第23話

 仲入りの休憩に入っていた。神山と佐伯は楽屋に顔を出す。そこには喬一郎、白鷺、小艶が既に着物を脱いでくつろいでいた。

「おや、文染師は楽屋は別ですか?」

 神山はそんな事もあるだろうとは考えていた。文染は自分の芸を安売りしないという方針だと聞いたからだ。落語の世界では、よほどの大物以外は楽屋は同じになる事が多い。それは噺家は芝居等と違い自分の出番に合わせて楽屋入りし、出番が終われば特別な事が無い限りさっさと帰ってしまうのだ。忙しい者は次の仕事に行くからだ。

 神山の微妙な表情を見た喬一郎が傍に寄って来て

「そうなのです。ここは別に楽屋を増やすと別料金になって値段が上がるんですよ。だから圓城師も通常は一緒なんです」

 そう説明をする

「その圓城師は?」

「乾先生と一緒に向こうの楽屋に挨拶に行っています。直ぐに帰って来るとは思いますけど」

 二人のやり取りを聞いて小艶が答えた。その言葉が終わらないうちに圓城が帰って来た

「おや『よみうり版』のお二人じゃないですか。ああ、神山さんはフリーになられたのでしたね」

 そう言って苦笑いをする。佐伯が

「上方の大将は楽屋別ですか?」

 そう言って言葉に多少の皮肉を込めると

「まあ、契約ですからね。でも……」

「でも?」

 神山の言葉に圓城は

「いや、今は言う段階ではありませんでしょう」

 そう言って言葉を濁した。ならばと佐伯が

「今までの三席は皆、解り難いオチでしたね」

 オチの事を尋ねると圓城はため息をつきながら

「出し物が『ぼやき居酒屋』でしょう。あれ、東京でも演じる噺家さんが結構いましてね。オチもバレバレなんです。単純なオチですからね。私は別な噺をと言ったのですが聞き入れてくれませんでしてね。なんせ大物ですから」

 圓城の言葉にはかって東西の盟友とまで言われた関係に変化が来ている事を伺わせた。神山はこの話を長引かせては不味いと思い

「師匠の今日の演目は結構新しいですよね」

 そう言ってこの次に圓城が掛ける演目について尋ねた

「そうですねTXが開通してから作った噺ですからね。TXは私の家の傍を通っているものでしてね。これで何か出来ないかと思って作った噺です。でも関東圏でしか通じないんですよ」

