が彼女の後追い、門へ衝突した。
閂は粉みじんに砕け、厚い門扉は左右へ吹き飛ばされた。
彼女の刀は鍔から先がきれいに無くなった。持ち主の両手も、掌の皮がめくれて、血がぼたぼた流れ落ちていた。
「行くぞ!」
全身に酷い激痛を感じながらも、ガボ師範の肩を担ぐ。
三人は頭上を通過する銃弾や、追手の殺気に肝を冷やしながら、マシュマロ邸から逃走した。
…………
消えゆくミズチ達の後ろ姿を眺めていたマシュマロ子爵は、金細工を施した扇子で口元を覆い、上品に笑った。
「あの女子、門を一人で破りおった。いやはや、アッパレじゃ」
白粉を塗りたくった丸顔は、幸喜一色であった。あまりにも場違いな笑顔に、傍に控える手下たちは、戸惑いを隠せない。
「惜しいのお、汚らわしい曲者でなければ、もうちッと遊んでやれたものを」
マシュマロは扇子を叩いて閉じた。すると、先ほどまでの笑顔は消え、冷徹な顔が現れた。
「ネスト」と、凍てつくような低い声で部下を呼ぶ。
「ここに」
暗がりから、偉丈夫の男が現れた。着流しの上に毛皮をまとった、野獣のような男であった。
「殺せ」
それだけ言うと、マシュマロは庭で呻く負傷者達に背を向け、悠然と屋敷の奥へ引っ込んだ。
…………
「……ようやく、撒いたようです」
息を切らしながら、警部の部下は言った。
「うん。ヒトの気配もない。一先ず、難は逃れたようだ」
とは言いつつも、不安の拭えないミズチは、ガボを担いで崩れかけた橋の下へ隠れた。
「いま、助けを呼んできます。上手くいけば、夜警と会えるかも」
そう言うと、警部の部下は夜闇に紛れながら、走り去っていった。
夜もとっぷり更けたからだろうか。灯り一つない河原は、心まで凍るほど寒かった。
風が吹くたびに枯草がすすり泣くように揺れた。身じろぎしながら、息をひそめるミズチ達は、ますます、精神的にも追い詰められていった。
ガボはもがり笛のような荒い息を不規則に吐き、うつろな目でミズチを見上げた。彼の顔は死人のように蒼白で、斬られた胸は、血の色で真っ赤に染まっている。
手遅れだ。彼は永くない。医学の心得のないミズチでも、否応なしに理解できてしまった。しかし、それを認めたくなかった。
「先生。いま、医者を呼びます。もう少しの辛抱ですからね」
と、ミズチは感情を押し殺して言う。
「……馬鹿者。自分の体のことは、良く知っている。オレは……死ぬ」
ガボは息も絶え絶えに言い返す。
「お、弟を殺したのは……あいつら……秘密を……知られて……」
「話さないで、先生。傷に触ります」
「みずち……」
「もうやめて!」
ミズチは目に涙を溜めて叫んだ。
ガボはゆっくりミズチの頬へ手を伸ばしてきた。
「仇をとろうとは……思うな。感情に、流されては……剣が曇る。見失えば、オレのように、なる」
女剣士の涙が頬を伝い、やがて、ガボの指に垂れた。彼女は傷ついた両手で、ガボの手を握った。むき出しになった赤い肉が痛みを訴えてきたが、今のミズチにとっては、あまりにも些細なことであった。
「曇りなき一太刀……それが十刀流の、しん……」
糸が切れたように、ガボの手から力が抜ける。見開かれた目、瞳も光を失った。
「ああ……そんな。嫌だ。いやだあぁぁ……」
ミズチはガボの手を握ったまま、声をあげて泣く。きつ然と振舞う女剣士の仮面が外れた姿は、不安と恐れに潰された幼子同然であった。
それから幾分か時が過ぎた。
泣き疲れたミズチは、亡骸に覆いかぶさるように、うずくまっていた。そんな彼女のもとに、一旦分かれた警部の部下が、よろよろと近づいてきた。
気配を感じ取ったミズチは、顔だけを気だるげにあげた。
「ミ、ズチ、さん。逃げ……」
警部の部下が、パクパクと真っ赤に濡れた口を動かす。彼は続きを言うこともできずに、ばたりと前に倒れた。背中には、紐付きの矢が刺さっていた。
ざわり、と風が草木を揺らす中、追手が骸を踏み越え、月明かりの下に姿をさらした。
マシュマロ一派の刺客、ネスト。彼は腹をすかせた野獣のように、ミズチへぎらつく目を向けた。
「お別れは済んだか?」
不意に、ネストはしゃがれた声で尋ねる。
「次は貴様の番だ」
などと言いながら、打根を死体から抜き、左手に持つ。
一方のミズチは、地面に尾をつけたまま、刀を握った。
握っただけ。そこから先には続かない。切っ先をネストに向けることも、構えようともしなかった。
ネストは足を止め、大きな舌打ちをする。
「半端モノめ」
刺客の声には、激しい嫌悪がにじみ出ていた。
ネストは女剣士に引導を渡すため、一歩前に踏み出た。
まさにその瞬間!
號ッ!
ネストの後ろ首めがけ、刀が振り落とされた。空を切り裂く、力強い斬撃であった。
「ちいッ!」
と、ネストは横へ跳んで奇襲を回避。そして、乱入者へと向き直る。
途端に、獣の目は驚愕によって、大きく見開かれた。
「生きていやがったか、死にぞこない!」
「そちらこそ。反吐が出るくらい、無駄に活きが良い」
乱入者は慇懃かつ失礼な挑発で返す。
「お前……」
ミズチは突如現れた「彼」に驚き、ただただ、唖然とした。
「……シキョウ?」
(つづく)
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