第14話

 仲入りになったので神山は、菓子折りを下げて楽屋に挨拶に出向いた。

「おやおや神山さん。今日はおいで戴いてありがとうございます」

 乾が入り口まで出迎えた

「凄い盛況ぶりですね。それにどれも抜群に面白かった。記事にさせて戴きますね」

 神山がそう言ったので白鷺が

「あれ神山さんは古典派だったのでは無かったのでは」

 そんな疑問を口にした。

「それは私は『古典落語を聴く会』の発案者ですが、それとこれは別です。面白い落語があり、演者がいれば取り上げるのは当たり前だと思っています」

 神山の正論に乾は

「さすがですね」

 そう言って目線で白鷺をたしなめた。

「後半は小艶師と柳太郎会長ですか。楽しみですね。聴かせて戴きますね。それとこれはお茶菓子です。皆さんで食べてください」

「わざわざすみません」

 乾のお礼の言葉を受けて神山は楽屋を後にした。席に帰ると柳星が

「どうでした」

 そう尋ねて来たので

「何、普通だよ。あんなところで腹の中は見せないよ」

 そう返事をすると柳星も

「そうですね」

 そう言って笑った。

 休憩が終わり小艶の出囃子「ぎっちょんちょん 」が鳴り出す。会場の空気が一変して行くのが柳星にも判った。小艶が姿を表すと一斉に拍手が湧き起こる。

「え〜後半戦の開始でございます。柳家小艶と申します。よろしくお願いします。さて最近はドラマの影響もありフランス料理ブームなんだそうですな。誰ですか、『グランメゾン東京』だなんて言っているのは……まあ、そうなんですがね」

 客の期待を掴むのが上手い、どっと笑いが起きる。

「普通、フレンチのコース料理だと、ワインなんぞはペアリングと言って、店の方でその料理に合うワインを選択してグラスに注ぐのですが、ワインに煩い方だとご自分の好みのワインを頼むのが良くあるそうで」

 小艶はフランス料理の解説をしながらも上手く噺を運んで行く。

「だから店にはワインを保管してあるワインセラーがあるのですが、今日はそこで起きた悲劇のお話です」

 噺の本編に入って行く。この噺は店の中でも特に高級なワインの噺で、抜群の味を誇るのだが、高すぎて誰も注文する者がいない。ワインは眠らせれば良いとは言え、やはり飲み頃がある。それを過ぎると澱が発生するのだ。こうなると味が下がる。それを好む通も居るが稀である。小艶はその辺りを噺に盛り込みながら進めて行く。

「お、ギャルソンが来たぞ。今度こそは俺かな」

 ワインが期待して待っていると、入って来たギャルソンは

「この安い奴でいいな」

 そう言って昨日入ったばかりの安物のチリワインを持って行ってしまった

「お先に〜」

 チリワインはニコニコしながら出て行ってしまった。

「畜生!あんな下品な奴に負けてしまうとは……俺はフランスのブルゴーニュ産だぞ。お前らとは生まれが違うんだ」

 そう言っ虚勢を張るが、中々注文して貰えない状況が続く。そして遂に……

「あれ、このワイン、澱が出てるな。こりゃ売り物にならないなぁ〜仕方ないビネガーにでもするか。高いから注文する客がいないんだよな。これからはこんな高いのは仕入れないようにしよう」

 そう言ってギャルソンはその高いワインを手に取った。そうとは知らぬワインは

「お!遂に俺の出番か!」

 そう思って興奮するのだが、行き先は客席ではなく厨房

「あれ場所が違うよ。俺の行き先は向こうでしょ」

 ワインが、そう思ってるとギャルソンがシェフに

「このワイン澱が出ちゃったからビネガーか料理にも使ってください」

 そう言ってシェフに手渡した

「なんだって! 飲まれるんじゃ無かったのか!」

 そうガッカリしてると、厨房の隣に置かれた別なワインが

「まあここでビネガーになるのも悪くないぞ」

 そう言うと、高いワインが

「ああ酸っぱい(失敗)してしまった]

