舞うが如く6話-4「閑話」
(さて、どうしたものか)
カクハは逡巡した。
相手はまだ刃を血濡れた手で握ったまま。いつ己の腹を切るかも分からない、危険な状態だ。カクハは額の汗を拭うのも忘れ、そっと尋ねた。
「この墓……まさか、ゼク総隊長殿の?」
マガツは眼前の粗末な墓を見たまま、小さく頷く。
「オレがあの人の首を刎ねた」
(噂は本当だったか)カクハは顔を真っ青にして、唾を呑んだ。
数日前、カクハは百鬼隊の解散と、総隊長の処刑にまつわる一連の情報を耳にしていた。
聞くところによると、身内同士の政治闘争が原因とのことだが、そんなことよりカクハにとって最も重要なことは、百鬼隊の総隊長の首を刎ねたのが、懐刀として厚い親任を受けていた、あのマガツであるということだ。
「して、今さら何の用だ?」
マガツは前を向いたまま、質問をした。
(……ええい、ままよ!)
ようやくカクハも腹を決めた。どさりとマガツの隣に胡座をかいて座り、口を動かし始めた。
「やつれたよそ者が、首の入ったの桐箱を担いで地蔵峠を登っている。そんな噂を聞いて、興味半分で見に来た」
「うわさ?」怪訝な顔をするマガツ。
「噂というのは、人が思っている以上に早く遠くへ広まるものらしい。それで見物に来てみれば、見知った顔の男が、まさに腹を切ろうとしていた。必死の覚悟に水を差して悪いとは思うが、このまま目の前で死なれたら、それはそれで目覚めが悪い」
「……」
マガツはカクハから目をそらし、再び刃を見つめた。
それから二人は黙し、時間ばかりが進んだ。
木々が風を受けて揺らぎ、足元の草花が音をたててなびいた。
不意に、マガツが口走った。
「己の腹を割くのが、これほど難儀だったとは」
血まみれの手を下げ、刃を体から離す。途端にカクハの中で緊張の糸が緩んだ。
どうやら、ひとまずの危険は去ったらしい。
「オレが手を掛けた者達は、こんな心持ちで、命を落としていったのだな」
呟くように言葉を発したマガツ。絶望に染まった男の横顔を、カクハは黙って見つめた。
「ゼクは……泣き喚いていた。両手をついて頭を下げ、命乞いまでした。あの時は、あの男が、稚児のように騒ぐ理由が分からなかった。それが、ようやく理解できた。死への怖れは、誰にでもある。オレにもあったんだ」
「そうだ。その通りだ」カクハは力強く頷く。
「しかし……」
マガツは再び刃に目を向けた。
「死に損なったのは惜しい。次に死ねそうな時まで待たなければならない。どうしてくれる?」
カクハは伸ばし始めた顎髭を撫で、考えた。
答えが出るまで、そう時間は掛からなかった。もしかしたら、マガツを止めようと動き出した時から、無意識の内に腹を決めていたのかもしれない。
カクハはマガツの肩を掴んで言った。
「少しの間でいい。お前の命を、儂に預けてくれまいか?」
当のマガツは、言葉の意味を図りかねているのか、目を白黒させている。
カクハは顔を輝かせて続きを言った。
「腹を切れなくなったのなら、次の機会が来るまで、暇になるだろう。その間の暇つぶしに、どうだ? 儂のもとで、別人として、働いてみないか」
「アンタの部下に? 汚れ仕事でもさせるのか?」
いやいや、とカクハは首を振る。
「違う、違う。イカサの役人として、働くのさ。そうと決まれば、新しい身分を用意してやるぞ。誰が見ても平々凡々、人畜無害な男に生まれ変わらせてやる。ということは、その仏頂面も、あらためなければなら。がはは」
「おい」
マガツは何か言いたげにしていたが、カクハは畳み掛けるように主張し、強引にマガツを連れ去ってしまった。
この提案からしばらくの月日を経て、イカサの市役所にある男が登用された。
名前は、シキョウという。
(了)
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