舞うが如く第5話「首斬りのマガツ」

舞うが如く第5話-1「首斬りのマガツ」


 ミズチは不機嫌だった。

 自棄っぱちに普段より多く飯を食らう位、虫の居所が悪かった。


 原因は、すっかり顔なじみになってしまった役人、シキョウである。

 先日、とある騒動にて、シキョウは刀を手に大立ち回りを演じた。それを目撃したミズチは、騒動が終わると、しつこく彼に尋ねた。

「貴様は一体、何者なのだ? 剣術はどこで見に着けた?」


 しかし、シキョウは例によって茶を濁し、とうとう休暇を理由に、雲隠れまでしてしまったのである。

 それだけではない。彼の上司であるカクハをはじめ、シキョウの過去を知っているだろう者達に、手当たりしだい尋ね回ったのに、誰一人、答えようとしないのだ。

 怪しい。ミズチの疑念と不満は、ますます積もるばかりであった。



 そんなある日のこと。

 ミズチはイカサ市郊外の赤ムヶ池にある、大きな武家屋敷を訪れていた。

 屋敷の主は、ルル家ダ権守ごんのかみヒョウネン。元大公家剣術指南役を務めた剣術家である。魚のナマズそっくりな奇面ゆえに「ナマズ公」とも呼ばれている。

 そんな彼の客人として、ミズチは客間で囁かな歓待を受けていた。


(この客間は、居心地が悪いんだよなあ)

 心の内でぼやきながら、ミズチはゆず茶で口を湿らせた。

 一見すると、何ら変哲のない西洋風の部屋。洒落た茶器に美味しいゆず茶に、文句の言い様はない。

 しかし、壁に掛けられた水神『クスル神』の油絵は、を絶え間なく発し、ミズチのカップに茶を注ぐ女中は、魚じみた容貌の持ち主だ。薄弱な者がこの屋敷に居続けたら、数分と経たず、不定の狂気に陥ることだろう。


 さて……。

 ミズチは正面に座る二人の婦人に目をやる。内一人は、ナマズ公の新妻で、イハという名の若い女性だ。ミズチとはナマズ公との結婚騒ぎを経て、茶飲み友達となっていた。


 もう一人は、物憂げな表情で俯き続ける妙齢の婦人だった。皺一つない着物や所作は、作法を心得た士族の女性、といった趣である。しかし、疲れた顔に虚ろな目をしており、非常に儚げに見えた。

「それでね、ミズチちゃん」

 イハが口を動かす。彼女は農家の出で、奉公人でもあった。そのせいで、隣の婦人より粗い雰囲気を出している。

「こちらのルイカさんがね、夫の仇討ちをしたいらしくて。ええと、死に水っていうの、それを、ミズチちゃんにお願いしたいの」


 イハに名を呼ばれ、初めてルイカは表を上げた。

「モフベ・ルイカと申します。亡くなった夫、シソンは生前、ダ権守様から剣のご指導を賜っておりました。此度の仇討ちを、ダ権守様にご相談した所、貴女様を推挙して下さりまして……」

「ヒョウちゃんったら大事な用事があって、都にいるの。それで、ミズチちゃんに代役をお願いしたワケ。ほら、貴女なら決斗とか仇討ちの作法とか知ってるだろうし、同じ女性だから、傍に居易いだろうって。勿論あたいも、ちゃーんと付き添うから」

 と、イハが続けざまに言う。


「よろしいんですか。見ず知らずのボクに、そのような大役を任せて?」

 ミズチはルイカに尋ねた。

「ええ。主人は三年前の内乱で死に、一人息子は婿養子に出ております。今、私を看取る者はおりませんし、それで良いとも思っております。それに侍の方に死に水を取って頂けるのなら、亡くなった主人も浮かばれる事でございましょう。なにとぞ、御頼み申し上げます」

