舞うが如く7話-2「暗雲」
……数刻後。市議会の大会議場。
白を基調とした壁に、白樺の木材で作られた議席が扇状に並ぶ大きな空間は、大勢の人間で埋め尽くされていた。
杖をつき、胸を張って演壇の場に登る、執政主カクハ。議場中から拍手が送られた。
「みなさん、ご無沙汰しておりました……」
まもなくして、挨拶が始まった。病によって片足の自由を失った事さえモノとしない、堂々たる姿勢だった。
(あの様子なら大丈夫だろう)
遠目で見守っていたミズチは、そっと議場から退出した。
世話人の前で居眠りをする位なら、外で待っていた方がよっぽどマシだ。女剣士はそのような理屈を心の内で並べ、議場外で時間を潰す事に決めた。
とは言っても、廊下には粗末な長椅子が二つばかりあるだけ。ただ座って待つのも良いが、せっかくなら建物の中を見て回っても良いだろう。
「シキョウの奴に会うのも一興か」
ミズチはポツリと呟いた。
「あら嬉しい」
不意に背後から声が掛かった。ギョッとして振り返ると、シキョウが立っていた。相変わらず、能天気にのほほんとした微笑を、顔に貼り付けている。
「うしろに立つな。不気味だぞ」
「立たれる前に気付いて下さい。剣士として致命的ですよ」
「貴様に言われるとは、心外だ」
ミズチは返答に窮して、不機嫌になった。
「……冗談は程々に、少し顔を貸してもらえませんか?」
シキョウは急に声色を変えて尋ねる。目つきまで、一瞬前と比べて別人のようになっていた。
もっとも、こちらが彼の本性であるのだが……。
不審に思いながら、ミズチはシキョウに伴われ、市役所の裏庭へ移動した。
「それで、用とはなんだ?」
壁に背中を預けた後、ミズチは切り出した。
「どうせ貴様の事だ。またロクでもない騒ぎにボクを巻き込むつもりだろう。良い加減、貴様も警部に絞られてしまえばいいんだ」
「その警部なんですがね……」
シキョウは、かつて古井戸のあった場所を見つめながら、静かに口を開く。
「殺されました」
シキョウの言葉に、ミズチは体を硬直させた。
「え」
開いた口が動かない。反対に、心臓だけはガンガンと早鐘を打ち、高速で拍動する。
「どういう……ことだ?」
ミズチはようやく疑問の言葉を発した。
「そのままの意味です」
振り向くことなく、シキョウは短く答える。
「誰に? いや、どうして……なぜ、あの男が死なねばならぬのだ!?」
衝動に任せて、ミズチはシキョウの肩を掴んで振り向かせた。
「答えろ、シキョウ!」
「……私も驚いています。信じられないという気持ちは、ミズチさんと同じ。おそらく、何かの事件に巻き込まれたのかと」
シキョウは落ち着きはらった様子で答える。あるいは、いつものように感情を押し殺しているのだろうか。それを見定める事ができない位、ミズチは気が立っていた。
「情報が出揃っていない今は、待つのが先決です。それにあなた。何処から手を付けようか、まだ決めていないでしょう?」
「う、うむ……」
ミズチが押し黙っている間に、シキョウはまたいつもの昼行灯へ戻った。
彼は、そっとミズチの手を肩からどかして口を動かす。
「執政主様のお迎えに参りましょう」
…………
カクハは、壇上のすぐ下で、市長と握手をしていた。その周りでは、記者らしき男達が箱型写真機を構え、眩い光をバシャバシャたてている。
それも終わると、ようやくカクハは自席に座り、深いため息を吐いた。
「おじ様」
「やあ、ミズチ。仕事とは、こんなにも疲れるものだったのだなあ」
カクハは、近付いて来たミズチを笑顔で出迎えた。
(変な顔になってないよな、ボク?)
ミズチは異変を悟られやしないかと、内心穏やかではなかった。
「この後の会議にも出席したかったのだが、筆頭書記のカナタが、書斎で休めとうるさくてな。お前とは違って気が利き過ぎるな、シキョウ?」
と、執政主は部下のシキョウへ皮肉を向けた。
「むしろ、つり合いが取れて良い塩梅になっている。そう思ってくれませんか?」
シキョウはミズチと反対に、すっかり平然としていた。
そこへ……。
「執政主殿。此度はおめでとうございまする」
男が一人、ミズチ達の輪に近づいて来た。
顔も体もまん丸な彼は、衣冠(いかん)という、官人の勤務服をまとい、烏帽子まで被っていた。
「これはこれは、
カクハは杖に体を預けて立ち上がり、礼を返す。
まん丸顔の男は病み上がりのカクハを気遣う素振りも見せず、彼が立ち上がるまで、ニコニコと微笑んで待つ。
(誰だ?)
会釈しながら、ミズチはそっとシキョウの袖を引っ張る。何者なのか教えろ、という合図だ。
シキョウはミズチをカクハ達から離して、耳打ちをした。
「メレンゲ・マシュマロ子爵。華族……昔風に言うと、公家の方です。中央からの使者として招かれているようで」
二人のヒソヒソ声に気付いたのか否かは不明だが、マシュマロはミズチにチラリと目を向けた。
「ほう? そこな女子。なにゆえ、刀を腰に差しておるか?」
どうやら、女剣士に対して好奇心を持ったようだ。
「この娘は、カガチ一族の頭領、ノエ家の末娘で、ミズチと申します。今は、わたくしめの屋敷に住み、剣の修行をしております」
と、カクハが紹介をする。
「ほう」
墨で描いた楕円の眉が動く。
「では其方が、竜人の女剣士? そうか、そうか。其方の活躍、兼ねてより、ダ権守から聞いておるぞ」
(あの人の知り合い? どうりで変な顔をしてるワケだ)
ミズチはダ権守のナマズ顔を思い浮かべながら、目の前でフワフワ微笑む人間大福を見やった。
「なるほど、なるほど。確かに強い女子のようじゃなあ。うん、うん。今後も精進に励むが良い」
「は……はあ……。ありがとうございます」
拍子抜けしながらも、小さく頭を下げる。フワフワした雰囲気、実体のない雲。もしくは、できたての大福。とにかく、掴みどころのない人物というのが、率直な感想であった。
(誰かにそっくり)
ふと、隣の男を横目で見ると、シキョウもぽややんとにこやかに微笑み、突っ立っていた。
「そうじゃ、執政主殿。近日執り行われるという、市政百周年記念の式典についてじゃが……」
真珠麿はカクハに向き直り、別の要件を切り出した。
カヤの外に置かれたミズチ達はその場を離れ、まっすぐ警察署へ足を運ぶ事にした。
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