舞うが如く第3話-4「ナマズ侍は暴れん坊」
店に入ってきた客人は、魚面であった。
「あらあら、ドジョウノ介さん。御久しゅうございます」
夫人が親しげに名を呼ぶ所から、馴染の客らしい。
(ドジョウ?)
ミズチは扇子をあおぐフリをして、ドジョウノ介の顔を覗く。
現れた魚人間は、ドジョウという名前に似合わず、重量感があった。そして、彼の魚面は、明らかにナマズであった。
ミズチの脳裏に、渦中の人物である、ナマズ公の名前がよぎった。もし仮に、この男がナマズ公本人だとしたら……。
(ちっとも隠せていないぞ!)
ミズチは心の中で叫んだ。
「旅はどうでしたか、ドジョウノ介さん?」と、夫人が尋ねた。
「いやはや、刺激的な道中であったよ」
世間話をしながら、ドジョウノ介は座敷までやって来た。体格の割に身のこなしは軽やかであった。
「そちらの女性は?」
ドジョウノ介はミズチに顔を向ける。
「初めまして。ノエ・ミズチと申します」と、ミズチは名乗る。
「執政主様の客人だそうですよ」横から店の主人が言ってきた。
執政主カクハの名に、ドジョウノ介は微かな反応を示した。
「ほほう。そうでしたか、そうでしたか」
腰を下ろすドジョウノ介。刀を手元に置いて座る一連の動作に無駄はなく、無警戒に接しているようで、その実、いつでも刀を抜けるよう、精神を研いでいた。
(この男、できる)
ミズチは唾を呑み、刀を持っていない事を悔んだ。これでは勝ち目がない。目の前の魚人間は、油断ならぬ大物であった。
「拙者、ウナギ・ドジョウノ介にございます。以後、お見知りおきを」
ドジョウノ介は、にっこり笑顔で名乗った。
(もう少し捻って! ちっとも偽名になってない!)
ミズチは叫びたくなるのを堪え、慎重に尋ねる。
「失礼ですが、あなた様は、ダ権守様の屋敷の方でしょうか?」
すると、ドジョウノ介は大きな口を開けて笑いだした。
「そう思ってしまいますか、やはり。拙者、面妖な魚面ではございますが、ナマズ公とは縁もゆかりもない、只の貧乏素浪人でござる」
(ツッコミが追いつかない!)ミズチは歯を食いしばり、更に堪える。
こっそり雑貨屋の夫妻を覗き見ると、二人そろって複雑な表情になっていた。二人も、ドジョウノ介に「言いたくても言えないこと」があるのだ。
(止めて、ナマズ公! 正体バレてるから! これ以上、周りに気を遣わせないで!)ミズチは心の中で叫び続ける。
すると、雑貨屋の主人が苦し紛れに話題を変えて来た。
「ところでな、ウナギの旦那。この御嬢さんの為に、少し力を貸しちゃくれねえか。ほれ、御嬢さん。話してみろよ」
水を向けられたミズチは、ビクビクしながら、連れ合いが「昔の男」に追われているとだけ打ち明けた。
いっそ、目の前の関係者に白状してしまおうかとも考えたが、話がややこしくなるので止めた。
まもなく……。
事情を訊き終えたドジョウノ介は目付きを変えて尋ねた。
「拙者で良ければ助太刀いたすが?」
「いえ……これ以上、皆さまにご迷惑をおかけする訳にはいきません。刀と場所さえあれば、ボク一人で何とかするつもりです」
「フムン」
ドジョウノ介は着流しの懐から手を出し、長い口ヒゲを弄った。
(ばれたか?)ミズチの背中に汗が噴き出る。
「ならば、裏の丘を登った先にある、マジマン
「かたじけない。しかし、どうして……」
ここまで良くしてくれるのか。そう尋ねようとしたら、先にドジョウノ介は快活な笑顔で答えた。
「すまんな。歳をとると、ついついお節介を焼きたくなってしまうのだ」
……………
ミズチとドジョウノ介の邂逅から更に数刻後。
「寒いなあ」
シキョウはミズチの愛刀を担ぎ、のんびり石の階段を上っていた。冬間近のせいで、太陽の沈む時間はとても早い。あと数分も経たずして、太陽は西に沈みきってしまうだろう。
カクハの屋敷に届けられた電報には、テダキザの不始末と集合場所が、短文で綴られていた。
シキョウが指定された雑貨屋に向かうと、ミズチは気絶した女子を連れ、出立していた。行先はマジマン寺という尼寺であった。
雑貨屋を出て行く直前、主人は物憂げな顔でこんな事を口走った。
「先ほど、危ねえ手合いを連れた若者が来まして、ミズチ様の行方を尋ねてまいりました。適当に嘘を言って
「時間の問題かな」階段を上りながら、シキョウは呟く。
テダキザは完全に暴走している。決斗を強調するあまり、怯え竦んで外道な手段へ逃げてしまったらしい。こうなったら、どんな汚い手でも平気で使ってくるだろう。それを時代遅れの剣客は、どのように切り抜けるのか。
(愉快、愉快)
これから拝めるだろう見世物に心を躍らせていると、右手の雑木林から、叫び声が聞こえてきた。
「待てえぇ!」続いて轟く乱暴な胴間声は、ミズチのものである。
「もう始まったんだ」
林に入ったシキョウは、木陰から飛び出した何者かとぶつかり、尻もちをついた。
ぶつかって来たのは若い娘だった。大きな瞳を潤ませ、赤く腫れた額を両手で抑えている。
「だ、誰?」
娘は小さな狸顔を青くした。目鼻立ちは悪くないし、年相応の柔らかそうな肌をしている。状況が違えば惹かれたかもしれない、とシキョウは思った。
「まさか、あんたもテダキザの……」
這って逃げようとする娘を、シキョウは首根っこを掴んで持ち上げた。
子どものように小柄で、とても軽かった。
「やっと追いついた!」
ミズチが樹上から滑空してきた。そして、シキョウの顔を見るなり、
「何で貴様が来る!?」
と、叫んだ。
「失礼な言い方ですね。元はと言えば、交渉に失敗したアナタが……」
「黙れ、だまれ。不可抗力だ。ボクに非はないぞ。あのキザ野郎が勝手に乱心したのが……」
「そんなことより降ろしてえ!」
口論を裂くように娘が泣き叫んだ。
…………
尼寺に戻った三人は、本堂でヒザ(ミズチだけ尻尾だが)をつき合わせた。
「この娘がナマズ公の花嫁ねえ」
シキョウは捕まえた娘……イハをしげしげと眺めた。
「見るな、バカ」
額を水袋で冷やしながら、イハは不機嫌に言った。
「すんません。ホント、マジですんません」と、ミズチは素直に謝る。
「……もういいわよ。あのテダキザから、あたいを助けてくれたみたいだし。それでチャラにしましょう」
「面目ない」
一方のシキョウはマイペースに質問を始める。
「そもそも、何でテダキザはあなたに拘っているので?」
空気の読めないのんびり屋に辟易しつつも、イハは事情を明かす。
「前からあの野郎に、しつこく言い寄られてたの。町で合わない様、あれこれ試したんだけど、全部ダメ。あたいの行く先々に現れては、愛だの何だの、うるさいったらありゃしない」
「へえ。災難でしたねえ」
同情の言葉を口にするシキョウだが、明らかに心が籠っていなかった。
「たわけ」むっとしたミズチが、扇子でシキョウの頭を叩く。
「あんなの好みじゃないし、ハッキリ嫌だと言ったんだけど。それでもあの野郎、付きまとうのを止めなかった」
「なるほど。あの男、ストーカーだったのか」と、ミズチがぼやく。
「すと……?」
聞き慣れない外来語に首を傾げるシキョウだったが、彼を置き去りにして話は進んだ。
「そんな時に、以前から顔馴染みだったお侍さんが力を貸してくれたの。他の男に嫁いだと噂を流せば、テダキザも諦めるだろうって。それで暇を貰って、あの屋敷に隠れてたってワケ」
「しかし、あの男は諦めず、誘拐未遂まで起こした。にしても、とんでもない御仁と知り合いだったんですね、貴女は。元剣術指南役のダ権守様ですよ。一体、どうやってお近づきに……」
「誰よ、そいつ?」
イハはキョトンとしと顔つきになる。思っても見ない返答に、ミズチとシキョウもポカンと呆けた。
「あたいを助けてくれた侍は、ウナギ・ドジョウノ介様だよ。ダ権守だなんて男、知らない」
ウナギといえば、雑貨屋でミズチを助けた素浪人である。彼はまさか、女剣士がイハを預かっているとも気付かず、尼寺を紹介したという事になる。
(ああ、ますます話がややこしくなってきた……)
ミズチが頭を抱えている間に、シキョウが質問する。
「でも、あなたはダ権守の屋敷にいた筈では」
「そうなの? ドジョウノ介様は、親戚の屋敷だと仰っていた。御好意で部屋を借りたとか何とか。ちょっと、どういうことよ?」
三人が困惑顔を見合わせる。と、その時。本堂に歳若い尼が駆け込んできた。
「お、表に無頼どもが! イハさんを出せと騒いでおります」
「どうして次から次へと面倒が起きる!?」
ミズチは刀を持って立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます