舞うが如く 第1話-3「ミズチの剣」
二人が橋を渡り終えた頃には、官憲たちも立ち去っていた。
「腹が立つ」
ぼそりとミズチが口走る。シキョウはニコニコ笑ったまま小首を傾げた。
「はい?」
「これではまるで、ボクが賄賂を払って逃げたようではないか」
「お金を出したのは私ですけど?」
「そういう話じゃない!」
ミズチは立ち止まり、シキョウを睨んだ。二人の背丈は同程度なのだが、ミズチは宙に浮いているせいもあり、頭一つぶん大きく見えた。
「警察はボクを疑っている。ボクは無実なのに、奴らにキチンと証明していない。それが……納得いかない」
さすがのシキョウも笑うのを止め、眉を八の字に曲げて困惑する。
「証拠がない以上、これ以上の追及は無いと思いますがねえ」
しかし、ミズチは「気に食わない」と言って取り合わない。
そしてついに彼女は言い出した。
「明日、警察に行って潔白を証明する」
「さっき、二度と顔を見せるなって言われましたけど?」
「それは良い。絶好の嫌がらせになる」
憮然と言い放つミズチ。それから彼女はシキョウを見て思い出したように言う。
「そうだ、君。明日、ボクを警察署に案内してくれよ」
「何ですって?」あ然とするシキョウに、ミズチは言う。
「第三者がいないと、中立な議論にはならないだろう。カクハのおじ様には、ボクから話を通す」
強引な物言いに押されてシキョウは困惑するしかなかった。
「……大変な人を助けてしまったなあ」
翌日。ミズチは官憲署の扉を叩くように押し開け、外に出た。近くにいた警官や市民たちは慄きつつも、興味しんしんにミズチを盗み見て、そして逃げるように去っていく。
「頭にきた!」
ミズチは激怒した。
当初の目的であった無実の証明は果たせた。しかし、それ以上に彼女を怒らせる発言を、警部が口走ってしまったのである。
「
当然ミズチはその場で怒り狂い、尾を振り回した。その一撃が不幸にも警部の股を打ち据え、悶絶させたのだ。しかしあまりの怒り様に、誰も女剣士を咎めることはできなったのであった。
「後々になって尾を引かなきゃ良いんだけども」などと、シキョウは困惑半分、苦笑半分のアンニュイな表情で言った。
「冗談のつもりか?」
ミズチは頬を紅潮させたまま尋ねる。
「失言でしたね。失敬、失敬」
とは言うものの、反省の色などちっとも見られなかった。
「ああ、そうだ。ミズチさん。折角ですし、お茶でも飲んで落ち着きましょう」
シキョウは最寄りの軽食店にミズチを誘導した。彼女が食道楽なのは、予めカクハから聞き及んでいた。案の定、ミズチの怒りは店の名物、黒糖饅頭で鎮められた。
「おいひぃ……」
締まりのない蕩けた顔になるミズチ。苛烈な女剣士の面影はどこにもない。少しこの状態で放置しようと、シキョウは決めた。
食事が落ち着いた頃、シキョウが徐に口を開いた。
「おそらくですが、警部たちだけでは辻斬りを捕まえる事はできないでしょうねぇ」
「う、うむ」
緩んだ頬に力を入れ、ミズチは真剣な面持ちを繕った。
「口の端にアンコがついてます」そっと、シキョウが指摘する。
「うむ……ふいた。続きを」
「辻斬りはこの一ヶ月で七人を切り殺しています。被害に遭ったのは町民や無頼の輩などで、共通点は特にありません。実際に犯人を見たのは、あなただけのようです」
ミズチは腕を組み、テーブルの下で尾をパタパタ動かす。
「……と言っても、頭巾で顔を隠していたからな、あの辻斬り。素顔は全く見ていないんだ。ただ……」
ミズチは迷いながらも口を動かす。
「あの腕前は道場で鍛えたものだと思う。太刀筋は良いが実戦経験は少ないって感じ」
「ほう?」
シキョウは不思議そうに首を傾げた。尚もミズチは居心地悪そうに言う。
「確証はない。でも、切り結んだ時に感覚で分かるんだ。相手が道場で技を磨いた剣士なのか、実戦で力を培った剣士なのかって。畏れとか、緊張具合というか……」
そこまで言うと、ミズチは眉をひそめた。
「どうしました?」
「うまく説明できない。こういう時ほど己の未熟さを痛感する。まだ理論とやらが伴っていないんだろうな、ボクは」
と、彼女は深くため息をついた。
「実際、未熟だから修行してるんでしょう、あなたは。ああ、そうか……」
シキョウは手を叩く。
「辻斬りはもしかして、修行のつもりで人を切ってるのでは?」
