第12話
東京虎ノ門にある多目的ホールの「ヨシノホール」は落語会から音楽の演奏会などに良く使われている。数年前にリニューアルして設備も最新のものになっていた。圓城はその高座に立っていた。あと数時間で第1回の「革命落語会」が開かれるのだ。圓城は隣に立っている乾に
「乾先生。まさかここでやるとは最初は思ってなかったですよ」
「ヨシノホール」はNHKが落語会を開いていたホールで、それなりに噺家としては思い入れもあるホールだ。
「いえね。空いていたという事もありますが、向こうの『箪笥会館』は400人弱でしょう。それならこちらは、それよりも大きいところが良いと思いましてね」
「でも大きすぎると所作が判らなくなりますが、ここなら大丈夫です。向こうと違って横に広いので一番後ろでも大丈夫ですからね」
「まあ、その辺はお任せくださいな」
乾の言葉に圓城は
「乾先生。私は師匠が亡くなって新作に転向しました。それまで古典をやっていて、何か違うと思っていました。そして自分で噺を作って高座に掛けて見た」
「あの時の反響は凄かったですよ」
「でもね。それからずっと新作落語を作り『改革落語会』を立ち上げて、若い子が集まって来てくれました」
圓城の言葉に乾は
「師匠はやり遂げましたよ。それまでの新作落語の殻を打ち破った。お見事でした。後継者も育ちました」
そう言って圓城のそれまでの苦労を慮った 。
「でもね。作り続けて判ったのですが、どうしても落語の殻を破れないのですよ。私の究極の目的は『落語』という枠を越えた噺そのものなのです。正直、私の代では駄目かも知れません。でも弟子の白鷺ならきっとやり遂げてくれる。そう思っています。白鷺と言う名には大きく羽ばたいて欲しいという思いも込められています。冬の空に、厳しい冬の空を飛んで欲しいのです」
圓城は真っ直ぐ前を向いて、そんな事を乾に語った。
「そうでしたか。真打昇進の時に不思議な名前だとは思いましたが、そんな想いが込められていたんですね」
「本人には内緒ですよ」
圓城はそう言って笑った。
「まさか今日の演目が『ヤクルト少年』とは正直驚きました」
乾が言った「ヤクルト少年」はヤクルトを毎日飲んだ少年が超人になり活躍する噺であり、ヒーローモノでもある。この噺は当時話題を呼び、一躍圓城の名を高めた作品だった。
「今日のは今の時代に合わせて少し変えてありますけどね」
そう言った圓城の顔は自身に漲っていた。
神山は今日の「革命落語会」に間に合うように取材先からヨシノホールに向かっていた。乾から招待状が神山や仙蔵、柳生に届けられたが二人は仕事のため行く事が出来ない。神山は取材も兼ねてのことだった。
「神山さん」
虎ノ門の駅を降りて地上に出て、ヨシシノホールに向かっている時に、後ろから声をかけられた。振り向くと柳星だった
「柳星くん」
「師匠からチケットが勿体無いので、時間があれば見てこいと言われましね」
柳星はそう言ってホッとした表情を見せた。
「なんせ敵情視察みたいなものですからね。少し緊張していたのですが神山さんの姿を見つけホッとしました」
お互いのチケットを比べて見ると席は隣同士だった。
「開演まで少し時間があるから、何かノセて行こうか」
そう言って近くの店に二人で入って行った。
今日の会では最初が白鷺で柳亭喬一郎が二番目で仲入りが圓城となっていた。これは圓城が芸協の会長でもある柳太郎に敬意を表してトリを譲ったのだった。
だから喰い付きが小艶で、トリが柳太郎となっていた。
乾が楽屋で圓城と雑談をしていると、白鷺、喬一郎、小艶、そして最後に柳太郎が楽屋入りした。乾が
「圓城師匠は『ヤクルト少年』を掛けるそうだが、他の師匠は何を掛けるのですかな」
そう言って今日の演目を確かめる。すると最初に白鷺が
「僕は『血煙旭山動物園』をかけます」
「血煙旭山動物園」は北海道の動物園を舞台にした動物ものの人情喜劇である。発表当時に評判を呼び一躍白鷺の名を高めた噺である。すると小艶が
「私は、『どくどく』をやりますよ。期待しててください」
「どくどく」は高級フレンチに並ぶワインの噺で、高級な故に売れ残ったワインの悲劇を面白可笑しく描いた噺で、これはCD化もされている人気の噺だ。次に喬一郎が
「僕は軽く『噺の大学』で」
「噺の大学」はやたら古典落語のタイトルが出てくる噺で、古典落語に通じていればいるほど可笑しさが増す噺である。
「柳太郎師匠は何をおやりになるので?」
乾が水を向けると
「そうですね。ここのところ古典ばかりやってましたからねえ……色々と考えたのですが、新しく作った『不幸な同居』をやります」
柳太郎はそう言って自信ありげな顔を見せた
「根多降ろしですか! それは楽しみですね」
乾の言葉に柳太郎は
「いえね、二世帯住宅で娘夫婦と同居した親子夫婦の噺ですが、婿さんが父親さんよりも出世してしまぃましてね。それも婿さんの会社は親父さんの会社の上得意先でしてね。そこから始まる悲喜劇という感じですね」
「それは面白そうですね。これは期待できます」
乾の言葉に圓城は
「この前聴かせて戴いたのですが、同じ新作派として、嫉妬が出るくらいの出来の良さでしたよ。充分に期待されても間違いないと思います」
誰もが自信をみなぎらせていた。そして開演が迫って来ていた。
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