舞うが如く第4話-2「刀剣好きにはご用心」

 ミズチと警部が会談している頃。シキョウもまた、市内の長屋で、トロンザにまつわる話を聞いていた。

「いつも、ありがとさん」

 三十代半ば位の女が気だるげに言う。異国風の顔だちは、化粧っ気は無いのに、ぞっとするほど蠱惑的だった。一方で髪は寝癖だらけ、服装もよれた寝間着の上に、つぎはぎだらけの半纏という出で立ちのせいで、素材の良さが半減していた。

 彼女は情報屋で、シキョウとは昔馴染みの間柄だった。


「トロンザって男は、二年前に剛刃新陽ごうじんしんよう流の道場を追われちまッた。弟子にひどいケガをさせたンだとサ」

「それだけ? まさか。他にもあるだろう」

 シキョウは玄関の式台に座って尋ねた。情報屋は赤い口をにっと広げて笑った。

「鋭いねエ、旦那。噂じゃあ、トロンザは殺しの仕事をしとったそうだエ。刀剣集める金欲しさに、色んなヤツを斬っていたとか」

「本命はそっちだ。コトを公にしたくない道場側は、道場禍を口実にして、トロンザを追放した。それで、トロンザの居所は?」


 シキョウが問うと、情報屋はシキョウの背中に抱き付き、艶めかしく腕を回した。白い手には、折りたたんだ布が握られていた。

「これだエ。それで、次はいつ来てくれるのかエ、旦那?」

 甘だるい声で囁きながら、情報屋は布を持った手を、シキョウの胸元に差し込んだ。

「いつだろうな。これで最期だと、どれだけ嬉しいか」

 細腕を抜き、シキョウは情報屋に背を向けたまま、腰を上げた。

「またネ、首斬りさん」

「……そんな呼ばれ方をした男は、もう死んだ」

 シキョウは陰鬱な目で答えた。


 シキョウは偽名だ。彼の真の名はマガツといい、かつて動乱の時代に名を馳せた『百鬼隊』の幹部であった。

 戦いが終わり、開花の時代となった今、マガツは過去と刀を捨て、別人として暮らしているのだ。


 ……………


「……解せない」

 警部は苛々していた。

「奇遇ですね。ボクもです」隣に立つミズチも同調する。


 二人は、ガボが教えたトロンザの住まいに向かっていた。本来なら警部が部下と共に向かう手筈になっていたのだが、道場師範のガボが、

「相手が殺人犯であるのなら、腕自慢が居た方が良い。よって、ミズチを護衛につける!」と申したのだ。


「……まだ断定できぬというのに、相変わらず早合点し過ぎなのだ、兄上は」

「ああ、やっぱり人の話しを聞かない御方だったんですね、師範は……」

 項垂れる二人を見て、後ろに付き従う警官達は思った。

(もしかしてこの二人、似た者同士なのでは?)


