舞うが如く 第1話-2「ミズチの剣」

 屋敷の主であるカクハは、議会から届いた書状に目を通していた。

「議会の老人たちは隠居という言葉を知らんのか」

 カクハは銀ぶち眼鏡を外して小さくため息を吐く。

執政主しっせいぬし様。よろしければ鏡をお持ち致しますが」

 相対して座るシキョウは、にこやかに微笑みながら、毒を吐いた。

 カクハは顔をしかめたが、叱責はしなかった。シキョウは人畜無害な笑顔で毒を吐く、実に扱い辛い部下であることを、上司のカクハは良く知っていた。

「あなた様が他人のことを言えますか。病がぶり返さぬ内に、隠居した方が良かったのでは?」と、シキョウはにこやかな顔を崩さずに言う。


「適任者がおれば、少しくらい考えてやっても良いぞ」

 御年六十を数えるカクハは、長らく議会の重職である「執政主」の大役を担ってきた。

 しかし、来る年波には勝てなかった。半年前に病に掛かってしまい、床に伏せる事となってしまったのだ。

 幸い大事には至らず、現在は屋敷の書斎で、細々とした政務を執り行えるまでに回復している。執政主の交代は、まだしばらく先のようだと、部下たちは噂していた。


「……ところで、近頃は市井が騒がしいそうだな」

 カクハは徐に話題を変えてきた。

「ここ最近、辻斬りが多いんです。ここに来る途中また一つ……河原に死体が揚がっていましたよ」

 と、シキョウは説明をした。彼は専らカクハの使い走りとして、市庁舎と屋敷を往復する役目を負っていた。尤も、使い走りを理由に仕事をサボっており、周囲もそれを認知しているのであるが、それはさておき……。

「辻斬りか」

 豊かなあご髭を撫でながら、カクハは窓の外に目を向けた。

「お前のような昼行燈は、恰好の的になりそうだ。夜道には気を付けろ」

「はあ、そんなに頼りなく見えますか、私」シキョウは頭を掻いて苦笑した。


……


 シキョウが退室した後、カクハは一人で気を揉んでいた

 悩みの種は客分の女剣士、ミズチである。彼女の父親は竜人族の最大派閥、カガチ一族の族長で、カクハとは十数年来の親交があった。万が一彼女の身に何かあれば、長年築いた友人関係への悪影響はおろか、外交問題にさえ発展するおそれもある。

 それだけは何としても避けたい。

「さて、どうしたものか」

 カクハは庭へ目を向けた。ちょうど、ミズチが革袋を担ぎ、庭を横切っている所であった。これから剣術道場にでも行くのだろう。ミズチは殆ど毎日、剣の稽古に励んでいる。羨ましい限りの活力を持つ有望な剣士だった。

「鳥かごに入れて大事に守ろうにも、あの娘は勝手に破って外に出るんだろうなぁ」

 嘆息雑じりにカクハはぼやいた。


 ……………


 ……カクハがミズチの身を案じてから数刻後。空の上で輝いていた太陽が西へ沈み、まもなく夜になろうとしていた。

 そんな中、ミズチは一人、薄暗くなった街道を駆けていた。

 稽古に熱が入り過ぎてしまい、帰宅時間が遅くなってしまったのだ。

 気付いた時には夕暮れ時。主要な大通りにはガス燈の灯りがつき、家々からは夕食の香りが漂うようになった。


 こんな日に限って辻馬車は一台も捕まらず、ミズチは泣く泣く徒歩(彼女に足はないのだが)で帰る事になってしまったのだ。

 運が良ければ道中で拾えるかもしれない。そんな楽観的な考えを抱きながら、家路を急いだ。


 カクハの屋敷は街の南東側、大川を越えてすぐの丘陵地帯にある。いくら道路が整備され、市中心部との行き来が容易になったとはいえ、徒歩で辿り着くには、幾ばくか時間が掛かってしまう。

 ガス燈の数も市外へ行くにつれて数が減り、ミズチの足元は徐々に暗くなってきた。今は手に持つランタンが頼りであった。


 ようやく丘陵へ続く橋が見えてきた。橋の周りには大きい松林がいくつも並び、夜風に吹かれて寂しげな音を立てている。

 ミズチがガス燈の下に差し掛かった、次の瞬間……。


「しいぃぃぃやあぁっ!」

 木の陰から何者かが飛び出し、で切り掛かってきた。とっさにミズチは上へ翔び、斬撃を躱す。ランタンが彼女の手を離れ、地面に落ちて割れた。


 ミズチはゆっくり地面に降り立つ。息を整え、逃げられない事を悟ると、襲撃者に相対してみせた。

 襲撃者は頭巾で顔を隠し、黒ずくめの装いをしていた。

「辻斬りか!」

 腰の湾刀を引き抜く。ガス灯のもとで緩やかに反った刀身が鈍い光を放った。

 辻斬りは正眼の構えを取り、ミズチの間合いから距離をとった。奇襲の失敗に焦らず、落ち着いて態勢を立て直す心算のようだ。


 ミズチは片手で湾刀を構え、ゆっくり横に動く。不動の体勢で構える辻斬りには、一見すると隙がない。頑健そうな体躯と相まり、まるで岩のように、ミズチの前に立ちはだかっている。

