舞うが如く第2話-2「眉の軍団!?」
所変わって、書棚倒壊という大参事に見舞われた市役所では、未だに片付け作業が続いていた。
「夜まで掛かりそうね。皆さん、キリが良い所で、昼食をとってくださいな」
カナタは両手を叩いて、皆に言った。
「シキョウさん。そちらはまだ終わらないんですか?」
と、彼は作業が最も滞っている一団に、冷たい目を向けた。
「いやはや。それがですね、カナタ様。三年前の四月から十月までの議事録が、すっぱり抜けていまして」
シキョウは苦笑いを浮かべて答えた。周りの仲間達は尚も記録の山と格闘を続けている。
事情を察したカナタは肩を落とした。
「三年前というと内乱があった年。では、抜けている分は戦災で行方不明になっているんでしょう」
「そのようですな。しかし、大変だったんですよ、あの頃は。暗殺やら武力衝突やらが、ほぼ毎日起きていたんですから」
などと言いながら、シキョウは端の焦げた記帳簿をひらひら振った。
……今から三年前、この国では内乱が起きていた。現在は「
政権の返納を拒否した旧政府と、国家元首の大公が率いる諸侯連合とが、近隣諸国まで巻き込み、一年にも及ぶ戦いを繰り広げたのだ。
ここで、同僚役人が怪訝な顔をしだした。
「まるで実際に見たように言うけどさ、シキョウさん。アンタがこの街に来たのは、戦争の後だろう?」
「ああ。そうでした。失敬」シキョウは頭を掻いて苦笑。
「無駄話は止めて、作業に戻りなさい」
カナタがたしなめに入り、話題は中断した。
それから作業がひと段落した頃、シキョウはこっそり裏庭へ逃げた。
裏庭は、寂れた枯れ井戸と松の木しかない寂れた場所であったが、人目につかず、サボるには絶好の場所だった。壁を隔てた向こう側には銀行があり、時折、足音や話し声が聞こえてきた。
「絶好の場所かな」と、シキョウは目を細め、景色を見渡した。
シキョウは羽織を脱いで枯れ井戸に腰掛けた。涼しい風が吹き、頬を撫でて行く。気温もちょうど良く、松の枝葉の間からは真昼の太陽が差しこんでいた。
ボンヤリと空を見上げてみる。今日も雲は少なく、青い空が広がっている。この数日は雨も少なく、カラッとした、乾燥気味な日々が続いていた。
しばらくぼんやりしていると、不意に勝手口の扉が開いた。
「おや、お休み中でしたか」
扉をくぐって来たのは、野良着姿の小柄な男だった。彼は丸顔に人懐っこい笑みを浮かべ、ひょこひょことシキョウに歩み寄って来た。
シキョウは男の顔をまじまじと見てしまう。何しろ、太い眉毛が、しっかり眉間で繋がっていたのだ。
いや、それよりも……。
「すいませんねえ、邪魔しちゃって」
男は愛想笑いを崩さず、シキョウに詫びた。
「いえいえ、気になさらず。ええと……」
シキョウは眠そうな目を擦り、また欠伸。
「マユマと申します。一昨年から、こちらで小間使いをしております」
男、マユマはヘコヘコと頭をしきりに下げた。
「そうなんですか。初めまして、シキョウです」
挨拶の傍ら、シキョウは男が手に持っていた工具箱に気付き、目を向けた。男の方も、シキョウの視線に気づいた。
「ああ、この井戸を取り壊すんですよ。見ての通り、オンボロで、水もすっかり枯れちまってるもんで」
二人は揃って古井戸を見やった。
「そうかあ。残念、サボりにうってつけの場所だと思ったのに」
シキョウは苦笑いを作り、マユマの足元へこっそり視線を移した。小間使いが履いているワラの深靴には泥が付いていた。
(この数日、雨は降っていないが?)と、シキョウは訝る。
「諦めて別の場所を探してくださいな」
とマユマが言った後で、シキョウは徐に口走った。
「あの、前にどこかでお会いしましたか?」
マユマは繋がった眉毛をちょっぴり動かす。
「はて? たぶん、無いと思いますが」
「……そうですか。すいません。では、見間違いでしょう」
シキョウは苦笑いを浮かべて謝り、踵を返す。
(何かあるな)
拭えぬ疑問に頭を掻きながら、昼行燈は枯れ井戸を後にした。
………………
その日の夕方。
ミズチはこぐま亭の主人と共に、例の本屋の前に立っていた。扉には閉店と書かれた札が貼られ、錠前が掛かっていた。
「やっぱり止めねえか、ミズチさん」
主人は不安げな顔でミズチに言う。しかし、ミズチは首を左右に振った。
「謎を謎のまま放っておいては寝覚めが悪くなる。そんなに怖いのでしたら、ボク一人で入りますよ」
ミズチの挑発を聞くなり、主人は顔を真っ赤にして、
「だ、誰が怖いって? ええい、俺が先に入ってやらあ!」
と、大声で言い返した。
そのまま主人は固く閉じられた本屋の扉を叩く。
「やい、ミッケン。俺だ。話しがある。出てきやがれ!」
返事はなく、代わりに冷たい風が通りに吹いた。
二人は肩を落とし、扉に背を向けた。
「やはり人はいないか」
「出直すかい、ミズチさんよお?」
「日を改めても無人な気がするな」
「だよなあ……」
そこで二人の会話は途切れた。
しばし沈黙の後、ミズチが急に口走った。
「……今、本屋の中から声が聞こえませんでした?」
「何の声?」
主人は太い眉をひくりと上げた。ミズチは更に声をひそめて言う。
「助けを求める声でした。もしや、危険があぶないのでは?」
すると主人が大きく頷く。女剣士の意図に気付いたのだ。
「だったら、助けに行かなきゃならねえなあ」
「では、そういうことで」
ミズチは鞘ごと湾刀を抜き、錠前を鞘の先端で叩き壊した。バラバラと落ちる金具を見て、主人は太眉をひそめた。
「なんちゅー馬鹿力」
「錠が脆過ぎるんです。行きましょう」
店の中は変哲もない本屋で、怪しいものは何一つ見当たらなかった。
では、ミッケンが籠っていた蔵はどうか。二人は音を立てないよう気を配りながら、蔵に向かった。
「開いている?」
ミズチはぺたりと縁側に尾をつけ、立ち止まる。無人の蔵の戸が、開け広げられていたのだ。
ミズチは湾刀の柄に手を掛け、ゆっくり浮遊しながら蔵へ近づく。灯りの無い蔵は無人であるどころか、物一つない、がらんどうであった
「誰かいるか?」
戸口に立って呼びかけてみたが、反応はない。
「ご主人。ミッケンは蔵でどんな仕事をしていた?」
ミズチは振り返って尋ねる。
「俺にもさっぱり分からん。いつも閉じっ放しだったから」
答えた後、主人は家の中から灯りをつけた燭台を持ってきて、先に蔵に足を踏み入れた。その後に続いてミズチも踏み込む。すると、彼女は足元に違和感を覚えた。
「……地面はもっと下だ」
彼女は木床を見下ろして言った。
「へえ?」
「ボクら竜人の民は、地面から湧き上がる気を使って、空に浮いているらしい。子どもの頃に教わった」
女剣士は己の竜の尾を鞘で指した。
「竜人の子どもはね、飛び方と一緒に、地面との距離の測り方も、自然と身に着けるものなんだ」
「へえ、便利なこった。でも、それがどうしたんで?」
訝しげな主人に、ミズチは真面目な顔で言った。
「おそらく、土の地面は、この床から更に下の位置にある。地下室だ、ご主人。どこかに、地下室へ通じる階段があるはずだよ」
探索の結果、二人は部屋の隅に隠し階段を見つけた。その先には、予想通り地下室があった。足元の土はむき出しで、ぽっかり大きな穴が開いている。
「たまげた。蔵に籠っていたのは、穴を掘る為だったのかあ」
主人はつるはしを手に驚嘆した。部屋のあちこちには、シャベルやつるはしなどの穴掘り道具が散らばり、部屋の隅には土が無造作に盛られてあった。
「ロウソクの火が揺れてる。穴はどこかに繋がっているのかも」
ミズチは燭台のロウソクを指さす。赤い灯りが、穴から吹き上がる風によって傾いているのだ。
「……どうすんだ、ミズチさん?」
主人は穴とミズチを交互に見ながら尋ねた。
「ご主人は警察を呼んで来てください。ボクはここに残ります」
「ミッケンの野郎が帰って来るかもしれねえぜ?」
「その時は何とかするよ。それよりも、この穴のことを伝える方が先」
ミズチの説得に折れて主人は地下室から出て行った。足音が遠のいたのを確認すると、彼女は穴に向き直った。
「大人しく待つのは、性に合わないんだよね」
そう呟き、燭台を手元に引き寄せた。
(後編へ続く)
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