舞うが如く7話「暗雲」
舞うが如く7話-1「暗雲」
ある日、執政主カクハは尋ねた。
「こいつをどう思う?」
「すごく……くさいです」
答えたのは竜人の女剣士、ミズチである。二人は庭のど真ん中で、ぐつぐつ煮えたぎる大鍋を、複雑な面持ちで見下ろしていた。二人のほかに、鍋をとり囲む屋敷の使用人たちも、鼻を覆ったり、露骨に眉をひそめる。
ただ一人を除いて。
「分かんない人たちねえ。この味噌に溶けた肉の香りに、おいしいが凝縮されてるってえのに!」
背の小さな女性が威勢よく言い返す。彼女は鍋の傍にしゃがみ、火加減を整えていた。鍋の中で煮える名状しがたい「ソレ」を作り出したのは、この女だ。
イハ・ヒョウネン。ミズチの友人で、元大公家剣術指南役、ダ
そんな彼女が身分違いの恋に落ちたのには、いささか複雑な経緯があるのだが、それはまた別の話……。
「その、イハの料理の腕を疑う訳ではないんだが。なんというか、その、素材と見た目とか臭いが……なぁ」
ミズチは野良着姿のイハを見て、次に鍋を見た。
鍋の中で煮えているのはニラ、ネギ、大根。そして豚の腸肉である。この腸肉が、生姜味噌の汁に絡んで煮え、癖の強いにおいを発しているのだ。
腸詰のような、しっかり加工された肉料理なら、まだ料理として認めることができただろう。しかし、腸肉そのものを野菜と共に鍋へぶち込み、大量の味噌で煮詰めただけのモノを、女剣士は料理だと認識できなかった。
周囲の動揺を尻目に、イハは満面の笑みで味見。よほど好みの味だったのか、きゅーっと頬をすぼめ、その場で小躍りまでした。
「……よーし、できた。イハの特製もつ煮だよ。さあさあ、執政主様。この料理は、復帰される貴方様の健康を願って、作ったんですからねえ。たあんと、召し上がってくださいな」
イハは漆塗りの椀に、トロトロになった腸肉と野菜をよそった。
「う、うむ……」
椀を押し付けられるように受け取ったカクハ。もつ煮を凝視する姿を、ミズチ以下、屋敷の者たちが固唾をのんで見守る。
春の気配が近づく昼下がり。女剣士達は平和なひと時を過ごしていた。
………
「ほらほら、皆さん。仕事が遅れていますよ。早くなさい」
瓜顔の若い役人が甲高い声で叱咤して回る。
顔には白粉、口には薄っすら紅をつけているが、彼はれっきとした男だ。
筆頭書記カナタ。若くして、市役所の事務方をまとめる管理職に収まる才媛(?)である。
「今日は執政主様が職場復帰なさる、大事な日なのです。執務室の備品一新、重要会議の書類整理、報告書の再点検……こらっ、シキョウさん!」
カナタはひと回り歳上の役人に鋭い声を掛けた。
「はあ、なんでしょう?」
積み上がった年鑑の陰から、事務方のシキョウが、ボンヤリした顔を出した。
「あなた、執政主様を迎えに行く役目を仰せつかっていたでしょう」
「ええと。そうでしたっけ?」
シキョウは、ボサボサ頭を掻きながら、整理の行き届いていない机をかき回す。
イライラ足踏みするカナタを尻目に、彼はしなびたメモ用紙を拾い上げた。
「あ、本当だ。しかも、出発時間が……とうに過ぎてますなぁ」
悪びれもせず、シキョウはのんびり言った、
「シキョウさん!」
キンキン声でカナタは怒鳴る。
「まあまあ、目くじら立てない、たてない。執政主様の屋敷なら、馬車を使えば余裕で間に合います。最近は道路もキレイですからね。ということで、行ってきます」
彼はやおら立ち上がり、濃紺の羽織に袖を通した。袖や肩口にほつれがあり、布地の色もくすんでいる。履いている洋袴もヨレヨレであった。
「シキョウさん、辻斬りには気をつけろよ。今朝も警官が一人、河原で死んでたらしいから」
と、同僚役人が声を掛けてきた。
「大丈夫だって。この人なら、的にすら数えられないから」
すかさず別の方向からも茶々が入った。彼らが作業に使っている共有机には、擦りたての新聞が置かれていた。
「いやはや。物騒な世の中ですね」
シキョウは徐に新聞を手に取る。出発する前から道草を食い始めた部下に、カナタは目を釣りあげた。
「シキョウさん!」
「……え?」
シキョウの反応は薄かった。呼び掛けから一間置き、まるで幽霊を見たような、青い顔で振り向いたのである。
「どうかしたの?」
拍子抜けしたカナタは、怒気を引っ込め、不安げに尋ねた。
「……あららら。すいません、ちょっとボーッとしちゃって。ええ、ええ、すぐに行きますよ。この新聞、お借りして行きます」
訝るカナタ達の視線を受けながら、シキョウはいそいそと事務室を出た。
彼が握りしめた新聞には、河原で発見された警官の名前と階級が載っていた。
被害者はイカサ市警の警部、ゴマ・ガボ。
シキョウと、女剣士のミズチがよく「警部」とだけ呼んでいた、顔馴染みの警官であった。
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