舞うが如く 第1話-4「ミズチの剣」


 ミズチは官憲達から離れ、市外の寂れた畔道まで辻斬りを追った。

 辻斬りはあばら家の前に来ると急に足を止め、地面にしゃがみ込む。肩が上下に動き、荒い呼吸を繰り返している。かなり疲労しているようだ。

 追いついたミズチは地面に着地、刀に手を掛けた。すぐに仕掛けても良かったのだろうが、まずは様子を窺うことにした。

「いやはや、参った」

 辻斬りが息も絶えだえに口走る。聞き覚えのある声に訝しんでいると、彼は頭巾を脱ぎ捨てた。


「年がいもなく走るものじゃあない」

 露わになったのは、シキョウの気の抜けた微笑であった。

「役人。どうして。まさか辻斬りはお前?」

「違いますよお。ワケを説明したいんですが、もうヘトヘトで……少し休ませて」

 汗を拭い、水筒の水を飲んで息を整えるシキョウは、無用心も良いところだ。軽業をみせた時の気迫などちっとも無い。


「みなさんと別行動をしていたら、何と辻斬り達が潜んでいるのを見つけたんです」

「見つけたのか? 待て、辻斬り『達』だって?」

「まあまあ。それは後で説明します」

 ミズチを手で制し、シキョウは続きを話す。

「連中、警察がいる事に気付いた途端、撤収しようとしてました。それで急ぎ芝居を打ったんです。警部達からあなたを離して襲撃の機会を作るために」

「なんて強引なことを……」

 ミズチはこめかみを手で抑えた。

「奴らとて阿呆じゃない。ボクが一人になったからといって、仕掛けるとは限らんぞ」

「まあ、そうなんですけどね」

 シキョウは頭を掻き、苦笑いを作る。それから、こんなことを言い出した。

「気持ちの余裕が無くなって来たら、仕掛けてくると思ったんですよ」

「気持ち?」眉をひそめるミズチ。


 にこやかに微笑みながら、シキョウはようやく立ち上がった。

「実はこっそり、市内じゅうの道場に噂を流しておいたんです。

『ノエ・ミズチが、道場剣法の辻斬りを撃退した。しかも彼女は切り結んだだけで、辻斬りの正体を見破った』とか何とか」

「見破った? 待て。ボクはあの時……」

 抗議しようとするミズチを、シキョウは「まあまあ」となだめる。

「そういう事にして貰った方が敵の動揺を誘えます。正体がバレたのなら、一刻も早くあなた片付けようと焦るし、早く決着をつけようとする」

 役人の意図に気付いたミズチは深いため息を吐いた。

「そしてボクを警部たちから引き離し、確実に襲われるよう孤立させた。ボクに内緒で。最低な男だ、キミは」ミズチはシキョウを睨みあげた。


「そうかもしれません。でもおかげで魚はエサにかかったようですよ」

 ニコニコ微笑み、シキョウは来た道を指差す。畔の周りでは足音が聞こえ始めていた。

 身を翻したミズチは素早く刀を抜く。

「君はさっき、辻斬り達と言ったな。数は何人だ?」

「実行役は一人。他に手下らしき男が2人いた筈。では、私は隠れます」

 そこまで言うと、シキョウは逃げるようにあばら家に駆け込んでしまう。

「おい!」

「ごめんなさい。喧嘩は苦手なんです」

 情けない声が返ってきた。ミズチは怒りを通り越して呆れてしまう。

「……絶対に出てくるな」

 背中越しに忠告し、ミズチは納刀したまま腰を低く落とした。


「戦いはしませんが、せめて手伝いくらい」

 などとシキョウは言い、あばら屋の周りに松明を挿して灯りをつける。おかげで畔道から飛び出す二人組を捉えることができた。


 二人組は黒ずくめの格好で、湾刀やを握っている。そして、二手に分かれて左右に広がりながら、ミズチへ迫っていた。


(先生の教え通りに)

 ミズチは師範の教えを思いだしながら、身体を浮かせた。そして、左手側から来る敵に狙いをつけ、高速で飛翔。

 突進してきたミズチに驚き、敵は足を止めた。湾刀を上段に構えて迎撃態勢を取る。


 懐に潜り込もうとするミズチに敵は刀を振り下ろした。

 甲高い金属音が響いて敵の刀が弾かれる。ミズチは逆手で持った鞘で斬撃を防いだのである。もう片方の手には、既に抜身の刀が握られていた。


「ちぇありゃあぁ!」

 ミズチは敵の片脚を刀で斬った。ざぶりという、低い音と共に刀身が腿の中に食い込み、敵の袴を血で濡らす。

 悲鳴をあげる敵を尾で張り倒して刀を引き抜く。その間にもう片方の敵が、背後から斬りかかる。彼女は振り返らずにまたも鞘で斬撃をいなした。


 反撃。ミズチは腰を捻って下から上へ、刀を振り上げる。敵は上体をそらして躱そうとするも、刀の切っ先が顎を掠め、頭巾が切れてしまった。

「くそっ!」

 辻斬りはだんびらを闇雲に振って後退。

 ミズチは露わになった敵の素顔に驚愕する。


「貴様……セグマ・ゴラン?」

 辻斬りの正体は、先日の天覧試合で対戦した剣士であった。正体を暴かれたセグマは糸のように細い目から殺気を迸らせ、ミズチを睨んだ。


「……あえて問う。何故このような馬鹿げた真似をする」

「剣士が剣の修行をして何が悪い!」

 悪びれもせず、むしろ堂々とセグマは答えた。ミズチは愕然とし、顔を強張らせた。

「剣は所詮、人を殺す道具。ならば人を切り捨て、技を磨いてこそ真の修行となろう。もっと早くに気付けば良かった。今まで道場で木剣を振るってきた時間は全く無駄であったわい!」


「むだ?」

 ミズチは思わず訊き返してしまう。

「そうだ。格式ばった道場剣法では人を殺せぬ。貴様のような女子にも勝てぬ。このままでは俺の腕は腐るばかり。だからこそ、斬って斬って、斬りまくって、腕を磨かねばならんのだ!」

 悔しさと怒りで顔を真っ赤にして、セグマは吠え狂う。


 ……人を鍛錬の道具としか思えない輩もいるんです。


 ふと、シキョウの言葉が脳裏に蘇る。人を人と思わない外道。それがまさにこの男なのだと、ミズチは理解した。

 胸の内で怒りの炎が轟々と燃え始めた。

「……ならば、ボクが稽古をつけてやる」

 ミズチは半身になり、片手に持った刀を水平に構えた。


「笑止!」

 セグマも腰を低く落として半身を切り、刀は右わきに取る。

 両者は天覧試合の時と同じく不動のまま、にらみ合う。どちらかが先に仕掛け、もう片方が後の先で迎え討つという構図となった。


 夜風が吹いて木々がざわめく。時だけが過ぎて行く中、離れた藪にもセグマの仲間が潜んでいた。彼はセグマの弟弟子であった。

 実はミズチが襲われた晩も、彼は拳銃で狙撃を試みていた。


 結果が失敗に終わり、セグマに激しく叱責された弟弟子は、今度こそ狙撃を成功させようと躍起になっていた。

 あの時、発砲直前に何者かが女剣士に石を投げた。女剣士は石を避け、同時に拳銃の射線からも外れてしまった。妨害者は誰なのか不明だが、今はそれを考えている暇はない。


 弟弟子は神経を研ぎ澄まし、照準を女剣士に合わせた。

 そして、引き金に指を掛けた……次の瞬間。


 横から飛んで来た石つぶてが、弟弟子の指を潰してしまった。弾みで彼は拳銃を取り落とし、地面に片膝をつく。


「何者だ!」

 弟弟子は痛みに気取られて動きが鈍った。そのせいで背後の殺気に気付く間もなく、彼は地面へ投げられてしまう。

「貴様は……?」

 弟弟子が見上げたのは、にこやかに微笑む男……シキョウの姿だった。


「真剣勝負に水を差してはいけませんよ」

 シキョウは表情を崩さぬまま、持っていた短刀で弟弟子の首をなで斬った。


 ……その後、シキョウは息絶えた弟弟子の手に短刀を握らせ、刃を首にあてがう。

 死体を見つけた者は、自刃したと勘違いしてくれるだろうか。


 末を案じながらシキョウは、足元の石つぶてを藪の中に放り投げた。


「なるようになるか」

 シキョウは呟く。ミズチが襲われた夜。石つぶてを投げたのも彼であった。そんな怪しき男がミズチを見る。普段の微笑みは一瞬で消え去り、淀んだ眼には凍てつく殺気が宿っていた。

 

 シキョウが野望を胸に見守る中、ミズチがとうとう仕掛けた。

 突きの体勢だった。天覧試合で圧倒し、そして昨晩は防がれてしまったのと、同じ技を繰り出したのである。


(愚かな。三度も同じ技を!)


 セグマも脇構えから刀を振り上げる。時機は確実に、セグマ有利だ。故に彼は勝利を確信。持てる力を出しきり、刀を振り上げた。


 刀と刀、人と人とが交差する。


 これまでに多くの命を奪ったセグマの刀が、地面にボトリと落ちた。


 ……彼の両手ごと。


「え?」

 振り切った両腕を見上げるセグマ。傷口から滴り落ちる血が、瞬く間に顔を真っ赤に染め上げた。


「いだっ……いでえぇぇよおオオオォォっ!」

 喉を潰さんばかりの絶叫をあげ、セグマは膝から崩れ落ちる。

 女剣士は突き技とみせかけてセグマの隙を誘い、振り下ろされる彼の手を、逆に切り上げてしまったのだ。


 ミズチは敗者に向き直り、冷たい目で見下ろす。

「貴様は言った。このままでは腕が腐るばかりだと。感謝しろ、腐肉が命を腐らせぬ内に斬り落としてやったぞ」

 冷たく言い捨てた女剣士は刀身を紙で拭き、鞘へ納めた。


「……終わったぞ」

 あばら家へ振り返ると、シキョウがおずおずと顔を出していた。勝負が決する前に、こっそり戻っていたのだ。

「トドメは刺さないので?」

 シキョウはのたうち回るセグマを見て、不思議そうに尋ねた。


「殺して良かったのかもしれない。でも、ここは天命とやらに任せようと思う」

 ミズチは深くため息を吐く。

「警部たち、間に合いますかねえ?」

 シキョウはあぜ道を駆けて来る警察の一団を見つけた。彼らが間に合って適切な処置をすれば、セグマは生き延びるかもしれない。


「間に合わなかったら外道が一人死ぬだけ。どちらにせよ、こんなヤツに殺された人達には、何の手向けにもならないんだけど」


 ここで不意に、ミズチは思い出したように尋ねた。

「そういえば、敵は三人と君は言っていたな。最後の一人はどこだ?」


 シキョウは考えるフリをした後、済まなそうな苦笑いを作った。

「おそらく、私の数え間違えでしょうね」



(了)

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