 下げが決まり頭を下げると拍手が湧き起こる。小艶は手応えを掴んでいた。客が良かったせいもあるが、今日の出来は自分でも満足の行く出来だった。

「お先に勉強させて戴きました」

 小縁がそう言って楽屋に戻ると楽屋の連中が

「お疲れ様でした」

 と声を掛ける。乾が

「小艶師匠、今日は抜群の出来でしたね」

 そう言って今日の出来を認めてくれた。

「はい。今日は満足行きました」

 小縁もそう返事をすると喬一郎が

「兄さん。この噺ですが完成の域に近づきましたね」

 そう言った。喬一郎は同門であることもあるので小艶と一緒になることが多い。だからこの噺も数多く聴いているのだった。

「喬ちゃんにそう言われたら自信がつくよ」

 小艶はそう言って笑った。高座では柳太郎の出囃子「ローンレンジャー」が流れていた。「古典落語を聴く会」ではトリは「中の舞」が流れるが乾は敢えてそれを止めて、全て自分の出囃子を使う方針にした。乾によると、それぞれの噺家が自分の出囃子を持っているのに、何故落語会等ではそれが使えないのか。トリが違う出囃子を使うのは昔の寄席の風習の名残であり弊害である。その昔は前座は前座の出囃子、二つ目は二つ目の出囃子と決まっていた時期もあった。その弊害の名残なのだ。と言う考えだった。

 柳太郎が高座に現れると今よりも増して大きな拍手が起きる。「まってました!」「たっぷり!」の声も聞かれる。

「え〜私で最後でございます。もうね、皆さん疲れたでしょう。もう少しの我慢です」

 柳太郎はこう言って客を笑わせた。

「今日の演目は、実は根多おろしなんですね。つまり、どういうことかと言うと、この噺を聴くのは皆さんが人類で初めてなんですね。何が起きるか判らない! そうなんです。果たして生きてこの会場を出られるのか?……楽しみでしょう?」

 柳太郎はこう言って客を掴むのに成功した。この辺りはベテランだから無理が無い

「マイホームを建てるというのは、今や男の仕事でも最大のものになりますね。どういう家を建てるのかが大事になって来ますね。そこで流行ってるのが二世帯住宅なんですね」

 柳太郎は静かに噺に入って行く

「よくあるのが娘夫婦と二世帯住宅で同居すると言うパターンですな。これが息子夫婦だと少しギクシャクしますね。理由は敢えて言いませんけどね。納得される方もいらっしゃるじゃないですか」

 会場は完全に柳太郎のペースになっていた。協会が違う為に普段一緒になる機会が少ない喬一郎は、袖で見ていて

「凄いなアッという間に自分のペースに持って行ってしまった。さすがだな」

 そう呟きながらも眼差しは真剣だった。

 噺は、二世帯住宅で同居した娘夫婦だが、婿さんが父親さんよりも出世してしまう。それも婿さんの会社は牛乳の製造会社で、親父さんの会社の上得意先だったという展開なのだ。噺の筋も良く出来ていてお客は完全に噺に取り込まれている。

 やがて噺は、婿さんは親父さんと家でも仕事の話が多くなり、それに怒った娘と母親に追い出される展開となる。

「判った! 判った。仕事の話はもうしないから勘弁してくれ」

 婿さんと親父さんがそう言うと母親と娘が

「もうしない? ウソばっかり」

「モウ〜しないよ!本当だよ。だって仕事の内容が牛乳だから」

 下げが決まり柳太郎が頭を下げると物凄い拍手が湧き起こった。その中、緞帳が降りるまで柳太郎は座布団を外して頭を何度も下げた。それを見ながら神山は柳星に

「行くよ。皆に報告しなくゃ」

 そう言って会場を後にした。

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