舞うが如く8話-4「暗転」
車太刀を手にしたメレンゲ・マシュマロ子爵は、黒く塗った歯をみせて笑う。
「参るぞ」
大部屋の空気が一瞬で凍てついた。
ミズチは刀の鯉口を切りかけて、寸での所で我に返った。
危機。
己が命を守るため、本人の意思とは関係なく、体が勝手に動いてしまったのか。
我に返ったミズチは、敵の底知れぬ威圧感に身震いした。
マシュマロと対峙するガボもまた、マシュマロが「ただ者ではない」ことを見抜いているようだった。
だからこそ、刀を脇に構えて微動だにしないのである。
「おい、皆の者……」
「うむ」
「分かった」
警部の部下達は。真剣勝負に水を差させないよう、ガボの後方に並んで立ち、身構えた。マシュマロ配下の賊たちは、不用意に手出しできず、ただただ、勝負の行末を見守ることしかできなくなった。
やがて、ガボ師範は腰を低く落とし、刀を水平に構えなおす。
(一瞬だ。勝負は一瞬で決まる)
ミズチの直感が、そのように訴えてきた。
そして、長い沈黙を経た末に、マシュマロ伯の体が、フワリと揺れた。同時に、ガボも動きだす。間合い、踏み込みの速度、体重移動。すべてが理想的であった。ガボの動きは、まさに、一流の剣術家のものであった。
それなのに、畳の上に血しぶきをまき散らしたのは、ガボの方であった。
膝から崩れ落ちるガボ。周囲にいた者たちは、何が起きたのかまるで理解できなかった。覗き見るミズチもまた、事態を把握できず、ただただ、混乱するばかりだった。
(何があった!?)
女剣士は、必死に思い返そうとする。だが、状況は待ってはくれない。
突如、警部の部下の一人が、マシュマロ伯へ突貫。
ひらり。
マシュマロはその場で、踊るように体を回した。すると、警部の部下は、胸から血を噴き、ばたりと倒れてしまった。
(速い!)
ミズチは驚愕した。
「ガボとやら。さてはおぬしの流派、十刀流じゃな。なるほど、どうりで獣臭い太刀筋をしておる訳じゃ」
マシュマロは口元に広い袖をあて、上品に嘲笑する。
ミズチは激怒した。あの邪知暴虐な公家を取り除くには、ここで奇襲をかけるべきだ。女剣士は意を決し、刀に手を掛けた。
その時であった。
「おい女」
背後から低い声が掛かった。同時に、どす黒い殺気がとんできた。
咄嗟にミズチは、鞘ごと刀を腰から抜き、盾にした。
するとどうだ。瞬き一つ終らぬ内に、暗闇から飛んできた「何か」が鞘にぶつかり、粉みじんに砕けてしまった。
衝撃をもろに受けたミズチは、勢いよく天井板をつき破り、下の大部屋に落ちてしまった。
更なる曲者の登場は、敵はおろか、警部の部下達でさえ、狼狽えさせた。
「ミズチ……なぜだ?」
特に驚いたガボは苦悶の表情で、疑問の声をあげた。片膝をつき、胸を真っ赤に濡らす姿は、ミズチにとって、あまりにも痛々しかった。
「ほほう。もう一匹、ネズミが潜んでおった。それも、執政主の客人とは。これは愉快痛快」
マシュマロはコロコロ笑い、雅な動作で、再び刀を構えた。
「どれ、そなたも麻呂の刀の錆となるがよい」
「ふざけろ!」
ミズチは懐に隠した短剣を取り、マシュマロに投げつける。
短剣はマシュマロに届く前に、天井から飛んできた矢と衝突。勢いを殺され、下に落されてしまった。
ミズチは畳に刺さった矢を見る。筈尻に黒紐がついていた。
投てきに特化した「
着流しの上に毛皮の胴着を無造作に羽織った、偉丈夫の男であった。
「女。貴様の相手はオレだ」と、男は低い声で言った。
ざんばら髪の下でギラつく眼は、争いを求める野獣そのもの。しかし、その一方で、相手の出方を注意深く見定めようとする、理性がある。
マシュマロと同等の、おそろしい敵だと、ミズチは判断した。
「ほほほ。でかしたぞ、ネスト」
マシュマロは、着流しの男……ネストを労う。
(なんてヤツらだ)
ミズチは刀を構えた。
ぞくぞくと背筋が凍っているのに、体は限界まで火照っている。
無性に暑くて堪らない。冷ますには、全力で戦う他に、術はないだろう。
強敵を前に、ミズチは我を忘れかけていた。自らが置かれている状況や、目的まで、すべて……。
「ミズチ……」
不意に、彼女を呼ぶ声が聞こえて来た。振り向くと、青ざめた顔をした、ガボ師範の姿があった。
ようやくミズチは、すべき事を思い出した。
「貴様ら。ここから退けッ!」
後ろに控える警部の部下達へ怒鳴る。
二言目は不要だった。生き残った者たちはすぐに包囲網へ突撃。活路を切り拓き始めた。自力で立ち上がったガボも、仲間に肩を抱かれながら、死線を越えようと試みる。
たちまち、大部屋は敵味方の入り乱れる戦場と化した。
「逃がすな!」
マシュマロの命令が下った途端、ネストがミズチめがけて肉薄。刀を腰の鞘に収めたまま、柄を左手で、しかも逆さに握っている。
ミズチは刀を振り落として迎撃。ギラリと光る刃と刃がぶつかりあう。そのままネストは、逆手に持った刀に力をこめ、逆袈裟に切り上げた。
ミズチの体が宙に弾かれた。目を見張る膂力だった。
「ボクが押し負けるなんて!」
竜の尾を振り、上空で姿勢制御。このまま反撃したい、という衝動を、唇を噛んで抑える。
「畜生!」
ミズチはネストを見据えたまま、包囲網の頭上を飛翔して後退。
次の勝利のための、一時の敗北。そう自分に言い聞かせながら。
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