舞うが如く7話-5「暗雲」
翌日。
「……もう一度!」
ミズチの怒鳴り声が道場じゅうに響き渡った。続けて、彼女の傍らに立つ高弟が、「はじめ!」と号令をかけた。
白道着姿の門下生達が、掛け声と共に、木剣を上下左右へ規則正しく振るい始める。彼らは姿のない敵を目の前に思い描き、全身を使って、懸命に剣を振るった。
「遅い! もう一度!」
行燈袴から伸びる竜の尾を木目の床に叩きつけ、女剣士は更に怒鳴る。
それから更に三度ほど、ミズチは「もう一度」と怒鳴っては同じ型をさせた後、小休止をとらせた。
「ガボ師範が喪に服しているからといって、手を抜く輩は許さんぞ。見つけたら、地蔵峠を全力疾走で十往復の刑だ」
「鬼だ」
「悪魔だ」
門下生達は乾いた蛙のように這いつばって呻く。
「泣きごと言うな。ボクがコイツを一千本振り終わるまでに、しっかり体を休めるように!」
と、女剣士は極太の棍棒を片手に言った。彼女には、門下生たちとは別の鍛錬が用意されているのだ。
「……あの棒、男の脚より太く見えるんですが?」
道場を遠巻きに見ていたシキョウがぼやくように言う。
「ミズチ様はアレを軽々と振り回せるのです。一千本など、あっという間に終わってしまう」
彼を案内していた老僕が、笑いながら言った。
「ちなみに、振り終わるまでにかかる時間は?」
「半刻もかかりません」
(それだけ出来たら、あんな馬鹿力にもなるか)
シキョウは、手合わせの折に味わった凄まじい膂力を、しっかり覚えていた。猛牛の突進と喩えても過言ではない。こんなことを直に口にしたら、間違いなく殺されるだろうが……。
ギロリ。突如、ミズチの鋭い視線が、シキョウに向けられた。
「来たな、怠け者。先に客間で待っていてくれ。スグに片づける」
(短時間で片付けたら、稽古にならないと思うが?)
訝るシキョウだったが、口に出さず、素直に客間に向かうのであった。
そして、ミズチは半刻も経たずに客間へやって来た。さすがに、着替える暇はなかったらしい。道着姿で頬を赤くしたまま、彼女はどかっと座布団に座った。
シキョウは供された黒豆茶を脇に置くと、珍しく寂しげに切り出した。
「ガボ先生、今日は来ていないんですね」
「当たり前だ。昨日の今日だぞ。当分の間は、師範代理をたて、ボクらだけで道場を切り盛りする。とにかくあの人には……時間が必要だ」
「あの先生にはね。ですが我々には、一刻の猶予も無いかもしれない」
シキョウは羽織の広い袖から、丸めた紙を取り出し、畳の上に広げ始めた。
ミズチは紙を覗いた途端に眉をひそめた。
「数字と文字だらけだな。見ているだけで頭が痛くなりそう」
とは言いつつも、女剣士は書かれている内容や形式から、紙の正体が帳簿であると見当をつけた。
「警察署から、こっそり借りて来たんです。いやはや、署内は大騒ぎでした。記念式典の警備計画と準備で忙殺されている所に、今回の警部殺しですから」
「……おい役人。貴様も、式典の準備をする側だろう」
ミズチは目を細めて、シキョウをじっとり睨む。
「そうでした。すっかり忘れていた。ま、それよりコッチです、大事なのは」
悪びれもしない所か、シキョウはそのまま話題を進めた。
「この紙は、押収されたゲンソン一味の裏帳簿です。あの男は殺される半年も前から、イカサ市内に武器弾薬、その他物資を運びこんでいた。例のスペンセル銃と弾薬も、積荷の中にありました。警察は、積み荷と買い手の行方を追っているようですが、捜査は難航している様子で」
いつの間にか、シキョウは捜査資料と印字された冊子まで、手に持っていた。次は何が出てくるのか、ミズチは思わず固唾をのんでしまう。
「捜査責任者の名前が、警部になっています。目を通した限り、あの人は市内の八割も調べつくして、成果を得られていません」
「じゃあ、市外に持ち出されたんだろう」
「そうかもしれませんねえ」
シキョウは相槌を打ちながら、捜索範囲を記した地図を見つめた。大勢の警官を動員し、ほぼ全域を調べている。しかし、その中でも捜索されていない区域や施設が、まるで虫食いのように点在していた。
市役所、警察署、郵便局などの施設。
(他にも印がある。これは……)
考えを巡らせていると、徐にミズチが尋ねて来た。
「暗号の首尾はどうだ?」
我に返ったシキョウは面を上げた。
「今日の夜、あらためて情報屋を訪ねてみようと思います。そこで、何かが分かるといいんですが」
ここでミズチは腕を組み、唸り始めた。
「警部は積荷の行方を追っていた。なのに、情報屋に所望したのは、式典に参加する旧政府の人間に関するもの……」
「別々の事件を追っていたのか、それとも、二つは関連しているのか。どうやら、もっと探る必要がありますね」
シキョウが神妙な面持ちで、捜査資料を食い入るように見ていると、やおら客間のふすまが開き、年若い女の門下生が入ってきた。
「ミズチさん、葬儀は先延ばしになりそうです。警察が、まだ遺体を調べとる最中だと申しとって」
彼女はガボの屋敷に赴き、葬儀の手伝いをすることになっていた。
ミズチは女門下生に体を向け、尋ねた。
「ガボ師範の様子はどうだった?」
すると、女門下生はかぶりを振り、肩を落とす。
「まるで人が変わったように、口を閉ざしとります。あんな先生、初めて見ましたワ。ああ、それと。一応、耳に入れときたい話が」
「なんだ?」
「あたしが帰る前、警察の人たちがやって来まして。なんだか皆さん、ごっつぅ怖い顔しとりましたわ」
話しを聞いたミズチとシキョウは、互いに顔を見合わせた。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます