舞うが如く第3話-3「ナマズ侍は暴れん坊」
しばし後、放心していたテダキザがむくりと体を起こした。
「イハさん……助けに行かねば!」
「たわけ。そのようなことをしたら……」なだめようと手を伸ばすミズチ。
だが、彼女は異変に気付き、手を引っ込めた。
脂汗を浮かべ、血走った眼を爛々と輝かせるテダキザ。彼は口の端に泡をつけながら、大声でしゃべりだした。
「屋敷も使用人も、怪しさの塊だ。どこもかしこも、名状しがたい不快感に溢れている。間違いない、ナマズ公は邪な狙いがあって、イハさんをこの屋敷に連れ去ったのだ! ああ、ああ、何ということだ!」
「馬鹿も休み休み言え。というか、黙れ。騒ぐと人が来るぞ」
当て身を使うべきかなと、ミズチは本気で思案する。
「きっと地下では、秘密教団がおどろおどろしい儀式をしているに違いない。イハさんは祭壇に寝かせられ、ナマズ公によって生きたまま心臓を……いやあああああああああああっ!」
テダキザは半狂乱になって叫びながら、客間から飛び出した。
「おい、落ち着け。戻ってこい!」
慌てて追いかけようとするミズチだったが、背後から異様な重圧を浴び、動きを止めた。
おそるおそる振り返った。風景に変わりはない。変わったモノ、怪しいモノは例の油絵だけである。
(まさか……テダキザは本当に狂ったのか。あの絵のせいで?)
ミズチは懐から懐剣を取り出した。いつもの湾刀に比べ、あまりにも頼りない。しかし、今はこれ以外に術はないのだ。
いあ……いあ……。
またもや幻聴が彼女を襲う。今度はハッキリした声だった。
いあ……いあ……。
無数の声がミズチの周りを蠢き、彼女に呼びかけて来る。
ミズチはとぐろを巻いて床に座り、抜身の懐剣をそっと尾の上に置いた。
眼を瞑り、呼吸を整え、精神を研ぎ澄ます。
ふんぐるい……ふんぐるい……。
むぐるうなふ……うがふなぐる……。
ついに彼女は捉えた。
名状しがたい「闇」の正体を。
この世のモノとは思えぬ、理解しがたき存在を。
ミズチは目を瞑り、心でソレを真正面から見据えた。
やがて闇は、ぶよぶよした半固形状の物体に姿を変え、天井からミズチ目がけ、落ちてきた。
「……そこだっ!」
かっと目を見開いたミズチ。彼女は懐剣を取り、降り掛かる闇を斬り払った。
オオオン……オオオン……。
「クソっ。仕損じた!」
本能で悟ったミズチは跳ね起きて、逃げた闇を探す。
しかし……部屋じゅう見渡せども、闇は見つからない。直前まではっきりと知覚できていた気配すら、消え失せていた。
肩で息をしながら、女剣士は手にした懐剣に目を落とす。
「手ごたえはあったのに」
あ然としていると、不意に階下から悲鳴が響いた。
「まさか、あの馬鹿男が?」
ミズチは油絵に出来た刀傷に気付くことなく、部屋から出て行った。
……………
案の定、騒ぎの主はテダキザだった。
蒼白な顔で、言葉にもならぬ絶叫をあげながら、長い廊下を全力疾走している。しかも、肩に袋を被った娘を担いでいるではないか。
袋被りの娘がイハであることは、容易に想像がついた。
「おまっ、お前。お前ええぇぇっ!?」
ミズチは絶望した。テダキザは、よりにもよって誘拐という愚挙に出てしまったのである。
嗚呼。あの時、出て行くテダキザを無理やりにでも止めるべきだった。女剣士は後悔した。それも、最早手遅れではあったが。
テダキザは全速力でミズチの前を通過し、外へ飛び出した。
「奥方様がさらわれた! 皆の者、出会え……出会えぇ!」
廊下の奥からマーシュの叫び声が聞こえてきた。声に呼応して、あちこちの部屋が騒々しくなる。すぐに手下たちが廊下に飛び出し、テダキザを追いかけるに違いない。
