舞うが如く第4話「刀剣好きにはご用心」

舞うが如く第4話-1「刀剣好きにはご用心」

 乾いた冬風が吹く真夜中。役人のシキョウは、かけ蕎麦をたぐっていた。

 たとえ文明開化の時代であっても、たとえ寒い冬の夜であっても、蕎麦の行商人達は、鍋や具材を屋台に入れて担ぎ、蕎麦を売る。

 蕎麦を頼んだ客に席は用意されない。屋台の前で立ち食いをするのだ。


「寒い日は温かい蕎麦ですねえ」

 シキョウは嬉しそうに言った。

 ひき締まった蕎麦麺が、濃い目のつゆの中で絶妙な旨味を作り出す。具材が少ないからこそ、この素朴で奥深い味を楽しむことができる……らしい。

(良く分かんないけど)などと心内で呟きながら、熱い蕎麦に向かい続ける。


(……おや?)シキョウは不意に、人の足音に気付いた。

 両足が交互に地面を蹴る音、不規則な息遣い。全速力。それも、何かに追われている時の走り方である。

「あんだ?」蕎麦屋も足音に気付いたらしく、担ぎ屋台から顔を突き出した。

 

「誰か……誰かあ!」

 男が一人、暗闇の中を駆けて来た。着物は崩れて殆ど半裸、しかも、肌身は血で真っ赤に濡れていた。

 よほど周りが見えていないのか、ガス灯に肩をぶつけてよろめいてしまう。それでも、もつれた足をじたばた動かして、前に進もうとする。

 やがて血まみれ男は、屋台の前でばったり倒れ、そのまま動かなくなってしまった。


 蕎麦をすすりながら、シキョウは倒れた男に近づく。そして、片ひざをついて様子を伺った。

「あらら。死んでますね」

 のんびり答え、またそばをひとすすり。

 顔を青くした蕎麦屋も、おそるおそる死体を覗きに来た。

「警察、呼ぶか?」

「うーん。夜警さんが巡回していると良いんですがねぇ」

 ズルズル。もぐもぐ。シキョウは箸を止めない。


「旦那。ホトケの前でよくまあ、メシが食えるな?」

 不気味がる蕎麦屋に、シキョウは柔和な微笑みを作って、「麺が伸びたら、美味しく無くなるでしょう?」と答えた。

「うへえ、血も涙もねえとは、この事だ」

 呆れた蕎麦屋は屋台を畳み始める。


「嫌だ、いやだ。お客さん、お代は良いからさ、早く丼を返しておくれ」

「まだ熱々で食べきれてないのに」

 と、シキョウが不満を呟いた……その時。


(殺気!?)

 を察知して、シキョウは急ぎ顔を上げる。

 

 勘は的中。何者かがシキョウ目がけて、走り迫ってきたのだ。

 しかもその襲撃者は、両端に刃を備えた杖を手にしていた。まったく見慣れぬ武器であった。

 眼前に迫る襲撃者へ、シキョウは丼を投げた。空中を舞う丼から、熱々のがこぼれ、襲撃者の体を濡らした。


 高温の液体をかけられて、襲撃者は転倒。この隙にシキョウは、くるりと踵を返し、駆け出した。

「おじちゃんも走って!」

 シキョウは蕎麦屋の腕を掴み、共に逃走した。


………………


「……それで、全速力でここまで逃げて来た?」

「そうなんですよ、警部殿。いやあ、死ぬかと思いました」

 警察署の手狭な部屋で、シキョウは聴取を受けていた。すっかり顔なじみとなってしまった警部は、一連の出来事を聞き終えると、眉間にシワを寄せた。


「貴様といい、あの小娘といい、どうしていつも、血生臭い事件ばかり引き寄せる」

「どうしてでしょうねえ」

 シキョウはとぼけ返す。警部は返答に腹を立てたが、ぐっと堪えた。

「……まあ、とにかく。今日の所は大人しく帰れ。念のため、手隙の巡査をつけてやる」


 その後、解放されたシキョウは、警官に付き添われながら部屋を退出した。その時、偶然にも警官達の話し声が耳に入った。

「さっき浪人が殺されたらしいな」

「今回も刀が無くなっているんだって」

「ああそうだ。半月前にも大店の主が殺されて、刀が盗まれただろう。同一犯だと思っていいな」


(殺した人間の刀を盗む?)

 とぼとぼ歩きながら、シキョウは考えを巡らせた。


…………………


 翌日。

 市内の道場で男達の悲鳴が響いた。

「情けないなあ、おなごの声で鳴くなんて」

 女剣士のミズチは呆れ顔で声の主たちを見た。視線の先には、つま先立ちでガチガチ歯を鳴らす門弟たちがいた。


 このファルカタの武術道場では、冬の季節に朝一番で寒稽古を催すのが、習わしとなっていた。いま現在、道場の戸や窓は全開に開けられ、水気たっぷりの冷気が吹きこんでいる。

 その中でも、木板の冷たさは尋常では無かった。門弟たちの素足はすっかり赤くなっている。一方、足のない竜人族のミズチは、身体を浮かせて、末端の尾を床から離していた。


「み、ミズチ殿は浮いているから平気なんだ」

「あなたも、その大きな尻尾を床に着けると良い」

 門弟たちが抗議の声をミズチにとばす。

「やれやれ。分かりました、分かりました。まったくみなさん大げさ……」

 ミズチは着陸と同時に口を閉ざした。そしてすぐに、無言無表情で再浮上。

「やっぱり冷たいんだろう!」

 詰め寄られたミズチは何も言わず、ただ気まずげに俯いた。


「まったく情けない! 精神がたるんでおるから、寒さに勝てぬのだ!」

 門弟達がやいのやいのと騒いでいると、師範代のガボが道場に入ってきた。

 大グマのように大柄なガボは、道着を脱ぎ捨て、毛むくじゃらの上半身を外気に晒し始める。

「良いか貴様ら! 健全な肉体の前では、いかな寒さも児戯同然! ほうれ、これを見るが良い!」

 そう言うと、師範代は霜の降り積もった庭へ裸足で駆け降り、隆々とした筋肉を見せつけ始めた。


「絶対、あの剛毛で寒さを感じていないだけだ」と、童顔の門弟がぼやく。

「同感」ミズチは同意の頷きをした。

「それと、ミズチ! 稽古の後で、オレの所に顔を出せい!」

 ガボは芸術性をこめたポージングを繰り出しながら、ミズチに言う。呼ばれた側は、得体の知れない悪寒に襲われた。



 ……稽古後、ミズチは応接間で天敵と対面した。警部である。

「まさか兄上の道場に、小娘がいるとは」

 と、警部は目元をヒクヒクさせた。

「まさかお前が、ガボ師範の弟だなんて」

 ミズチも不機嫌顔を作り、尻尾をせわしなくパタパタ動かした。


「ふん! こんな男を、弟とは思いたくないが、今は堪えるとしよう!」

 警部の兄、ガボが部屋を震わせる程の大声で言う。ミズチと警部は、耳を塞ぎたくなるのを堪えた。


「それでゴマ警部殿。今日は何の御用で?」

 ミズチは警部の名前を呼び、上目遣いに睨む。

「貴様の連れが昨日、殺人事件に巻き込まれた。しかも、下手人に襲われかけ、署まで逃げて来た」

「連れって、まさかシキョウ?」目を丸くするミズチ。


「まあ知人が事件に巻き込まれたのだから、驚くのも無理は……」

「あいつ、連れでも何でも無いんだけど?」

 ミズチの返答に警部は戸惑う。咳払いで誤魔化した後、話を再開した。

「それで、だ。あの役人を襲った者は、両端に刃のついた杖を持っていたそうだ。そのような武器に、心当たりはないか?」

 警部の質問に、ミズチは腕を組んで悩む。


「ボクには心当たりがありません。師範は?」師範に水を向ける。

「右に同じ! そのような面妖な武器など、知らぬ!」

 またも大声で答えるガボ。ミズチは反射的に上体を傾けて、声から逃げた。

「しかし、奇抜な刀剣を集めていた剣客なら、よく知っている! トロンザという男で、剛刃新陽(ごうじんしんよう)流の道場師範であった!」

「であった?」警部は過去系に引っ掛かりを覚える。

「左様! 二年前に道場を去り、町外れへ移り住んだ! 忌々しい事件のせいでな! ヤツは今、剣術の世界からも追放されておる!」

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