舞うが如く

碓氷彩風

舞うが如く第1話「ミズチの剣」

舞うが如く 第1話-1「ミズチの剣」

「撃て!」

 士官の号令で、兵士たちが引金を引く。横一列に並ぶ銃剣付きの小銃が、一斉に火を吹き、雷鳴のような音を響かせた。

「突撃ぃ!」

 洋装の騎兵将校が刀を振りかざして馬を奔らせる。

 ラッパが鳴って連隊旗が掲げられた。兵士達は隊列を組んだまま、突撃を始める。

 鬨の声をあげる人間の波が、朝霧を破って平野を駆けだした。


 イカサ市の郊外では、朝早くから国軍による軍事演習が行われていた。

 急速に進む近代化の波は、軍隊にも及んだ。兵士達の軍服や武器は瞬く間に外国様式のものへと刷新された。それら全てを兵士一人ひとりに馴染ませる為に、国軍は全国各地で演習を催しているのだ。


「……とは言うけれど、本当の目的は、地方諸領への脅しなんだってさ」

 役人のシキョウは同僚と共に小高い丘から演習を眺めていた。

「国軍の練度の高さを見せつけ、戦意を奪い、反乱を未然に防ぐとか何とか」

「ただの噂だろう」

 同僚の役人は眠り眼を擦って身体を伸ばす。二人はイカサ市の役人で、今日の演習には、上司の付添として参加していた。


「今は天泰平文明開化の時代だ。戦乱など、そう簡単に起こるものか」

 シキョウは「そうだね」と相槌を打ち、柔和に微笑み返す。

「さて、そろそろ試合も始まっている筈だ。執政主しっせいぬし様のもとに戻ろう」

 そう言って洋袴の土を叩き落とし、濃紺色の羽織を正す。

 二人は革靴で濡れた土を踏みしめ、丘を下りていった。


 ……さて。演習と併行して、白布で囲われた野戦陣地では、天覧試合が行われていた。

 市内じゅうの武術道場から集められた武術家たちが、市長や国軍の重鎮らの前で試合を行い、腕前を披露するのである。

 シキョウ達が陣に入ると、何やら見物人達がどよめいていた。

「なんだ?」

 訝る同僚の肩を叩き、シキョウは渦中の試合場を指さす。見物人達の注目を集めていたのは、一人の女剣士であった。


 厚い銀髪を後ろで束ね、空色の着物に袖を通し、木剣を腰に携えている。

 整った横顔は凛とした気品が漂い、黄色い目は闘志に満ちていた。


 そして何より人々の眼を引いたのは、身体から生える巨大な白い尾であった。女剣士には脚が無い代わりに、腰から下が、竜のような太い尾となっているのであった。


 彼女のような人種は竜人と呼ばれ、人よりも古い時代から、この大陸に住んでいたと云われている。


「青の方角。十刀流じゅっとうりゅう、ノエ・ミズチ殿」

 審判が女剣士の名を読み上げた。ミズチは来賓席へ頭を軽く下げ、竜の尾を振った。すると彼女の身体がふわりと浮かび、一段高く組まれた試合場に着地した。


 竜人達は脚を持たぬ代わりに、浮遊することが出来た。その原理は詳しく解明されず、かつては、竜人達を神聖視する国もあったという。

 それはさておき……。


「あの女剣士。確か、執政主しっせいぬし様の客人だったな」

 と、同僚役人が静かに口を開く。

「そうです。竜人部族、カガチ一族の者。確か現族長の末娘だとか。さてさて、どうなるのか楽しみですねえ」

 シキョウはにこやかな笑顔で言った。


「赤の方角。ドセキ流、セグマ・ゴラン殿」

 ミズチの対戦相手は、頑健な体つきをした剣士だった。

 一礼の後、試合場に上がったセグマは、厳つい四角張った顔を赤くし、糸のように細い目でミズチをひと睨みした。

 睨まれたミズチは平然としている。威嚇の効果はあまり無かったようだ。


 やがて、試合が始まった。

 両者は木剣を構え、静かに間合いを計る。

 瞬く間に、重い緊張が陣内を覆い尽くした。人々は口を閉ざして試合の行く末を見守っている。


 冷たい朝風が吹き、木々が揺れた。

 風を浴びながら、ミズチの体がフワリと前に動く。セグマも女剣士の動きに合わせて、木剣を振るう。

 後の先。時機、膂力、軌道。すべてがセグマ有利だった。


 ……勝負は一瞬で決した。


 一本の木剣が、濡れた草の地面へと落ちた。これを皮切りに、緊張の解けた見物人達が一斉に驚き、騒ぎ始めた。

「し、勝者。ノエ・ミズチ殿!」

 審判の声は裏返っていた。

 判定をくだす彼もまた、目の前の光景に、動揺を隠せないようだ。


 有利だったはずのセグマが片膝をついて肩を抑え、苦痛に顔をゆがめる。そんな彼を見下ろすミズチ。どちらが勝者であるかは、一目瞭然であった。


 しかし……。

「何が起きたんだ?」

 同僚役人が疑問を口にする。彼だけではない。見物していた大勢の人間が、ミズチの動きを見逃した。どのように女剣士は勝ちを収めたのか。殆どが分からなかった。

「見えないぐらい速い突きだったのでしょうね」

 と、シキョウはのんびりと言った。

「……突きい?」

 同僚役人は不思議そうにシキョウを見た。

「たぶん、そう思っただけです」

 シキョウはニコニコ笑って答える。一方で彼の目は、試合場を降りるミズチに向けられていた。


…………………



 あれからしばらく時が経った。朝の湯浴みを済ませたミズチは、自室で着物に袖を通していた。

「今朝は大変だったなあ……」

 剣術修行の旅に出て一ヶ月。女剣士というだけで、常に好奇の視線にさらされていた。今日の天覧試合は特に、勝利の余韻が吹き飛ぶほど煩わしかった。

「そんなに奇妙なのかい、ボクが?」

 彼女は姿見に顔を向けて自問する。鏡にうつる竜人少女は、憂鬱な面持ちで、ミズチを見返した。


 試合後。ミズチは大勢の人間に囲まれ、質問責めにあった。

 先ほどの試合では、どのような技を使ったのか。どの道場で、誰に教えを請うているのか。是非とも我が道場で指南を……。

 結局、誰の質問にも答えずに、その場から脱出した。帰り際にセグマが睨んできたが、これも無視した。

「調子に乗って、試合に出たいです、なんて言うんじゃ無かった」

 と、ぼやきながら、腰ヒレの邪魔にならないよう、腰に布を巻く。

 ここで異変に気付いた。

「布が短い?」

 一度解いて、また巻きなおす。やはり、ひと月前に比べて腰布が短くなっているような気がした。

 おかしい。イカサに来てから、一度も使っていない筈だ。洗濯をしなければ、縮むような事はない。

 ということは……。


「ボク……太った?」

 ミズチは青ざめた顔で、肉付きの良い腰を見た。おそるおそる腹の肉を摘まんでみると、うっすら脂肪がついていた。

 筋肉の量が多いとは、昔からよく言われていた。尻尾も並の竜人女性に比べると、長くて太めである事も自覚している。


 まさか、筋肉の上に脂肪がついてしまったのか?

 自問していると、使用人の間延びした声が、階下から聞こえてきた。

「ミズチ様。ゴハンの支度が出来ましたよオ」

 諦めて別の腰布を巻き、支度を終えたミズチは、真剣に悩んだ。

「……食事を減らした方がいいのかな?」

 



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