「おじ様、ごめんなさあぁい!」
ミズチも身を翻して外へ逃げた。テダキザは既に門まで達しており、今は鍵を開けるのに苦心していた。
屋敷からは棍棒や手槍で武装した中間達がわらわらと出て来た。
振り返ったミズチはギョッとした。
中間たちは皆、魚面であった。ミズチは宇宙的混沌を垣間見た気がして、背筋を凍りつかせた。
「待たぬか、乱心者おぉ!」
「うわあああっ!」
ミズチは必死に尾を振って、矢の如く飛翔。何とか門までたどり着く。
しかしテダキザの方は既に馬車へ乗り込み、御者に喚いている所だった。
「早く出せ!」
馬車が動く。ミズチを置いて。
ミズチは顔を真っ赤にして馬車を追いかける。馬が走り出したばかりだったのが幸いし、すぐに車体へ貼りつくことが出来た。
そして、力任せに扉を引きちぎる。
「止まれ!」
「いやだ!」
テダキザは即刻拒否。あろうことか、護身用拳銃をミズチに向けた。
咄嗟にミズチは尻尾を振るい、テダキザの顔を殴って昏倒させる。しかし、彼の手にはまだ銃が握られている。更に運悪く、銃口がミズチから娘に傾いてしまう。
このままでは暴発して、娘が傷つく。咄嗟に女剣士は娘の着物を引っ張り、暴走馬車から飛び降りる。間髪入れずに銃弾が飛び出し、娘がいた場所に穴を開けた。
ごろごろと、ミズチは娘を庇いながら、畦の中を転がる。ようやく止まった頃には、泥だらけになっていた。
「……あいつ、今度会ったらタダじゃおかないぞ」
走り去る馬車をミズチは睨んだ。それから、袋を被ったままの娘……イハを見て、顔をしかめる。
「それはそうと、まずいことになった」
…………
それから一刻後。
ミズチは道端に佇む雑貨屋に身を寄せ、休息していた。店を営む夫妻には詳しい事情を伏せ、一時だけ匿ってくれないかと頼み込んだ。
頼んだ相手が良かったらしく、夫妻は深く詮索せず、ミズチ達を招き入れてくれた。
「感謝いたします」
店主と夫人に、ミズチは深々と首を垂れた。
「こちらは少しばかりのお礼でございます」
と言って、持っていた金子を二人の前に置く。夫妻は目を丸くして戸惑ったが、結局は受け取ってくれた。
「ツレのお嬢さん、大丈夫かい? ちっとも目を覚まさないねえ」
と、夫人が心配そうに言う。未だ目を覚まさぬイハは、奥の寝床で寝ていた。
「見た所、怪我はないようです。おそらく心労かと思うのですが」
できれば早急に、カクハの屋敷に戻りたい所だった。いつテダキザが戻って来るとも限らない。場合によっては荒事にもなるだろう。急ぎ、武器が必要だ。
「馬を貸してやろうか。竜人さまでも、イカサまで歩くには骨だろう」
と、店の主人は店前の馬を見て言う。
「お気持ちに感謝致します。それよりも、一つ頼まれごとを引き受けてくれませんか?」
「無体な事じゃなかったら、いいぜ」
コロコロ笑う主人。ここまでのやり取りから、ミズチは夫妻をすっかり信用していた。
「つきましては、急ぎ電報を打って頂きたい……」
ミズチの願いを聞き入れた主人は、使用人を電報局に走らせた。
……その使用人と入れ違いで、客がやってきた。
「御免。主人はおるか」
分厚い体をした男だった。浅葱色の着流しに黒帯を締め、大小二本の刀を、腰に挿していた。
座敷から見えた客人の姿を見て、ミズチはまたもギョッとした。
髷を結った大きくて扁平な頭、つぶらな眼、二本の長い髭と広い口。
それはまぎれもなく、魚面であった。
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