第10話
神山は浅草演芸ホールに仙蔵を訪ねていた。話の内容は三猿亭釉才の事だった。
「……という訳で本人はやる気になってくれたのですが」
トリの出番を終わって着替えている仙蔵に経緯を話したのだった。
「ここじゃ不味いから外へでましょうか」
仙蔵が視線を外に向けた。二人は行きつけの居酒屋に入って行った。出されたお通しに箸をつけてビールを口にすると仙蔵は
「まさか、いきなり『古典落語を聴く会』に出そうと言うんじゃ無いでしょうね」
この時まで神山は半分はそのつもりで居たのだった。
「不味いですか?」
仙蔵の表情を見る限り賛成とは思えない感じだった。
「神山さん。あの会はもう話題になっています。早くも次回の開催を望む声が俺の所にも届いているぐらいですよ。そりゃいきなり出れば、センセーショナルかも知れませんけど、そういう類の会じゃ無いでしょう」
仙蔵にそう言われては反論は出来ない。
「いやね。全く駄目という訳じゃ無いんですよ。別の高座に出させて、その結果で考えるのが筋じゃないかと」
「確かにその通りですね。自分が急ぎすぎました」
「協会の方はどうなのですか?」
「それが満更でもないのですよ」
「会長あたりが可愛がってましたからね」
今の噺家協会の会長は釉才の一門ではないが、やはり三猿亭の一門で橘家助蔵という噺家だった。若い頃から人気者でテレビやラジオに出ずっぱりだった。噺の上手さよりも笑いを多く取り「爆笑王」の異名を取っていた。
「師匠は副会長でしょう。そのあたりはどうなのですか?」
「まあ、釉才がかっての人気を取り戻せば誰も何も言えないが、そうはなるまい。兎に角何処かで一席ちゃんとやらせてからでしょう」
神山は仙蔵のいう事も良く判っていた。来月には新作の落語会がある「革命落語会」という名が冠され、早くも前売りが好調らしい。出演メンバーは三猿亭圓城、三猿亭白鷺、柳亭喬一郎、柳家小艶、それに春風亭柳太郎の5人と発表されていた。どの名も大物ばかりで人気が出るのも当たり前だった。
翌日、神山は新宿の末広亭に柳生を訪ねていた。そして仙蔵とのことを話した。
「それは仙蔵師の言うことが最もですよ。私だって反対しますよ。正直言って新作派のメンバーは物凄いですよ。特にウチの師匠なんか、もう入れ込んじゃって凄いです」
「次の会は再来月か、それまでに時間があるかな?」
神山の言葉に柳生は
「時間って……釉才さんの事ですか?」
そう尋ねると
「ああ、出来れば来月中には一度高座に出して確かめたいんだ」
「本人やりますかね?」
「やるだろう。そうでなければ返事はしないだろう」
神山の言葉に柳生は少し考えて
「じゃあ、ウチの柳星の会で二人会としましょうか? それぞれ二席で」
そんな提案をした。神山は
「柳星君に会を開かせるの?」
「いいえ、元から決まっていたのです。独演会にするか二人会にするかは決めかねていたのです。二つ目の会ですから、それほど注目はされないのも好都合かも知れません」
神山は柳生の提案を受けて、お客や世間の注目度は今回では無く「古典落語を聴く会」が注目されれれば良いと思った。釉才がどれほどブランクを乗り越えているのか、きちんと噺が出来るのか。出来れば全盛期に近い出来が欲しいと思った。
「柳星くんの会の会場は?」
神山はそこが気になった。
「新宿にある『スペース暁月』という百五十人ほどの規模の会場です」
『スペース暁月』は神山も知っている。ここは本来貸し多目的ホールで、ライブなどの他に若手の噺家の会が良く開かれていた。
「充分だな」
「そうでしょう」
「柳星君にも言わなくちゃ」
柳生はその場で柳星に連絡を取った。勿論神山も釉才に連絡を入れて承諾を取った。
「ありがとうございます。出来ればその上で判断して戴けると幸いです」
釉才もそう返事をした。神山は
「師匠、正直言って稽古は?」
「拘置所の中でも、出てからも一日も欠かさずやっていました。事件があって、やはり自分には噺しか無いとつくづく思わされたからです。今は聴かせる人は居ないけど、いつか、いつかその時が来たらと思って稽古していました」
「そうですか、じゃ期待しています。柳星君の都合もありますが演目を決めておいてくださいね。二人会なので二席お願いします」
「二席ですか……ありがとうございます!」
釉才はまさか二席も出来るとは思ってもなかった。
「判りました。追って連絡します。それと一度柳星君と柳生師に逢わせてください。挨拶がしたいので」
神山はもしかしたら上手く行くような気がしてきた。もし本当に釉才が加入するなら新作派と同じ5人が揃うことになる。質も量も充分に対抗出来ると思うのだった。
数日後都内某所で釉才と柳生、それに柳星の顔わせがあった。勿論神山が同席の上である。そこで演目の調整が行われた。
柳星が「青菜」「鹿政談」、釉才が「小言念仏」「百川」となった。あくまでも柳星の会にゲストとして釉才が加わる形なので、噺の順番も柳星の「青菜」から始まり、釉才の「百川」で中入り、食いつきが釉才の「小言念仏」でトリが柳星の「鹿政談」となった。柳星は最初トリは辞退したのだが釉才が譲らなかったのだ。
「なんせ六年ぶりの高座ですから……」
この言葉には反論出来なかったのだ。
当日は曇りであったが雨の心配はなかった。開催まで時間が無かったにも関わらず前売りは八割が売れていた。当日券も僅かとなった。神山は楽屋に二人を訪ねた。
「ああ神山さん。釉才師匠が出るという事が何処かで伝わったのか芸能記者がうろついています」
柳星は釉才のことを心配していたのだが当の釉才は楽屋の奥で座禅を組んでいる。
「精神統一だそうです。取材したければ何でも話すとか」
二人のやり取りを耳にして釉才が目を開けた。
「神山さん。今日は今の自分の全力を出す所存です。芸能記者にも見て貰いたいですね」
そんなことを口にして全く気にしていない感じだった。釉才としてみれば、そんな些細な事より今日の高座が自分の噺家としてのこれからが決まると思うと、全く気にならなかった。
やがて開演時間となり柳星の出囃子「藤娘」が鳴り出した
「お先に勉強させて頂きます」
そう挨拶をして柳星は高座に出て行った。
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