 ルイカは深く頭を下げる。どうやら彼女の覚悟は本物らしい。ミズチは、引き受ける決心を固めた。


「それで、ご主人の仇はどなたですか」

 再び顔を上げたルイカは、ゆっくり口を開いた。

「主人を殺した男は、マガツ・ヨツミ。その昔、百鬼隊ひゃっきたいという人斬り集団に身を置いていました」


 …………


 ミズチがナマズ公の屋敷にいる頃。彼女の知人で、胡散臭い小役人のシキョウは、街の北にある地蔵峠を上っていた。

「辺ぴな場所に住みやがって、あのジジイ」

 歩き辛い山道に、シキョウは静かに毒づく。


 途中、峠の中腹から道を外れ、枯草だらけの獣道に足を踏み入れた。

 更に道を進むと、粗末なあばら屋が二つ見えてきた。その内の一つは、石造りの煙突を生やして、白い煙を吐いていた。


「じいさん、シキョウだ。刀は出来たか?」

 シキョウは小屋に向かって声を張った。程無くして、小屋の中から、背を曲げた老爺が顔を出してきた。頭に汚れた手拭いを巻き、ボロ切れ同然の作務衣に袖を通していた。

 皺だらけの顔、枯れ木の枝のような痩せ具合は、とにかくみすぼらしい限りだが、鋭い三角形の目だけは、歳不相応な若々しい炎を宿していた。


「シキョウなんて男は知らねえぞぉ」

 老人は鋭く偏屈な顔に、意地悪い笑みを浮かべた。

「さあ、早く入ってきやがれ。こちとら、早く仕事を済ませて、酒が飲みてぇんだからよぉ」

「はいはい」

 シキョウは肩を竦めて苦笑い。老人に招かれるまま、小屋に足を踏み入れた。

 そして、むせ返る程の熱気に出迎えられて、僅かに狼狽えた。

 小屋の半分以上を占める巨大な炉に、多種多様な鍛冶道具のせいで、足の踏み場は殆どない。

「適当に座れ」そう言うと、老人は煤けた作業台に腰を乗せた。

 やや逡巡した後、シキョウは板間と思しき空間に納まった。


「ほれ、テメエの横にあらぁ。見てみぃ」

 老人は木製の小台を顎でしゃくる。台の上には、黒光りする抜身の刀身が置かれていた。シキョウは布に包んで持ち上げ、しげしげと眺めた。

 寸法は世に出回る打刀より拳一つ長く、反りの緩い刃は、鉈のように厚かった。


「三年も放ったらかしにした割にぃ、傷みは殆どありゃしねぇ。作ったオレでも、不思議なくらい丈夫だぜぇ」

 そこまで言うと、老人はヨレヨレの紙巻きたばこを咥えて、火を点けた。

甲刃逢禍刻こうじん・おうまがとき。甲刃派最後の刀工、ゲンオウ様の、最後の一振りだ。大事に使え」


 シキョウは厚みのある刀身を指で弾いた。跳ね返った音に満足すると、柄の取り付け作業に取り掛かった。

「最後と言わず、何本でも打てば良いのに。アンタの打った刀なら、たとえでも喜んで大枚を叩く手合いがいる」

 手を動かしながら、シキョウは軽口を叩く。するとゲンオウと呼ばれた刀鍛冶は、タバコを口から放し、床に唾を吐いた。


「じゃかあしい。そうやって金に目を眩ませたから、甲刃派は落ちぶれたんだ。腕が衰えたら潔く身ィを引く。そんで、さっさとくたばる。それが一番だ」


 ……かつて刀剣界の一代流派と謳われ、名工を大勢輩出した甲刃派。しかし、彼らは商業主義に目覚めたのをキッカケに、粗悪品ばかりを乱造しはじめるようになった。当然、彼らに待ち受けていたのは、衰退の二文字である。

 ゲンオウは、その最後の生き残りだ。元から人嫌いが激しく、自分が認めた客しか相手にしてこなかった。そんな、世捨て人の異端だったからこそ、衰退する本家に巻き込まれず、生き延びる事ができたらしい。


 しかし、そんな彼でさえ、老いて職を捨てる時がきたということだろう。潔くとは言っているが、決断までには其れなりの迷いがあったに違いない。

 シキョウが物思いに耽っていると、ゲンオウが話しかけて来た。

「やい、。てめえ、自分から刀を捨てた癖に、今さらどうして取り戻しに来た。一体、なに企んでやがる」

 マガツと呼ばれたシキョウは、柄に目釘を差した後、にっこり笑って答えた。

「急にコイツが必要になった」


 ……町役人のシキョウ。本名はマガツ・ヨツミ。彼はその昔、彼は百鬼隊なる組織に身を置いていた。

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