第8話

 落語会が終わり、打ち上げで少し飲んでから神山は家に帰った。

「ただいま〜」

「おかえりなさい」

 妻の薫と娘の恵と一緒に迎え出てくれた。

「まだ起きていたのか?」

「パパの顔を見てから寝るんだって」

 薫が笑いながら言うと恵が

「パパの顔見たからもう寝る」

 そう言って抱きついた。そのまま寝室で薫と二人で寝付かせた。その後台所のテーブルに移った。

「何か飲む?」

「いいやコーヒーがいいな」

 そう言って椅子に座ると薫が

「今日の落語会はどうだった?」

 コーヒーを煎れながら尋ねる

「良かったよ。特に柳生さんと仙蔵師匠。それに遊蔵さんも良かったな、柳星くんも頑張っていたな」

「なんだ結局みんな良かったんだ」

 そう言って、コーヒーカップを神山の前に出しながらテーブルの角の隣に座った。ここが二人の定位置なのだ。

「でも乾先生って、最近演劇の評論も書いてるだけど、ウチの劇団の評論も書いていてね。結構厳しいんだ」

 薫は「劇団役者座」に所属いている。普段はテレビドラマや映画の出演が多いが、劇団の舞台にも立っている。

「演劇は専門外だからチェックして無かったな」

 コーヒーカップを口に運びながらそんな事を口にした

「そうそう今日は乾先生来ていたの?」

「ああ楽屋に挨拶に来たよ」

「へえ〜律儀な所もあるのね」

「律儀と言えばそうだけど、おまけがあってね」

 そう言って神山は楽屋での出来事を話した。

「そうなんだ。でも新作だけの落語会って誰が出るのだろう」

 薫の疑問に神山は

「そうだな。圓城師はトリだろうな。それから白鷺さんかな」

「一番弟子の?」

「そう。白鷺さんは古典派の俺でも認める存在だよ。今や師匠を超えてると思うな」

「後は?」

「柳亭喬一郎は外せないだろう」

「あ〜チケットの取れない噺家ね。でも彼は古典もやるでしょう」

 そうなのだ、柳亭喬一郎は柳家の噺家で一番の人気者で、その独演会はチケットが直ぐに完売するほどである。古典も評価が高く神山もよく取り上げていた。その一方で自作の新作も手がけて、そちらも高い評価を受けていた。

「新作落語だったら外せないだろうな。CDだって現役ではトップの売上を誇っているからな」

「新作といったら、柳家小艶さんは?」

「ああ、考えられるね彼も素晴らしい噺家だからな。天文だけじゃない」

 柳家小艶も新作で高い評価を得ている噺家で、ファンも多い。良く天文落語会等と言う名を冠した落語会を開いている。

「後は誰だろう?」

 名が出たのは三名だ。今日の落語会に対抗するにはもう一人必要だ。

「二番弟子に圓斉さんは?」

「残念だけど、この三名に比べれば落ちるしな。俺が乾だったら無いな。ま、考えても仕方ない。風呂に入って寝よう」

 そう言って二人での落語の噺は打ち切りとなった。

「あたしは恵と入っちゃたから」

「もう一度入ってもいいぞ」

「そう……じゃ」

 二人目が出来るのも近いかも知れない。


 それから数日後のことだった柳生から連絡が入った

「どうした?」

「今日夜にでも逢えますか?」

「ああ良いけど。寄席は?」

「今日は昼トリだけですから」

「じゃあウチに来いよ。薫も逢いたがっていたから。鍋でも突きながら飲もう」

「それじゃお邪魔します」

 翌日の夕暮れ柳生が神山の家を訪れた

「あ〜柳生さんお久しぶり!」

 薫も喜んで出迎えた。

「あ柳生のおじさん!」

 恵も喜んでいる。早速寄せ鍋を突きながら飲みだす。すると柳生が

「今日伺ったのはウチの一門が大変なことになりそうなのです」

 そう言って今日電話した内容に言及した

「大変なこと?」

 正直、今の柳生の一門、春風亭柳太郎一門に特別な問題は起こっていないはずだった。

「今の一門には特別な問題は起こってないと思うけど」

 神山の言葉に柳生は

「それがこれから起こるんですよ」

「これから?」

 神山は訳が判らないという感じだった。それを見て柳生は思い詰めた様子で

「実はウチの師匠が例の新作の落語会のメンバーに誘われているのですよ」

「え、柳太郎師匠が?」

 春風亭柳太郎は先日、噺家芸術協会の会長に就任したばかりだった。実現すれば超大物の登場となる

「そうか、柳太郎師はもともと新作派だったな。迂闊だった。まさかこちらの土壌を荒らされるとは…・・・。それで師匠は出る気なのかい?」

「満更でもない感じです」

「惣領弟子がこちら側に居るのに反対に回ると言うのか」

「まさかです……でも判る部分もあります」

 柳生の言葉に神山は

「判るって?」

 柳生に尋ねた

「もし、私も柳星が将来落語界を背負う程の噺家になったら、勝負してみたい感じになるかも知れません。師匠もそんな気持ちを持ったのかも知れないと思います。まあこれは確かめなくてはなりませんけどね」

 柳生の言葉に神山は

「柳太郎師は今は古典の方が多いでしょう。新しい新作は作っているのかな?」

 今や古典派とも言って良い柳太郎のことを考えた。

「実は作っています。既に幾つかは自信作が出来てるようです。師匠はそれを披露する場所が欲しいのかも知れません」

 柳生の事に神山は一度柳太郎の元を尋ねてみようと思っていた。

 数日後、協会の会長室に神山の姿があった

「ではやはり……」

「ええ、出る事に決めました。僕も今は古典やってますが、元々は新作派ですからね。それに仙蔵師やウチの柳生ともやりあえるのは楽しみですよ。僕もまだまだ納まる歳でもありませんからね」

「そうですか。考えるとそうですね。古典と新作ががっちりぶつかり合えば落語の将来には良いかも知れませんね」

 柳太郎の言葉に神山はそう言って応えた。

 協会を出ると柳生に連絡を入れる

「もしもし、今噺家芸術協会を尋ねて柳太郎師に直接尋ねた」

「で、どうでしたか?」

「やはり、誘われているそうだ」

「出るということですね」

「ああ、勝負をしたいそうだ」

「そうですか。それならこちらもメンバーを補強しないとなりませんね」

「そうだな柳星くんも悪くは無いがもう一人いれば心強いな」

「それとなくあたってみますよ」

「悪いが頼む。こっちも考えておくから」

 そう言って話を終えた。その後、「東京よみうり版」の編集部に編集長の佐伯を尋ねる為に寄った時のことだった。今日までの事情を話していると

「神山さん、編集長。お客さんです」

 編集員がそう告げた。

「お客さん?」

「はい。是非お二人に逢いたいと」

 その声が終わらないうちに

「お久しぶりです。神山さん佐伯さん」

 その声の方向を見て二人は驚いた。

「師匠! どうしてここへ……」

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