舞うが如く8話「暗転」

舞うが如く8話-1「暗転」

 ミズチとシキョウは再び、情報屋のもとを訪ねることにした。

 集合場所は、彼女の長屋ではなく、河川に面した小さな船宿。それも、儲かっているのか怪しいぐらい寂れた佇まいであった。


 逡巡しながら店に入ると、子供ほどの小柄な店主と、太くて大柄な女将が二人を出迎えた。

「あっち」

 店主は階段を顎でしゃくる。二人はおずおずと女将の待ち構える階段へ歩を進めた。

「二階」

 と、女将が先に階段を上り始めた。乾いた階段を踏む毎に、みしみしと音が鳴った。

((抜けたりしないよな?))

 ミズチとシキョウは不安を覚えつつも、情報屋が待つ部屋に通された。



「やあ、お二人さン。先にやッとるヨ」

 酒瓶を抱きかかえた情報屋が、陽気に座っていた。

 昨日とは打って変わって、淡い絹色の上品な着物に袖を通し、顔には化粧までしている。一見すると上品な女であるのに、大事に抱えた酒瓶のせいで、せっかくの美貌が台無しになっていた。

 おまけに畳の床一面、所狭しと書物や紙束が散乱しており、座る場所はおろか、足の踏み場さえ見極めるのが難しいほどであった。

「まあ、適当に座ッとくれ」

「座れって……まったく」

 ミズチは紙の山を脇にずらして、座る場所を確保する。シキョウも本と本の隙間に潜る形で腰を下ろした。


「この船宿は隠れ家にもッてこいでネ。客が殆ど来ンから、こうして、仕事道具を預かッてもらッとるのサ」

「これが仕事道具か」

 ミズチは徐に手元の巻物を手に取った。表題は『春画同人帖』で、あまり中身を見る気になれない代物だった。

「そうだエ」と、情報屋は妖しい笑みを作った。

「……首尾は?」割って入るようにシキョウが口火を切る。


 情報屋は空いた片手で、古ぼけた革を二人の前に置いた。

 革には、先日発見した暗号とよく似た文字と数字の羅列がびっしりと刻まれていた。

「これが旧政府軍の暗号。正式名称は『三号』で、要は字母表の順序と数字を組み合わせた、古典的な暗号文さネ」

 そこまで言うと、情報屋は瓶に直接口をつけ、ぐびッと煽った。

「警部さんの暗号は、ちょいと手が加えられとッてな。文字の順序が、手習いの歌に作り替えられとッた。おかげで解読はちぃとばかし苦労……」

「早く結論を言え。なんと書いてあるんだ?」

 半ば苛立ちながら、シキョウが遮る。情報屋は意地悪い微笑をした後、今度は別の紙とイカサ市の地図を、二人の前に置いた。


「正体は地図の座標だったのさ」

 情報屋は地図に指を這わせた。見ると、紙の縦横には、数字と文字が細かく刻まれていた。

 ミズチは暗号文と地図を交互に見比べる。

「なるほど。端の字と暗号文を照らし合わせて、目的地を割り出すのか。それにしても、イカサという街は、ずいぶん川に囲まれているんだな」

 イカサ市は北部に地蔵峠を持ち、南東側には、市の外周をなぞる大川、そして南西側からは、市を二分する運河が流れている。

 川によってイカサ市は三角形のように切り取られ、まるで離れ小島のようにも見えなくもない。


「この三角の土地を、碁盤の目みたいに切り分ける。そいで、暗号文の座標に当てはめていくと……」

 情報屋は筆をとり、地図に朱色の印をつけていく。


 印がついたのは運河沿いの港。そして、市の西端に建つ屋敷。


「この屋敷は誰のものだ?」

 ミズチが疑問をこぼすと、すかさず情報屋が、別の地図を開いて確かめる。

「持ち主はメレンゲ・マシュマロ。三年前、内乱が終わった直後に、屋敷を買ったようだネ」

 屋敷の主の名を聞き、ミズチは目を白黒させた。それは、傍に座るシキョウも同様であった。

「おい、シキョウ。マシュマロって、議会で会った、あの公家か?」

「今は公家ではなく、子爵……まあ、いいですけど。こんな所で名前が出てくるなんて。なあ、情報屋。この男のこと、知っているか?」

 水を向けられた情報屋はかぶりを振った。

「さっぱり。記憶違いじゃなけりゃア、旧政府の側にもついていなかった筈」


 突然現れた男の影に三人が当惑していると、不意に襖が開いた。

「飯。酒は?」

 女将が夜食を運んできた。大きなお盆に椀と小鉢が三つずつ。

「今は結構」と、シキョウが掌を振る。

「ボクも同じく」ミズチも断った。

「つれないねえ。女将、芋を一つ。水で割ッとくれ」

 どうやら情報屋はまだ飲むつもりらしい。面食うミズチだったが、次第に興味は食事の方に向かっていった。


 椀の中身は魚肉団子入りの雑炊。小鉢には、海苔の上に醤油を振った大根おろしと、潰した梅肉を載せた、見慣れぬ一品が盛り付けられていた。

「これは?」

「名前は知らン。けンど、味は良いから、試しに食うてみな」

 情報屋の勧めるまま、シキョウは箸を伸ばして、小料理をつまむ。

「あ、鰹節も混ざってるんだ。これは良い。さっぱりして、食べやすい」

 舌鼓を打つシキョウ。一方のミズチは、一心不乱に雑炊を口にかき込んでいる。

「もうちと、落ち着いて食いナ。まるで討ち入り前ヨ?」

 情報屋がたしなめる。

「その通りだ」

 完食したミズチは竜の尾で畳を叩き、強く言う。

「これから屋敷を探る」

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