舞うが如く7話-4「暗雲」
シキョウに伴われたミズチは、市内の長屋までやって来た。
夜もとっぷり更けた頃だったので、殆どの家が灯りを消して、しんと静まり返っていた。二人は真っ暗な細道を無言のまま進み、やがて、とある一室に辿り着く。
ここだけが灯りをつけており、戸の隙間からは、薄っすらと光が漏れ出ていた。
「ここは?」ミズチが怪訝に尋ねたが、シキョウは何も答えない。そればかりか、名乗りもせずに戸を開け、中に足を踏み入れた。
「おやまァ。今日は女連れかエ?」
と、住人らしき女が挨拶代わりに皮肉を叩く。彼女は着物をはだけさせ、畳の上に、五本の御猪口達とだらしなく寝転がっている所だった。
化粧っ気のない異国風の顔立ち、特に癖のある前髪の下から覗かせる瞳には、ぞっとするほど、蠱惑的な光が宿っていた。
「急ぎの仕事だ」
シキョウはぶっきらぼうに言って、勝手に居間に上がる。
「おんやマア、せっかちなヒト」
女は眉ひとつ動かさず、ヘラヘラと真っ赤な口を広げて笑う。それから、まだ戸口にいたミズチに気づくと、
「そこのお嬢さん。外は寒いから、中にお入り」と、優しく手招いた。
「う、うむ」
シキョウの態度もそうだが、女のだらしなさにも面食らったミズチは、あ然としたまま、やっと室内に入った。
「そいで旦那。今日はなにを知りたいのサ?」
女は尋ねた後、御猪口から直に酒をあおった。
「金になる仕事じゃないと、引き受けんからネ」
シキョウは羽織の裏から件の紙片と薬きょうを投げ渡した。
「こいつを読み解ける者を探している」
しばらく紙片と弾薬を見つめていた女が、静かに口を開く。
「偉く懐かしいモンを持ってきたねぇ。こいつァ、旧政府軍の暗号だエ」
「本当か?」シキョウが軽く身を乗り出す。
「ホント、ホント。コレを作ったあーしが言うンだから、間違いない」
「作った?」
ミズチは素っ頓狂な声をあげた。
「お、おいシキョウ。こいつは何者だ?」
「こいつは情報屋だ。その昔、旧政府側に雇われ、イカサで密偵紛いの仕事を請け負っていた」
「……では、お前達は敵同士だった?」
ミズチはシキョウと情報屋を交互に見渡す。
情報屋は袖で口元を覆い、クスクス笑う。
「そうだエ。旦那には何度も殺されかけた。それが、なンの因果か、こうして商売相手になッとるのさね」
(本当に、ただの商売相手なのか?)
不意に湧く疑問に、ミズチは首をひねる。
「……昔話はそこまで。本題に戻ろうか。それで、こいつは何と書いてある?」
「せっかちだわねぇ、旦那。そんなスグに分かるモンじゃあないよ。昔の解読方法が、そっくりそのまま通用するとは限らん。明日の晩、また来ておくれ。それまでには、解読してやるから」
ミズチとシキョウは顔を見合わせた。答えは、互いの意見を言い合うまでもなく、おのずと決まった。
「では明日。ここに来る」
と言って、シキョウが腰を上げた時だ。
不意に情報屋が訪ねて来た。
「ねえ、御宅ら。もしかしなくても、昨日の警官殺しに、首を突っ込んでないかえ?」
どきり。ミズチは体をびくつかせる。女剣士の反応に気を良くした情報屋は、またコロコロ笑った。
「情報料は幾らになる?」
シキョウは再び情報屋に向き直った。
それから……。
ミズチはみりん酒の注がれた湯呑を、おずおずと受け取ると、あらためて情報屋を見つめた。
同性から見ても、彼女には妖しい色気からくる美貌の持ち主だった。それも、嫉妬すらできないくらいに。
嘆息を飲み込むように、ミズチは酒をぐびっと飲んだ。
みりん特有の、口にまとわりつく甘だるさが、女剣士を余計に気を滅入らせてしまった。
相棒の不調を尻目に、シキョウは真剣な面持ちで切り出した。
「殺された警官というのは、ゴマ・ガボとかいう警部だろう」
「そうだえ。実はその警部な、先週、あーしから情報を買ったのサ。ホントはナ、他人様との取引をベラベラ話すのはご法度だけど……」
情報屋は畳の表面を指でなぞり、続きを言う。
「もし自分の身に何かあったら、ミズチを探して、伝えて欲しいと頼まれたのさね。よっぽど信頼されとったのかネ」
「そうか」ミズチは袴を強く握りしめ、こみ上げる感情を堪えた。
飲み干した御猪口を置くと、情報屋はゆっくり口を動かした。
「まず警部が依頼したのは、市の記念式典に出席する面子の素性。特に、三年前の内乱で、旧政府に与していたかどうかを調べることだった。警部が死ぬ前日、あーしは該当する人間の名を帳面にしたためて、渡した」
「どうして警部は、そんなことを知りたがっていたのだろう?」
ミズチは腕を組んで訝る。
「さて? 客が情報を何に使うか、詮索はせんようにしとるんでね」と、情報屋。
「順当に考えるなら、内乱がらみの事件だろう」シキョウが口を挟む。
「だろうね。出席者の中で旧政府側の関係者は五人。その内の二人は、市議会の議員だッたエ。どいつもこいつも、戦時中は下っ端だったおかげで処罰を免れとる」
「警部が持っていたのは旧政府軍の暗号で、しかも調査していたのは、旧政府側の人間だった。この辺りに、彼が殺されるような、きな臭い『何か』があるのだろうか」
と、ミズチが考えを口にする。
これを最後に、三人は口を閉ざした。考えが尽きたのだ。
しばし後、徐にシキョウが呟く。
「そういえば、傷口に埋まっていたのは、大公軍で使われていた弾薬。あれだけは、旧政府と関りがない」
そして、件の弾を手にしたまま、言葉を紡いでいく。
「……そうだ。思い出した。こいつは、スペンセル銃の専用弾だ。性能は良いが、銃も弾も調達に難があったせいで、正式採用が見送られた、曰くつきの代物」
不意に、ミズチは疑問を抱いた。シキョウ……いや、マガツの知識があまりにも精確すぎるのだ。
そして、彼女の疑問に答えるように、シキョウが先に答えた。
「内乱の時に、こいつで稼いでいた輩がいましてね。奴らを捕まえるには、嫌でも商品の知識を深めないといけませんから。それで、覚えていたんです」
「奴ら?」
「ミズチさんもつい最近、首魁の一人に会ったでしょう。武器商人のゲンソンに」
あッと、ミズチは声をあげた。
ひと月前、ミズチはとある未亡人の仇討ちに助力を乞われた。それが回りまわって、武器商人の密輸事件に巻き込まれてしまったのである。
……その事件の当事者でもあったシキョウは、静かに言った。
「ゲンソンの弟で、一味の中核だったシソンは、大公軍の物資を横流ししようと企てていた」
「それで、貴様は現場に踏み込んで、シソンを手討ちにした。それが原因でシソンの妻に怨まれ、殺されかけた……」
ミズチは、シソンの細君だった女の顔を脳裏に蘇らせた。あの未亡人は結局、仇討ちを果たせずに終わった。
一連の顛末を思い出すたびに、ミズチはやるせない気持ちに駆られ、只々、己の無力さを痛感するのであった。
「……あの時、シソンが売り捌こうとしていた商品の中に、この弾と、スペンセル銃があったんです。これが偶然の一致であってほしいんですけどね」
と、シキョウは諦観まじりに言った。
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