舞うが如く第4話-4「刀剣好きにはご用心」
浪人殺しの事件から三週間が経過し、その間に季節は秋から冬へと移り変わった。
夜中は荒れた風雨に雑じって雪が降り、翌朝になると乾いた寒風が吹く。
そのような日々を繰り返し、また一段と寒さが厳しくなったある時、警部がファルカタ道場に警部が訪れた。
従僕不在で、止む無くミズチが彼をガボ師範のもとに案内する事になった。
警部は仏頂面で前を行くミズチに尋ねる。
「……オレを案内するのが、そんなに不服か?」
「アンタではない。今日は、アイツのせいだ」つっけんどんに答えるミズチ。
「アイツ?」
疑問はすぐに解決した。ミズチが部屋の戸を開けると、見飽きた男が待っていたのである。
「やあ警部。先にお邪魔していました」
と、シキョウはのほほんと言う。警部は何か言おうとして止めた。
ようやく気付いたのだろう、この男に怒りを向けても無駄だと。ミズチはそう思いながら、胡乱な小役人を冷たい眼差しで睨んだ。
「風の噂で聞いたんです。今日、ファルカタ道場に警部がお邪魔するって。もしかして、例の事件に何か動きでもあったのかなあって」
ニコニコと能天気に言うシキョウ。
「どうして、こんな胡散臭い男を入れたんだ、兄者?」
シキョウを無視して、警部は兄で道場師範のガボに尋ねた。
「この男は国税調査で参った! よって、協力した次第!」
ガボ師範は通り過ぎる大声で答えた。
「用件は一刻前に済んだのに」
ミズチは小役人を冷たい目で射抜く。
「外が寒くて、帰るのが億劫でね」
頭を掻いて苦笑いを作るシキョウ。ここでようやっと、調子を取り戻した警部が、話題をきり出した。
「この役人の言う通り、今日は浪人殺しの件で参った。警察はこの数日間、質屋から刀を買った客を探し回っていた。脚を使って方々へ出向き、ようやく刀を買った客達を突き止めることができた」
(まるで自分で究明したように言っちゃって)
と、シキョウは心の内でぼやいた。彼は情報屋を通じて、密かにキメキの目録を警察に送っていたのである。
目録をもとに捜査が進められたとすると、警部が誇るのは、何だか筋違いに思えてしまった。
(でも、頑張ったのは間違いない。お疲れ様、警部)
シキョウはボサボサ頭を掻いて、こっそり苦笑。
徐に、警部はガボ師範に詰め寄った。
「兄者。あなたは半年前、質屋から刀を買ったな!」
「然り! まさかトロンザの刀だったとは、気付かなんだ!」
ガボは警部に顔を近づけて、叫び返した。キーンという甲高い音が、ミズチの耳の中でこだまする。シキョウも耳を塞いで眉をひそめた。
「盗まれた二振りの刀は、いずれもトロンザが、勘定奉行キメキ様の屋敷から持ち出した刀であった。そして、兄者が持っているというトロンザの刀も……」
「屋敷から持ち出された刀である、と」ミズチが横から口を挟む。
「此度の犯人は、キメキ様の刀を狙って強盗に及んでいる可能性がある。となると、いずれこの道場にもやって来るやもしれん。兄者、刀を警察で預からせてはくれないか?」
警部はまっすぐ、ガボの顔を見た。
「断る!賊に背を向けるなど、
ガボ、即答。当然、警部は激怒した。
「時代遅れな戯言を抜かすな、糞兄者!」
「黙れ、愚弟!」
突如始まった兄弟の口論。ミズチとシキョウは、うんざり顔で部屋から抜けだした。
「警部さん、言い方を間違えましたね」シキョウは頭をボリボリ掻く。
「あの様子だと明日まで言い争うぞ。刀の処遇は、しばらく保留か?」
ミズチは部屋に背を向け、呆れた面持ちで言った。口論は廊下にまで響き、壁や床をビリビリと震わせた。
「それとも、本来の持ち主に確認を取るとか」シキョウが不意に口走る。
「持ち主?」
「トロンザの奥さんです。ご主人の刀なのかどうか、見てもらいましょうよ」
唐突な提案にミズチは狼狽える。
たぶん、いつものように重大な情報を知った上で、わざと焚きつけているのだろう。何度も荒事に巻き込まれたミズチは、そのような考えに至った。
胡散臭い男の提案は、当然断るべきだ。しかし、断ったら断ったで、何だか味気ないような……。
(いかん!)
ミズチは我に返り、後悔した。
(これではまるで、自分から荒事を望んでいるようではないか!)
「どうしました?」
シキョウは徐に、ミズチの顔を覗きこむ。
「何でも無い。し、しかしだな。ムガイは刀のことなど、ちっとも知らないと申していただろう」
平静を取り繕い、質問する。
「そうでしょうか? 実は、ちょっと引っかかる事があって……」
それからシキョウは、ミズチに様々な話を打ち明けた。
……………
その日の夜。
ミズチとシキョウは、ムガイのもとを訪れた。ミズチが持参した物品を見るや、ムガイは驚いてみせた。
「か、刀ですか。もしや、それは」
「はい。ご主人が質屋へ売り渡した刀です。さる道場師範が所蔵していました」
説明をするミズチであったが、実の所、心境は複雑であった。
(先生、勝手に持ち出してご免)
シキョウの口車に乗せられる形で、ミズチはガボの部屋から、件の刀を持ち出したのである。
もちろん唆した本人は知らん顔。供された茶を飲み、他人事のように二人のやり取りを見物していた。
(こうなったら、どうにでもなれ!)
ミズチは肚を決め、口を動かす。
「銘は『新月』というそうです。どうぞ、ご覧ください」
二人の視線を集めながら、女剣士は桐箱の蓋を開けて、刀を取り出した。
寸法、見てくれは、普通の刀と大差ない。しかし、赤い鞘から抜いた途端に、異形は姿を現した。
「なんと奇妙な……」シキョウは、ぽつりと声をもらした。
新月の薄刃は、通常の刀とは逆の位置、湾曲した刀身の内側にあった。
「持ってみますか?」
刀を鞘に納めたミズチは、ムガイの前に新月を差し出した。
「……これが、あの人の刀」
ムガイは新月に手を伸ばした次の瞬間、突然、ミズチが彼女の細い手首を掴んだのである。
「な、何なの!?」
狼狽するムガイ。ミズチは一言も答えず、険しい顔付きでムガイの掌を凝視。
「どうです、ミズチさん?」
胡坐をかいたまま、シキョウは尋ねた。薄口の顔には、いつもの柔和な笑みが貼りついている。
「貴様の言う通りだ。手に胼胝がある。ムガイ殿。貴女は刀も剣術も詳しくない、と言っていた。では何故、剣を振るわなければ出来ない胼胝が、貴女の手にある」
ミズチの手にも同じ胼胝があった。場所も厚みもほぼ一緒。毎日欠かさず、木剣を振る習慣を持っている、何よりの証しである。
ミズチの指摘に続き、シキョウが尋ねた。
「それともう一つ質問。火傷は治りましたか?」
「やけど?」
ムガイは同じ言葉を繰り返す。
「とぼけちゃって。浪人を殺したあの晩、私に熱い蕎麦つゆを掛けられて、火傷したじゃないですか。傷は隠せても、薬の匂いは隠せませんよ」
この不意をついた二人の追及に、ムガイは……
「ふふふ」
静かな哄笑で応えた。
同時に細めた目に、どす黒い殺気が宿った。
咄嗟にミズチはムガイの手を離して距離を取る。シキョウも新月を抱えて、ミズチの背後へ逃げた。
「二人の人間を殺し、刀を盗んだのはお前か?」
ミズチはムガイの放つ殺気に臆さず、尋ねる。
「盗んだ? ちがう。取り返したの。妾の大切な子どもを」
コロコロと笑うムガイに、罪の意識など微塵も感じられなかった。
「そうでしたね、オトギさん。元はと言えば、あなたの御父上、キメキ様のものでしたっけ?」
口を挟むシキョウ。
「妾の名前まで知っているのなら、生かして帰すワケには行かないな。だがその前に……新月は返してもらう!」
ムガイの両袖から鎖が飛び出す。鎖の先端には、小刀が取付けられていた。
「それは妾の子だッ!」
彼女は鎖付き小刀を天井の目掛けて投げ、梁に鎖を巻き付ける。そして、力をこめて引き、梁を落とした。
「あっ」ミズチ達が驚く間もなく、天井がゴロゴロと崩れ落ちた。
降り注ぐ藁に呑まれたミズチは、全身をジタバタさせて、脱出を試みる。
「シキョウ、刀を……刀を渡すなあ!」ミズチは胡散臭い味方へ必死に叫んだ。
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