(たとえ岩でも、全力で押し通る)

 ミズチは仕掛けた。尾で地面を叩き、反動で前に踏み込む。今朝の天覧試合でも使った突き技を、辻斬りへ繰り出した。


 辻斬りは、かっと目を見開いてミズチの刀を下から上に掬い上げた。渾身の突きであったが、軌道を逸らされ、不発に終わってしまう。

 振り上げられた辻斬りのだんびらは、薄暗闇の中で反転、ミズチの頭上へ真っ逆さまに落ちてくる。

(それなら、こうだ)

 ミズチは体を浮かせて腰を捻った。

 そして、舞うように宙でクルクル回転。辻斬りの刀が弾かれた。女剣士は体ごと刀を振り回したのだ。


 後方へ退いた辻斬りは、己のだんびらを見て呻き声を漏らす。

 幅広の刃が欠けていた。それだけミズチの膂力が並の女人を超えているのだ。


 辻斬りの狼狽を感じ取ったミズチが勝負を決めようとする。

「覚悟っ!」

 しかし、不意に横から飛来する石つぶてが、彼女の動きを阻んだ。更に一瞬遅れて反対の方角からも銃声が轟く。ミズチは石つぶてを避けたおかげで被弾を免れた。この隙に辻斬りは身を翻して逃走。

「待て!」

 後を追おうとするミズチだったが、甲高い笛の音を聞き、動きを止めた。


 振り返ると、町の方角から警察の一団が近づいて来ていた。

 この国の官憲も近ごろは再編が進み、田舎の下っ端でさえ制服や陣笠で身を固め、警棒を腰に提げているのである。


 警官たちは警棒を手にミズチを取り囲む。

「娘、刀を納めろ!」

 警部の階級章を付けた中年男が、胴間声を張った。ミズチは言われた通り、刀を鞘に戻した。


「ボクは被害者です。辻斬りは向こうへ走っていきました」

 ミズチは辻斬りの逃げた方角を指した。

「黙らっしゃい! 刃物沙汰を起こす不埒者。貴様の言い訳は署で聞かせてもらう。ひっ捕らえろ」

 と、警部は部下に命令した。二人の部下が無言でミズチを両脇から抱えようとしたが、彼女は眼を吊り上げ、彼らの手を振り払った。

「この分からず屋ども」

 一気に場の空気が凍りついた。ミズチは警官たちに殺気を孕んだ目で威圧し、抵抗の意志を露わにする。

「女ぁ……」

 警部の手が腰の拳銃に伸びる。その時だ。


「あのお、少しお待ちを」

 不意に気の抜けた声が飛んで来た。一同の視線が輪の外に向けられた。


 男が一人、立っていた。羽織に洋袴、革靴という風体の優男である。

「どうも。私、市役所で書庫番をしております、シキョウと申します」

 癖のない、すっきりした顔に柔和な微笑みを浮かべて青年役人は輪の中に入ってきた。


「実はこの娘、執政主様の客人にございます。大事がない様、迎えに参った次第」

「それが何か? 不審な輩をひっ捕らえるのが我らの役目。たとえ、執政主殿の客人とて例外ではない」

 警部が敵意むき出しで言い返すが、シキョウは飄々とした態度を崩さない。

「まあまあ。そう目くじら立てないで。そうだ。聴く所によると、近頃はコレ次第でご慈悲を賜れるのだとか」

 徐に彼は紙の小袋を取り出し、警部の手に握らせた。袋の中からは、じゃらりという音が鳴った。

「か、金?」

 ミズチが目を丸くする。警官たちも信じられない、という目で警部を凝視し始めた。


「き、貴様……」

 声を荒げようとする警部を制して、シキョウはのんびりと言い始めた。

「さ、さ。中を確かめて下さい。あなたは先日、供物を差し出した無頼の輩にも、お慈悲を賜れたそうですねえ。いやはや、日ごろ欠かさず供物を差し出せば、汚れた御身は、たちまち健やかになる。あなたの行いは実に宗教に則った……」

「もうよい! その減らず口を閉じろ!」

 と言って警部は金をポケットにつっ込んだ。

「即刻、去れ。そして、二度とその顔を見せるな」

「ちょっと、アンタ……」

「ありがとうございます」

 刃向うミズチを制して、シキョウは丁寧に頭を下げる。それから、不服そうなミズチの手を引き、その場を後にした。

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