「何だと?」
ミズチは目を吊り上げた。
「そんなの修行でも何でもない!」
「まあまあ、怒らないで。あくまで私の仮説です」
シキョウはにこやかな表情を崩さず言う。
「あなたの直感を信用するなら、辻斬りはこの街のどこかの道場で、剣の修行に励んでいる。しかし、鍛錬に熱を入れ過ぎる余り、とうとう人間と試し斬りに使う、巻き藁との区別が付かなくなってしまった。夜な夜な街を歩き、手当たり次第に生きた巻き藁を斬っては捨て、斬っては捨て……」
「人間は巻き藁などではない!」
ミズチは腰を浮かせえ声を荒げた。突然だが周囲の客達は驚き、ミズチへ視線を注ぐ。
「すまない」
頬を赤らめたミズチは座り直し、茶を一息に飲み干す。シキョウは頬を一本指で掻き、困ったような笑みを作った。
「誰だってあなたのように怒るし、嘆く。しかし、あの辻斬りのように、人を鍛錬の道具としか思わない輩もいるのが現実です」
ちらりと、シキョウは細めた目でミズチを見据えた。ミズチは静かに激怒している。
「……もし、あの辻斬りと再び出会うことになったら、あなたはどうします?」
「斬る」
ミズチは即答した。双眸は固い決意に満ちて、らんらんと輝いていた。
ややあって、シキョウは満足げに頷く。
「そうでなくては。実は、ちょっとした策を思いつきましてね……」
それからシキョウは、思いついた作戦をミズチに明かした。ミズチは目の前の役人を訝しんだが、結局は協力を請け負った。
………………
数日後の夜。ミズチは一人、とっぷり暗くなった夜道を、フヨフヨ遊泳していた。その後ろを警官隊が距離を保ち、後をつけて来ている。
これはミズチを囮に、辻斬りを誘い出そうという試みであった。
(なぜ、警察まで巻き込む?)
先だってミズチは作戦の発案者……シキョウに尋ねた。
「これから私たちは無法に片足を突っ込むんですよ? 官憲を味方にしておけば後始末も楽でしょうに」
……などと、涼しい顔で言い放つシキョウは、数日の内に警部に作戦の了承と協力を取り付けできたのであった。
どのような手品で言いくるめられたのか定かでは無いが、警部は嫌そうな顔をしながら、腕に覚えのある警官を集めたのである。
……さて、大がかりになってしまった作戦は既に三時間が経過。ミズチをはじめ、多くの者達は失敗に終わったと悲観しながら、それでも辻斬りを待ち続けた。
そこへ……。
突如、ミズチの後ろで笛が鳴った。
振り返ると、隠れていた官憲達が路上に躍り出ているではないか。
「出たぞ、辻斬りだ」
「こっちに来る!」
彼らは横一列になって小銃を構えた。ミズチは彼らの肩越しに、こちらへ駆けてくる人影を見た。向かって来るのは黒い羽織姿の男。しかも顔を黒頭巾で覆い隠している。
ヤツだ。ミズチは臨戦態勢に入った。
「止まらんと撃つぞ!」
警部は叫ぶ。だが辻斬りに止まる気配は無い。警部も回転式拳銃を取り号令を出す。
「撃てぇ!」
一斉射撃。先込式小銃が火を吹く。しかし、辻斬りは射撃が始まる直前に地面へ滑り込んで回避、難を逃れた。
「装填急げ。自由射撃」
「ま、間に合いません!」
「……うわあ、もう来た!」
警部が指示している間に、無傷の辻斬りは官憲達を易々と飛び越えた。警部は目をひん剥き、辻斬りの投げ捨てた黒玉を凝視する。
「に、逃げ……」
黒球が破裂。灰色の煙を撒き散らし、官憲達の視界をたちまちの内に奪った。
煙幕である。
「来い!」ミズチは刀に手を掛ける。
呼吸を整えながら、ミズチは居合の構えをとった。鞘から素早く抜き放ち、肉薄してくる辻斬りに一太刀浴びせる心積りだった。
それを知ってか知らずか、辻斬りはミズチ目掛けて突っ込んで来る。いつの間にか、彼の手には鍔の無い短刀が握られていた。
両者の距離が一気に縮まる。ミズチは腰を落とし、その時を待った。
しかし……。
不意に辻斬り急に進路を変え、あさっての方角へ逃げて行った。
突然の出来事にミズチは目を剥き、居合の構えを解いてしまう。しばし呆然とするミズチだったが、やがて我に戻った。
「待てえ!」
ミズチは尾で地面を跳ね飛ばし、宙を泳いで辻斬りを追い始めた。
脳裏に罠の危険性を感じながらも、追わずにはいられなかった。
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