舞うが如く第3話-2「ナマズ侍は暴れん坊」

 ナマズ公の結婚話が各所で衝撃をもたらす中、ミズチは小路の茶屋でくしゃみをしていた。

 乾いた風が地面の小砂を巻き上げたようだ。この数日はめっきり気温も下がり、風も日増しに冷たくなって来ている。

 じきに冬が来る。


 蓑で仕切られただけの粗末な茶屋では、寒空の下にいるのと、ちっとも変らない。ミズチは冷めた茶を一息に飲み干し、小さく溜息を吐いた。


「まったく。呼んでおいて遅刻とは」

 未だ来ない待ち人に、彼女はいささか腹を立てていた。もし世話になっているカクハの頼みでなければ、帰っていただろう。


(おじ様も無体なことを仰ってからに)

 彼女が着ているのは、男用の着物ではなく、橙色の長い巻衣であった。脚の代わりに竜の尾を持つ女竜人の服は、身体に巻き付けるようなモノが多いのだ。更に今日は、愛用の湾刀も帯刀していなかった。


(刀が無いだけで、こんなにも違うか)

 と、ミズチは眉をひそめ、体を左右に振ってみた。腰が軽くて無性に違和感があった。


 やがて、このような装いをしなければならなくなった原因が、ようやくやって来た。

「ミズチ様。遅くなり、申し訳ありません」

 減速する辻馬車の窓から、洋服に身を固めたテダキザが、颯爽と降り立つ。

 なぜか風が吹き、テダキザの髪をなびかせた。居合わせた茶屋の娘は、お盆を抱えたまま、テダキザに見惚れてしまった。


「普段の凛々しい姿とは打って変わり、今日はなんともお美しい」

「遅い。場所と時刻を指定したのは、そちらではないか」

 ミズチはばっさり不機嫌に言い捨てた。

「申し訳ない。馬車での移動に手間取ってしまって」

 と、若者ははにかむ。謝る姿さえ、絵になる美男子なのだが、ミズチは心の中でぼやいていた。

(この男は無いな)


…………


 二人を乗せた馬車は、ナマズ公の屋敷がある赤ムヶ池をめざし、舗装された道路を進んだ。


 ふと、ミズチは窓の外を見た。洋装をまとった人々、道路に建てられたガス灯や電柱、レンガ造りの新しい建物……。イカサ市は近代化の波に呑まれ、何もかもが目まぐるしい速さで変わって行く。


 ミズチは置いて来た刀に思いを巡らせる。アレもいずれは淘汰され、過去の遺物となってしまうのだろうか。

(刀以外に能があるのか、ミズチ)と、女剣士は自問せずには居られなかった。


 次第に、彼女の思考は今回の結婚騒ぎへ移り変わって行く。

 今までちっとも、結婚など意識してこなかった。今も実感が無い。

 しかし、いずれは……。

(せめて婿になる男は、ボクより強いヤツがいいな)


「あの、ミズチさん?」

 不意にテダキザが言葉をかけて来る。我に返ったミズチは面倒臭そうに彼を見た。

「カクハ様が申された決斗けっとうのことですが……」

「おじ様はお前の為を思って、名誉の傷つかない手段を挙げたんだ、感謝しろ。あと、介添人はボクが引き受けてやるから、安心して散って来い」

「で、ですが相手は元剣術指南役でしょう。もしかしなくても、決斗で命を落としたりしちゃうのでは?」

「何を当たり前のことを言う。命を賭けずして何が決斗だ。嫌なら、諦めろ。決斗を避け、示談へ持ち込む手もあるんだぞ」

 突き放すようにミズチは冷たく言う。


 これもカクハの指示であった。

 危険な決斗しかないと彼に思いこませ、その後で命が助かる手段、すなわち「諦める」という逃げ道へ誘うのだ。


 しかし、テダキザは顔を真っ青にしながらも、半狂乱になって叫ぶ。

「ワタシは諦めません! たとえこの身に何があろうと、イハさんを取り戻すためには、どんなことも……どんなこともしてみせます!」

「分かった。わかったから、唾をとばすな」

 ミズチは顔を逸らして溜息をつく。そして、一刻も早く目的地に着くように願った。

 

 それから……。

 馬車は市の中心部をどんどん離れ、目的地である赤ムヶ池に辿りついた。

 一帯には大小様々な湖沼が点在しており、僅かな陸地に木造の民家や田畑が佇んでいる。

 ナマズ公の住まいは一目で分かるぐらい大きな屋敷であった。

 広大な土地をぐるりと囲む石造りの塀に、分厚い正門。何よりレンガ造りの屋敷が、視る者を圧倒させる重厚感を放っていた。


「ここがあの男のハウスなのですね!」

 馬車から降りたテダキザが屋敷を睨みあげた。

「いいですか。事情の説明はボクがします。あなたは、絶対に口だしをしないでください」

 念を押すようにミズチが言い、テダザキは不服そうに頷く。


 ミズチは巻き衣の裾を正した後、門を叩いた。

 程なくして、しゃがれた声が門の向こうから返ってきた。

「……どなたで?」

「執政主カクハの使いで参りました。ノエ・ミズチと申します。ダ権守ごんのかみヒョウネン様に、御目通りを願いたい」

 門が半分ほど開き、隙間から顔がにゅっとでてきた。

 その顔を見て、思わずミズチ達は驚いた。


 とび出んばかりの大きな目に、鱗のようにヒビ割れた肌。鼻は平らで、たるんだ首の周りは、まるで魚のエラ。

 まさに魚面さかなづら。人と魚を掛け合わせたような顔であった。


「あ……ああ……」後ろに控えるテダキザは蒼白な顔でプルプル震えた。

 ミズチも言葉を失いかけたが、平静を取り戻して、話題を切り出す。

「あの、こちらはカクハ殿からの書状にございます」

 前もってカクハから渡された紹介状を懐から出した。

「左様でございますか」

 書状を受け取った魚人間は、濁った眼をギョロリと動かし、来客を見据えた。

「生憎、ダ権守様は留守にしております。おそらく、じきに帰ってこられるでしょう。屋敷でお待ちになりますか?」

 ミズチ達は顔を見合わせた。


「それでは一旦出なお……」

「ありがとうございます。ご厚意に甘えさせてもらいます」

 テダキザの言葉を遮り、ミズチは早口に言った。


 魚人間は無表情のまま門を更に開け、二人を招き入れた。

「では、ご案内いたします。申し遅れましたが、私はルルイエ家の用人、マーシュと申します」


 建物も庭も、豪華ではなく質素。それがむしろ非常に侘びており、視る者へ風流を感じさせた。一方で、屋敷の中は泥のような臭いが漂い、湿っぽい空気が漂っていた。それが風流を見事なまでに殺し、異様な世界を作り出している。

 どんより曇りだした空模様と相まって、雰囲気はより不穏なものとなっていた。


「もし。ダ権守様はどちらへお出かけになったのですか?」

 ミズチは先導するマーシュに質問をする。ひょこひょこと歩く身のこなしから、前にいる魚人間は、おそらく老人だろうと見当をつけた。

「さて? いつも行先も告げず、出かけるものですから」

 魚老人が応えている間に、女中たちの集団とすれ違った。

 一様に目が大きく、鼻は小さな孔にしか見えないほど低かった。人間の面影を残しているが、やはり魚のようであった。


……………


 ようやく屋敷の客間にたどりついた頃、テダキザの顔はやつれていた。革の椅子にどっさり座り、ため息と呻き声を同時に吐く姿は、憐れなものであった。

(お前が主役だろうに)

 呆れかえるミズチだったが、次の瞬間、彼女もショックを受けて言葉を失った。


 彼女が目を向けたのは、壁に掛けられた油絵である。

 描かれているのは、タコのような顔をした巨人……もしくは悪魔……であった。巨人は、下半身を荒れ狂う海に沈め、降り注ぐ無数の雷を浴びていた。


 いあ……いあ……いあ……いあ……


 やがて、ミズチは幻聴に襲われた。神経を逆撫でするくぐもった音が、耳の内側から轟き、脳を揺らしたのである。

「これは……」

 彼女は名状しがたい恐怖から顔を背けた。


「マーシュさん。この絵は?」

 退室しようとする魚老人に、ミズチは質問した。

「クスル神さま。ルルイエ家発祥の地で崇められている、水神様でございます。では……お茶を淹れてまいります」

 そう言って、マーシュは客間を後にした。


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