 圓城はそう言って穏やかに笑った。

「では楽しみに聴かせて戴きます。今日の会は記事にさせて戴きます」

 そう言って二人は楽屋を後にした。

「向こうにも行くか?」

 佐伯の言葉に神山は

「当然だろう」

 そう言って二人は第二控室に向かった。途中で乾とすれ違う

「おや、お二人。これから文染師匠のところですかな」

 上機嫌で挨拶をする

「ええ、やはり上方落語協会の会長に、ご挨拶が出来る機会はそうそうありませんので」

「そうですよね。師匠、もう準備出来ていますよ」

「そうですか。では」

 そう言って二人は文染の元に向かった。

「ごめんください」

 そう言って入り口に掛けられた暖簾のくぐると、付き人の弟子に手伝って貰いながら羽織を着ているところだった。

「ああ、これはこれは『東京よみうり版』のお二人。ようこそいらっしゃい!」

 自作のギャグを交えて挨拶を交わした。すぐさま話に入る

「今回はわざわざ東京までいらしたのは何故でしょうか?」

 神山の質問に文染は

「東京には仕事で良く来ていますしね。それに新作落語の会と聴いて自称上方落語随一の新作落語家としてはお誘いを受ければ、そりゃ参加致しますよ」

 そう言って嬉しそうな顔をした。神山は、

『この会に上方落語で最初に呼ばれたのが、嬉しいというよりプライドをくすぐったのだろうな』

 そう思った。なんせプライドの高さは故談志師以上だとも言われている。

「売れてる東京の若手の子達も挨拶に来てくれて、ホンマ嬉しい限りですわ」

「師匠、今日は『ぼやき居酒屋』だそうですね」

 佐伯の質問に文染は

「ええ、ありがたい事に東京でもよく演じられているそうですが、ここは本家本元として披露させて戴こうと思いましてな」

「なるほど。楽しみにさせて戴きます」

 その他にも時候の話等をして楽屋を後にした。席に戻ると後半の開始のブザーが鳴った。

 緞帳が上がり、圓城の出囃子が鳴り出した。大きな拍手に乗って圓城が登場する。

「まってました!」

「たっぷり!」

 おなじみの声がかかる。圓城は座布団に座ると頭を下げて

「え〜後半戦の開始でございます。今日、私はこの会場に来るのに地下鉄に乗って来たのですが、ここ数年で東京の地下鉄も一新しましたね。渋谷なんか銀座線の駅が変わりましてね。もう乗り換えが大変だそうでして。所で、渋谷の銀座線ですが、あれ別に銀座線は高架になっている訳じゃないんです。銀座線自体は地中の同じ深度を走ってるんですよ、でも渋谷が谷の底なのであそこに出て来るそうなんですよ。驚きじゃありませんか。驚きと言えば、あの電気とおたくの都、秋葉原の地中深くに秘密基地のように作られた駅があるんですよ。もうエスカレータを幾度も乗り換えても乗り換えても辿り着かない地中深くに駅が出来たのです。名付けて『つくばエクスプレス』通称TX! 凄いじゃありませんか。茨城の名山のつくばの名を冠した鉄道ですよ。しかもエキスプレス。『急行』ですよ。都内だって普通しか走っていない路線だってあるのに」

 圓城は自分のペースで噺を進めて行く。物語は茨城に出張を命じられたサラリーマンが、茨城に行くのに常磐線かTXか悩み、当日発作的に上野で降りるのを止めて秋葉原まで来てしまう

「しまった。とうとう秋葉まで来てしまった。TXは、よく考えれば御徒町でも乗り換えられた」

 こんなくすぐりを聴いて神山は

「これ関東圏じゃなくて東京近郊しか通用しない噺だぜ。これも挑戦だな」

 そう言って圓城が数多有る噺から、この演目を選んだ目的が透けて見えた気がした。

「7時25分発つくば行き快速。これに乗らなければ……。しかしなんて地中深いんだ。まるで地獄の底に行くみたいだ。エスカレータの降りる先が霞が掛かって見えていない。ホームは更にその下なのか」

 男は長いエスカレータを次々と乗り換えて行くが中々ホームまでは届かない

「ああ、俺は果たして茨城に行けるのだろうか? これなら遠回りでも常磐線に乗れば良かった……そうか柏で野田線、もといアーバンパークラインに乗り換えて……言い慣れないんで舌噛んじゃった」

 ここでワッと笑いが起きる

「『流山おおたかの森』でも乗り換えられたんだ! しまった! 最悪の選択をしてしまった」

 やっとホームに辿り着いて目的の快速に乗れた。そして「つくば」に到着して改札を出ようとするが警報が鳴って扉が閉まってしまった。

「あれsuicaが使えない! スイカの残高がない。 スイカがない!」

 それを聞いた改札の向こうに居たお百姓さん

「西瓜なら俺が売ってるだよ」

  下げを言って頭を下げると一斉に拍手が起きた。

「しかし、よく茨城県人が怒らないよな。洒落とはいえ」

 佐伯が半分呆れて言うと神山は

「実際の『つくば』の駅前は都会だからな」

「まあ洒落だからな。でも面白かったよ。さすが圓城だと思った」

「次の上方の大将のお手並みを拝見しようじゃないか」

 神山の言葉に佐伯も頷くのだった。会場には文染の出囃子「本調子中の舞」が流れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る