舞うが如く第4話-3「刀剣好きにはご用心」
数日後の夜。シキョウは市内の料理屋に足を運んだ。
「どうぞ、こちらです」
女中に案内された奥座敷では、ミズチと警部が、無表情で牛鍋を囲んでいた。
「遅かったな」
と、ミズチは空のおこわを横に置いた。既に彼女の傍には、空っぽのおこわが三つも置かれている。すべて彼女一人で平らげたらしい。
「すいませんね、残業でして。宮仕えは大変なんですよ。ねえ、警部?」
水を向けられた警部は無視を決め込み、手酌で注いだ穀物酒を一息で煽る。
二人の様子から察するに、どうやら、楽しい夕食会では無かったようだ。
「お前の分は食ってやったぞ」
ミズチが不機嫌に言う。彼女の言う通り、鍋の具は殆ど残っていなかった。
「あらら。このお店の牛鍋、楽しみにしてたんだけどなあ」
残念そうにシキョウは項垂れてみせる。
「それで今日は何の用だ?」ジロリと警部が一べつする。
「剣呑な顔はよして下さい。いやね、ちょっと気になる情報が手に入りまして」
小役人はのんびり口調で話を始めた。
「実は知り合いに事情通がいましてね。殺された被害者二人は、同じ質屋で刀を買ったそうなんです。それと、最初に殺された大店の主は、周りに自慢してたそうです。思わぬ掘り出し物に出会ったと」
ふん、と警部は鼻を鳴らす。
「貴様の知り合いとやらは、鼻が効き過ぎる」
「ええと……被害者はトロンザの刀を手に入れたせいで殺された?」
と、ミズチが横から口を挟む。警部は腕を組み、大きく頷いた。
「そうだ。下手人はトロンザの刀欲しさに犯行を繰り返していると考えても良い。よって我々は質屋の周辺を探り、最近怪しい人物が出入りしていなかったか、調べている」
「それで、質屋の周りで部下達が聞き込みをしてたんですか。でもその割に、手がかり一つも出てませんけど?」
シキョウの指摘に警部は激怒した。彼は割り箸を握り潰し、シキョウの胸ぐらを掴む。
「貴様あ、警察を愚弄するか!」
「そんなつもりはないですよぉ」
「ばァか。どっちも馬ァ鹿」
ミズチは油を注ぎながら、自らの茶碗に冷酒をなみなみと注いだ。
なだめている間に、女中が〆のうどんを持ってきた。警部はシキョウを乱暴に開放した後、顔を赤らめたまま席に戻る。
女中は澄まし顔でうどんを鍋に入れ、炭を入れ替えた。その間にミズチは茶碗の冷酒を飲み干し、二杯目を注ぎ直した。
「どうぞ、ごゆるりと」
一礼をした後、しめやかに退室。足音が遠ざかったのを確認した後、シキョウはそっと口を開いた。
「実はですね、情報をくれた人が、こんな噂も教えてくれました。トロンザの刀の殆どは、元勘定奉行キメキ様が所蔵されていた業物なんだとか」
「まことか?」警部が腰を浮かせる
「ええ。
シキョウは話しを中断すると、煮立った鍋から、うどんを掬い取った。
「……ある時、彼の屋敷から、数振りの刀が行方をくらました。どうやら部下の一人が盗んでしまったんです。その男はやがてトロンザって偽名を騙り、北部の地方都市で道場師範の職に就いたとか何とか」
ミズチは酒を飲むのも忘れ、ポカンと呆ける。警部も硬直したまま動かない。
一方のシキョウは、何食わぬ顔で、うどんをモキュモキュ噛む。ごくりと飲み込んだ後、彼は静かに言った。
「うどん、伸びちゃいますよ?」
………………
翌晩。シキョウは情報屋のもとを訪れていた。場所は先日の長屋ではなく、運河の畔に店を構える、小さな船宿であった。
土産の火酒を手に、用意された部屋に入ると、既に情報屋がくつろいでいた。
「待ちくたびれたエ、旦那」
今日の彼女は、こじんまりした部屋にそぐわぬ、艶やかな着物に身を包み、化粧を施していた。その姿は、手の届かぬ高級遊女そのものである。
「これは土産。それと情報料」
手早く酒瓶と金の入った革袋を座卓に置く。
情報屋は革袋を仕舞った後、ボロ紙同然の巻物を、シキョウの前に差し出した。
「これが、キメキが遺した目録だエ。昔から運の良い人だエ、旦那は。こんなに都合よく情報が手に入るなんて、滅多にないことだエ」
ふむん、とシキョウは小首を傾げる。
「太夫のフリをする時くらい、一人称を変えたらどうだ」
「案外、気付かれんものヨ」
情報屋は表の世界にいくつも顔を持っていた。遊女のように振舞っていると思えば、翌日には女塾の教師として教壇に立っている事もある。付き合いの長いシキョウだったが、未だに彼女の百面相には、驚かされっ放しであった。
「それはともかく、トロンザのカミさんの事だけどサ。もしかすると、厄介者かもしれんネ」
「どういう事だ?」
シキョウは巻物から顔を上げた。
「言葉の通り……あらァ、これは上物の香りだエ」
情報屋はビードロのグラスに火酒を注いだ。
「実はサ、トロンザが刀持って出奔した次の日に、キメキの娘も家出しとるのサ。当時の奉公人は揃って、トロンザと駆け落ちをしたと言ッとる。娘の名はオトギだそうな」
そこまで言った後、酒で口を湿らせた。
「もし本当に駆け落ちなんてしていたら、奥方のムガイの正体は、キメキの娘って事になる。話がややこしくなるから、違って欲しい所だ」
シキョウはムガイの事を思い出す。線の細い青白い顔の未亡人。夫の刀剣蒐集への関心はなく、剣術のケの字も知らないと言っていた。
ちがう。シキョウはこれまで見聞きした全てを思い返し、考えを巡らせる。
その間に、情報屋はシキョウの膝上に座った。
「お酒は飲まンのかエ?」と尋ねながらシキョウに体を向け、首に腕を回した。
「遠慮する」
シキョウは女を離そうとするが、逆に顔を掴まれて引き寄せられてしまった。
甘だるいニオイが鼻をつく。
「どうして酒を断る? 酒が入ると、人の首を刎ねたくなるから?」
情報屋は、シキョウの耳元で吐息混じりに囁く。その間にも彼女はシキョウの体に密着していった。
「百鬼隊督戦隊長『首切りのマガツ』は、いつの間に弱虫になッたのサ。一体、いつになッたら、あーしの首を斬り落としてくれるのかエ?」
「そんな日は二度と来ない」
冷然と言い放ち、女から離れる。
「へエ。じゃあどうして、刀も過去も、捨てられずにいるのサ?」
情報屋は余裕の笑みを浮かべた。
「無駄だエ。アンタは、ずうッと人斬りのままだエ」
情報屋は再度、シキョウにまとわりつく。
「よぉく知ッとる筈だエ。人斬りは所詮、人斬り。一度ハマったら抜け出せない。アンタは身も心も、すっかり、血にまみれとる……」
シキョウは何も言い返さず、彼女の囁きに、成す術なく呑まれた。
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