第20話

 喬一郎が古典への熱い想いを語っている頃、乾は自分の事務所で、今日の古典落語を聴く会を、聴かせに行かせた事務所の若手職員の報告を聞いていた。

「誰が良かった?」

「そうですね。皆良かったですが、個人的に印象に残ったのは釉才師の『船徳』ですね」

 事務所の職員は釉才の高座を思い出しながら語る

「そんなに良かったのかい」

 乾の問に

「そうですね。私は釉才師の高座を生で見たのは初めてでしたから、余計印象に残ったのでしょうが、素晴らしかったです。トリの仙蔵師が良いのは当たり前ですが、事件を起こしてからの高座ですから余計に印象が深かったです」

「そうか。明日でも詳しくレポートに纏めておいてくれ。ありがとう。今日はもう帰っていいよ」

「判りました」

 事務員はそう言って自分の鞄を持って

「それではお先に失礼致します」

 そう言って帰って行った。その後、奥の部屋から出て来たのは圓城である

「釉才は本気でやれば実力はありますからね」

 圓城は自分でコーヒーを注ぐと一口つけて

「ウチの方は次はどうします? メンバーは固定ですか?」

 そう乾に質問をした

「固定したくは無いが、今以上に新作を掛けてる奴なんか居るのかい?」

 乾ではないが、確かに今の東京の落語界では新作をやる者は多いがウケてる者はそうはいない。

「私に秘策があるのですがねえ」

 圓城が意味有りげに呟く

「秘策? 何だね」

 圓城は乾の耳元でそっと呟いた。それを聞いた乾は

「まさか……無理だろう。スケジュールだって今からでは……それに出演料が」

 そう言って驚く

「だから秘策なんですよ。彼を上方から呼ぶにはスケジュールと出演料が問題になって来ます。でもね。私は彼に貸しがあるのです。それに今回の事も興味があると語っていました。上方落語一の新作落語のやり手が参加してくれれば、釉才なんか問題外になりますよ」

 上方落語随一の噺家と言えば六代目桂文染(かつらぶんし)である。当初は古典をやっていたのだが、同期の噺家に古典落語に造詣の深い者が居て新作に転向したのだ。若い頃はタレントとして売れたが今はコツコツと作って来た新作が評価されCDも数多く発売されている。

「本当に彼を呼べるのか? 向こうはプロダクションの関係もあるだろう」

 乾の心配を見て圓城は

「大丈夫です。この会が決まる前にメンバーの選考を行っていた時に、向こうのプロダクションにも、出場の打診はしてあります」

「そこまで考えていたのか」

 用意周到な圓城に対して乾は驚きを隠さなかった。

「保険みたいなものですよ。私は今回のことで新作が広く認識されて広まることを願っています。その為には今の新作にも古典のエキスを入れなくてはなりません」

「古典のエキス?」

 訝る乾に圓城は

「そうです。今の新作の笑いは偏っていると想いませんか? あり得ない設定を用いていたり、極端な人物を主人公にしていたり、そんな噺は一般にはウケないでしょう。今のように一部の新作ファンだけでは無く、広く受け入れて欲しいのです。だから今回の事はチャンスなのです。千載一遇のね」

 そう言って手に持っていたコーヒーを飲み干した。


 落語会の翌日、夕刊の新聞の文化欄に落語会の批評が載せられた。

『昨夜開かれた第二回【古典落語を聴く会】だが、前回以上の盛況だった。出演者と演目は、柳星(たがや)遊蔵(夏の医者)柳生(酢豆腐)釉才(船徳)仙蔵(鰻の幇間)となった。それぞれが研鑽を積んだのだろう。どれもが見事な出来だった。しかし後半の釉才(船徳)に注目が集まったのは言う間でもない。彼は三年前に事件を起こして執行猶予が明けたばかりだからだ。無論、彼の再起を貶すつもりは無いが注目を集めるのは確かだった。その視点で眺めて見ると、彼の力の入れようが伺える。かっては軽い芸風で当代一の人気を博した面影は無かった。そこには古典落語を熱演する噺家が居ただけだった。それがこれからの彼の噺家人生に於いて良かったのか悪かったのかは、今は判らない。それは今後の彼の噺家としての力量に掛かっているだろう』

 そんなことが書かれていた。書いたのは、その新聞社の記者で、神山の知り合いでもあった。当然昨夜遅く神山の所にも取材の電話があった。神山は記者に対して「思ったことをそのまま書いてくれ。それが今後の釉才の血肉になるから」

 そう言ったのだった。それが今回の記事だった。

「ま、無難な記事だな。新作派に阿ているのかもな」

 神山は「東京よみうり版」の編集部で同社の記者の高梨に向けて呟いた

「神山さんの感じたところでは、どの程度だったのですか?」

 高梨の問に神山は

「高座そのものは良かったよ。その出来に触発されて仙蔵師も燃えたからね」

「じゃあ良いじゃないですか成功ということで」

 確かにそうなのだ。でも次回は圓海師が出ることになっている。それに従って柳生が休演となる。芸協随一の人気者である彼は地方からの依頼も多い。寄席を大事にする柳生としては、地方もなるべく行きたかった。だから自分から休む事を提案したのだ。

 心配することは無いのかも知れない。このまま公演を続けていれば、「古典落語の危機」なぞ他愛のない事とされるだろう。でも何か神山は不安を感じるのだった。

 数日後、乾から次回の「革命落語会」に上方落語協会の会長で新作派のトップとも言われる桂文染が参加する事が発表された。神山は送られて来たファックスを眺めながら

「これは大変なことになった。文染師が参加することになれば話は東京の落語界だけの話ではなくなる」

 神山の不安が的中してしまったのだった。神山は仙蔵と連絡を取ると待ち合わせ場所に向かった。

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