第7話

「落語研鑽会」は明治の頃、新作落語が隆盛を極めたのだが、それに危機感を抱いた噺家有志が共同で立ち上げた会で、それ以来主催者が変わっても戦中を除き連綿と続けられて来た会であり、今持って会の趣旨は古典落語の伝統的な保存と技術の向上にある。だから新作落語は未だかって掛かったことが無いし、新作落語を演じる噺家もこの会では古典をやるのだ。毎月一度、国立小劇場で行われている。今では多少価値が落ちたが、かっては、この会に出られるだけで噺家としては名誉だとされていたのだ。

 今日の会では、仲入り後の食い付きで柳生と仙蔵の対談となった。テーマは「古典楽語のこれからの展望」というものだった。今日の会の趣旨としては最適な題だと神山は思っていた。勿論彼が司会進行を努めている。

 当然話には古典落語に登場する言葉や生活習慣の違いを認識した上で、如何にして噺を楽しむ為の障害としないかと言う事が二人によって語り尽くされた。お客の中には

「仙蔵や柳生が落語に対してここまで考えているのか」

 と感心をした者も多く居た。

「要は、その噺の本質を演者もきちんと理解した上で演じる事が大事なのですね」

 柳生の言葉に仙蔵が

「そう。表面だけでは無く本質を捉えることが大事なのだね」

 そう締めくくって対談が終わった。すぐさま椅子が片付けられ端に置かれていた毛氈が敷かれた高座が舞台の真ん中に戻された。そして出囃子「中の舞」が鳴る。一旦袖に下がっていた仙蔵が出囃子に乗って登場すると、割れんばかりの拍手が降り注いだ。仙蔵が座布団に座り頭を下げる

「え〜只今は随分と生意気なことを語りましたが、何時も考えている訳じゃないんですよ。普段はね、やってると夢中になっちゃうんですよ。ホント」

 仙蔵のひょうきんな言い方で笑いが起きる。

「今は無くなった遊びに郭遊びというものがありますな。やりたくったって、もうやれない。無くなっちゃったものですからね。でも、その昔は、『遊び』というと郭遊びのことを言ったものでしたな」

 早速マクラに入って行く。このあたりの噺の持って生き方は抜群だ。この噺は江戸後期の初代柳枝師の作なのだ。だから出来た時は新作なのだ。良く新作派の噺家が「古典も出来た時は新作」というのはこのような事を言うのだ。

 噺は佐平次が仲間と品川に遊びに行くのだが、遊んだ翌朝に仲間を集めて、

「自分は胸を病んでるのでここで暫く居続けをしようと思う、それについてはここに集めた金をおふくろにやってくれ。それだけあれば暫くは困らないだろうから」

 と言って皆を帰るように言う。仲間が心配すると

「大丈夫だ心配するな」

 と言って帰してしまう。勘定の精算に来た若い衆に

「勘定はさっきの仲間が持ってくる」といい居続け。翌日も「勘定勘定って、実にかんじょう(感情)に悪いよ」とごまかし、その翌日も居続け、しびれを切らした若い衆に、

「金? 持ってないよ」

 と宣言。店の帳場は騒然。 佐平次少しも応えず、みずから店の布団部屋に篭城する。

 さてここからが佐平次の本領発揮で、夜が来て店は忙しくなり、店は居残りどころではなくなった。

 佐平次は頃合を見計らい、客の座敷に上がりこみ、

「どうも居残りです。醤油もってきました」

 等と客に取り込み、あげくに小遣いまでせしめる始末。花魁がやってきて、

「居残りがなんで接待してんの?……ってやけに甘いな、このしたじ(醤油)」

「そりゃあ、蕎麦のつゆですから」

「おいおい、どうりで!」

 などと自分から客をあしらい始め、謡、幇間踊りなど客の接待を始めた。それが玄人はだしであり、しかも若い衆より上手かったから客から「居残りはまだか」と指名がくる始末。

 この辺りを仙蔵は実に愉快に演じて行く。実際の芸が生きてくる。見ている客にも、自分が品川の見世に上がっているかのような錯覚を感じさせていた。

 高座の袖で見ていた柳生は

「やはり上手いな。見事と言うしかない」

 そう感心していると遊蔵も

「師匠の得意演目の一つですからね」

 そう言って目を細めた。

「遊蔵さんもやるんでしょ?」

「やりますけど、まだまだです。そう言えば柳生師匠もおやりになりますよね」

 遊蔵の質問に

「私のは仙蔵師匠とは趣が大分違います。師匠のは佐平次目線で語られていますよね。私のは若い衆目線なんです」

 そう答えた。すると遊蔵は

「ああ、そうか。そういうやり方もあるんですね。今度稽古お願いしても良いですか?」

 そう言って稽古を頼んだ

「いいですけど……少し違いますから参考になるかどうか」

「佐平次目線と若い衆目線が交互にくれば面白さも倍になるのではと思ったのです」

 遊蔵の考えに柳生は、このような若手が出てくれば古典落語の行く末も安心だと思うのだった。

 やがて噺は若い衆が旦那に文句を言って佐平次を追い出そうとするが、旦那に佐平次は、自分はお上に追われている身だと言う。旦那は出て行って欲しくて佐平次に着物やお金まで与える始末。

 やっとの思いで佐平次を見世から出したのだが、近くで掴まっては困ると若い衆に様子を見にやらせる。すると

「てめえんとこの旦那はいい奴だが、言い方を変えると馬鹿だな。いいか、覚えておけ、俺は居残りを業(なりわい)にしている佐平次ってんだ。あばよ」

 と言って消えてしまう。若い衆は驚いて見世に帰り

「旦那、あいつは居残りを業にしている佐平次て奴ですよ」

「何だって! じゃあ、あたしをおこわにかけたのかい」

「へえ、あなたの頭がごま塩ですから」

  もう明治の頃には判らなくなっていたサゲを言って打ち出しとなった。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 仙蔵が座布団から降りて頭を下げる。割れんばかりの拍手の中緞帳が静かに降りて行く。こうして第一回「古典落語を聴く会」は無事に終わったのだった。

 仙蔵が楽屋に戻ると神山の他、柳星、遊蔵、柳生が揃っていて

「お疲れ様でした」

 と挨拶をした。仙蔵は

「いや〜やってて楽しかったな。今日の客は最高だよ」

 そう言って上気した顔を綻ばせた。すると乾が楽屋に顔を出した。

「皆様、お疲れ様でした。しっかりと拝聴させて戴きました。感想は来週号の私のコラムに書きますから楽しみにしていて下さい。それから、私と圓城師匠が主催する新作落語の会も楽しみにしていて下さい。神山さんにはお伝えしてありますけどね。それじゃ失礼します」

 そう言って楽屋を出て行った。遊蔵が

「コラムにですか、直接言えばいいのに」

 そう言って頬を膨らませると柳生が

「ま、言葉より筆が立つ人もいますからね」

 そう言うと、仙蔵が

「言葉が自由に操れない奴が新作の噺家の味方なんだ。こりゃ苦労するぜ」

 そう言ったので皆が笑った。

 

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