 やがて一行は、小川の滸に佇む、粗末な平屋に辿りついた。

 屋根は藁ぶき、壁の木板も薄くて、朽ちかけている。半開きの小窓から煙がたち登っており、中に人がいる気配が見て取れた。


 入口の前に立った警部は、今にも折れそうな戸を叩いた。もう片方の手は、ベルトの拳銃に伸びている。ミズチも刀に手を掛けた。

「どなたですか?」

 小屋の中から、か細い女の声が聞こえて来た。

「市警だ。開けてくれ」

 ややあって、戸が開かれた。隙間から、青白い細面の女が、一行を窺い見てきた。

「トロンザはいるか?  彼に用がある」

「主人に……?」

 女は戸惑う。しかめた顔は沈痛で、苦しそうに見えた。

 そこに……。


「残念ですが、トロンザさんは亡くなってしまったそうです」

 聞き覚えのあるのんびりした声に、警部もミズチも仰天した。

「し、シキョウ?」

「あらら。ミズチさんまでいるんですか?」

 役人のシキョウが、女の後ろから顔を出した。


「な、なぜ貴様がここにいる!」と、警部が声を荒げた。

 驚いた女はビクリと肩を竦める。

「仕事ですよ。国勢調査で、この一帯を回っているんです」

 シキョウは柔和な笑みで受け流す。二人の間で置いてけぼりを食らった女は、

「あの……わたしは一体、どうしたら……」と、弱々しく呟いた。


 招き入れられたミズチと警部は、先客のシキョウに疑いの眼差しを向けた。

「まさか貴様、ツレにこの場所を教えたのか?」警部は小声でミズチに尋ねる。

「だからツレじゃない。あの役人は、いつも神出鬼没なんだ」

 と、ミズチは即座に反論。

「聞こえてますよぉ」

 役人はのんびりと指摘して、出がらしのような薄い茶を飲んだ。

「それにしてもだ、役人。貴様は一応、事件の参考人なのだ。勝手に動き回り、捜査を掻き乱すような真似は……」

 警部がシキョウに小言を垂れる傍ら、ミズチは家の中をぐるりと見回した。

 どうやら、暮らし向きはあまり良くないらしい。長屋ほどの空間には必要最小限の家具しかなく、殆どが古ぼけていた。


「すいません。このようなモノしか出せなくて」

 女が盆に湯呑を二つ載せて、台所から姿をみせた。彼女の名はムガイで、トロンザの妻であった。

「あの、外のおまわりさん達の分は……」

「お気遣いだけ頂きます」と、警部は手を振って固辞する。

 女は小さく頭を下げた後、ミズチ達の前に湯呑を置いた。

(塗薬のニオイ?)

 不意にミズチは、ムガイの身体から、微かな薬の匂いを感じ取った。

(気のせい?)

 ミズチはこっそりムガイを伺い見る。間近で見れば見る程、彼女の肌は病的に青白かった。目元には薄ら隈ができており、それが余計に、病の気配を感じさせた。


 警部はさっそく切り出した。

「主人は亡くなったと、この役人が言っていたが?」

「はい。今年の初めに、病で」

「お気の毒に。実は、今日伺ったのは……」

 警部は昨日、シキョウが襲われた事件のことを、ムガイに伝えた。


「……そうですか」

 事情を聞き終えたムガイは、そっと俯く。

「確かに主人は生前、まだ道場師範だった頃に、奇妙な刀ばかり集めていました。俸禄の殆どが刀代に消え、生活が苦しくなったことも、幾度となくありました」

「うわァ……」ミズチは嫌悪感を露わにした。


「して、刀は今どこに?」警部が尋ねる。

「もう一本も残っていません。主人は道場を追われた後、刀を全て質屋に売ってしまったんです」

 ムガイの回答に警部とミズチは落胆した。容疑者かもしれないと目されたトロンザは故人で、彼の収集品は、とうの昔に行方知れず。

 捜査は全て、ふりだしに戻ってしまったようだ。


「あの、覚えていたらで良いんですけど。形は杖のようで、両端に刃がついた武器とか、ご主人は持っていませんでしたか?」

 不意に、横からシキョウが質問して来た。ムガイは首を傾げ、苦しそうに眉をひそめる。質問すら苦痛なのではと、ミズチはヒヤヒヤした。


「よく覚えていません。あまり、刀とか剣術には詳しくないもので。申し訳ありません」と、ムガイは訥々と答えた。

「いやいや。こちらこそ、変な質問しちゃってごめんなさい」

 侘びた後、シキョウは湯呑を空にした。

「あのぅ……よろしければ、お茶のお代わりとかもらえません?」

「は、はい」

 ムガイはおずおずと、シキョウから湯呑を受け取る。この時シキョウは、密かにムガイの赤くなった手……特に掌に注目した。


 一方の警部は、収穫なしと分かった時点で、明らかに帰りたそうにしていた。

 しかし、シキョウがムガイと雑談を始めてしまったので、帰る時機を逃がしてしまう。

「へえ、そうですか。奉公に出ていたのですか。ちなみに、どちらのお屋敷で?」

「ええと……ずい分昔の話なので、よく覚えていません……あの、何か?」

 訝るムガイに、シキョウは手を振る。

「いやいや、只の興味本位の質問です」

 ここで痺れを切らした警部が、彼の首根っこを掴んで、無理に立たせた。

「突然、邪魔をして済まなかった。我々はこれで失礼する」

「お邪魔しました」

 ミズチも丁寧に頭を下げた。


 ……結局、この訪問は空振りに終わってしまった。その後も警察は、有力な手がかりを見つけることができず、ただ時間だけが過ぎて行った。

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