舞うが如く第3話「ナマズ侍は暴れん坊」

舞うが如く第3話-1「ナマズ侍は暴れん坊」

「……執政主しっせいぬし様。あなたらしくないですね」

 市役所の役人、シキョウは首を左右に振った。

「ふむん」

 寝台の上から、カクハも浮かない顔をする。市議会の重職の一つ、執政主である彼は、これまでに何度も難しい局面を、つど乗り越えて来た。病に倒れた今も、優れた慧眼けいがんは鈍っていないと、専らの評判である。


 そんな彼が判断を誤った。間違いは誰にでもあるし、ふとした拍子に必ず起こるものだ。しかし、今回ばかりは致命的な失態だと、シキョウは思った。


「あの時は名案だと思ったのだがなぁ」

「思いきり見誤っています」

 いつもニコニコしているシキョウが、いつにも増して、嬉しそうにしている。

 他人の失態がよほど愉しいのかもしれないと、カクハは部下を疑った。


「ミズチ様に仲裁を任すなど。ご無体ですよ、ええ」

 竜人の女剣士であるノエ・ミズチは、修行の為にカクハの屋敷に滞在している。

 二十歳を迎えたばかりの娘でありながら、剣の才能に溢れ、何度も荒事をくぐり抜けている。

 そんな女剣士に、執政主のカクハは仕事を頼んだ。

「よりにもよって色恋沙汰の仲裁とは。男より剣を恋い慕う戦乙女が、面倒複雑怪奇極まる、人類史上最大の難問を、キレイに解決できるとお思いで?」

 シキョウの穏やかな口調には、濃厚な毒が含まれていた。毒に参ったカクハは、大いに落胆した。

「やはり……失態だったかなあ」


……………


 それは先日のこと。カクハの屋敷に若者がやって来た。

 若者の名はテダキザ。イカサでも五指に入る、大商家の嫡男である。彼は「爽やか」とか、「眉目秀麗」などという言葉を体現したような美顔を持ち、舶来の洋服で身を固めていた。


 たまたまカクハの書斎にいた女剣士のミズチは、突然訪れた美男子に面食らった。そればかりか、逃げ遅れたが為に、そのまま会見に同席するハメになってしまった。


「こちらで奉公をしていた、イハという娘が暇を貰ったと聞きましたが、本当でしょうか」

 テダキザは切羽詰った顔で切り出した。

 を感じながらも、カクハは正直に答えた。

「おりましたとも。よく働く娘でした。何でも郷里に戻り、嫁入りの支度をするとか申していましたな」

 イハはミズチと同い年の娘で、三年ほど前から屋敷で働いていた。彼女が暇を申し出たのは一月半前、ちょうどミズチがやって来る前の事であった。

「イハが何か?」と、カクハは伺う。


 テダキザは真剣な面持ちで話し始めた。

「恥ずかしながら、私は彼女を本気で愛しておりました。きっと近い内にワタシの思いを打ち明け、添い遂げようと考えておりました」


 あまりにも真剣すぎる態度に、ミズチとカクハは微かな不安を覚えた。

「しかし、イハさんはお嫁に行ってしまわれた。カクハ様はご存知でしょうか。彼女の嫁ぎ先を」

「いいや」

「あの、悪名高い『ナマズ公』です!」

 テダキザは両拳を握りしめ、大声をあげた。


「はあ。うん……悪名?」

 カクハは目を瞬く。言葉に引っかかりを覚えたらしい。

「そうです。異国に出自を持つ奇相の男。名状しがたき神々を崇拝する邪教徒であるとも噂される、危険な男!」

「もし、テダキザ殿?」

 カクハが口を挟もうとするが、テダキザは尚もまくし立てる。

「しかもですよ。二人は全く面識がない。なぜナマズ公は見ず知らずのイハさんを妻に迎えようとしたんです。おかしい。全くおかしい! ワタシなんてイハさんに顔と名前を覚えて貰えるのに、三ヶ月は掛かった! ワタシの方が、ずっと彼女と親しい間柄だったのに!」

「お、落ち着いてください」

 見かねたミズチがなだめに入った。


 我に返ったテダキザは、咳払いの後、声を低くして言った。

「ともかく、イハさんの結婚には只ならぬ気配を感じるのです。彼女のご両親にも話を伺いましたが、今回の一件には、ひどく、ひどおぉぉく狼狽されています」

 ふむん、とカクハは豊かな顎ヒゲを撫でた。

「それもそうでしょう。夫となるナマズ……もとい、ダ権守ごんのかみ様は、先代大公のご遠縁にして、かつては剣術御指南役を仰せつかった身。それが……」

「対する妻は元奉公人。身分異なる二人なのに、どこで接点が出来たのやら」

 カクハに続き、ミズチも疑問をこぼす。


「あんな魚人! ワタシは夫と認めないぞお!」

 またしてもテダキザは激昂。やおら立ち上がり、顔を真っ赤にして喚き散らす。

「きっと何か、良からぬ企みがあるに違いありません。もしや、イハさんを邪教儀式の生贄にするつもりなのでは? ああ、ああ! なんということ!」

(こいつ面倒くせえ)

 ミズチは心の内で毒づきながら、テダザキを椅子に押し戻した。


……………


 そして、現在。

「……それで、彼をなだめる為に、仲裁を約束してしまった?」

「その場しのぎで不用意に言ってしまった。不甲斐無い」

 しょんぼりするカクハ。

「たかが恋煩いで、あそこまで昂るものでな。調子が狂うてしもうた」

「恋煩いだから昂るのです。それが分からぬから、奥方様に離縁されてしまうのですよ」

「うるさいわい」

 現代で言う『バツイチ』のカクハは不機嫌に言い返す。それから、また溜息を一つ。


「テダキザの家は、親族の議員を通じて、市長へ大口の献金をしている。此度の騒ぎでヤツの家名に泥が塗られては、後々面倒ごとになるだろう。よって、ミズチにはある指令を出した」

 カクハは本題に戻った。

決斗けっとうだ。若者が愛する女のために、ダ権守様に決斗を申し込んだ……という筋書きに誘導する。テダキザは恐れをなして、穏便な示談へ逃げるだろう。互いの名誉と人命を傷つけずに納めるには、この手が良い」


「そんなに上手く運びますかねぇ?」

 未だ疑問を抱くシキョウへ、カクハは自信たっぷりに言う。

「そのために、ミズチを間に立たせた。あの娘は決斗の経験があり、介添人の心得もあると聞く。そして相手は剣術界の重鎮、ダ権守様。申し込まれた決斗は必ず受ける。つまり、テダキザは決斗か示談か、そのどちらかを、選ばなければならないのだ」


 ……その渦中の人物である、ナマズ公とはどういう人物なのか。

 本名は、ルルイエ・ダ権守ごんのかみ・ヒョウネン。インスマに領地を持つルルイエ家の五男坊で、一度見たら忘れられない強烈な魚顔故に『ナマズ公』と呼ばれていた。


 同時に十刀流を始めとする、数々の武術を修め、大公家剣術指南役まで務めた、有名な剣術家でもあった。現在は指南役の座を後継に託し、イカサ市の郊外の赤ムヶ池あかむがいけの邸宅で隠居生活を営んでいるという。

 

 ……さてこの時、カクハ達は知らなかったが、イカサの地より遠く離れた都の中央政府は、件の婚約の噂で大騒ぎになっていた。

 あの魚面の元指南役に若い娘が嫁ぐ。

 かつてナマズ公に師事した事もある現大公は持病の心臓発作を起こしかけ、かつての高弟達までもが大いに狼狽え、盛大に困惑しきったという。そればかりか、先代大公の墓には大きな雷が落ち、都では例年よりも早く初雪が降ったと……当時の歴史文献にまで遺される程の大混乱が巻き起こったそうだ。

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