第6話

 万雷の拍手の中、柳生が高座の座布団に座った。柳生を見に来ている客も大勢いるのだ。そんな熱い視線を感じていた。

「え〜麗麗亭柳生と申します。どうぞお付き合いを願います。今は台所といっても、すっかり近代的になりまして、電化が進んでいますが、昔はそうではありませんでしてね。火を起こすところからやらねばなりません」

 柳生は、現代と昔の台所の違いから枕に入って行った。なんせ乾に尤もダメ出しをされた演目である。いつものようにやれば、それで良いとは言え、客席に居る乾に向けて答えのような高座を見せねばならない。少なくとも柳生はそう考えていた。

「今使わなくなった言葉に『へっつい』というものがありますな。これは『かまど』のことなのですね。火を炊いて煮炊きする場所ですね。今だと『コンロ』ですかね」

 笑いを取りながら言葉の説明をしていく。これは噺の仕込みとしても必要だった。喋りながら柳生は

『乾ならこう説明しなくちゃならないのが駄目なのだと言うのだろうな』

 と考えていた。やがて噺は本編に入る。この「竃幽霊」という噺は博打にあたって大儲けした熊は、お金を自分の家の竃に塗り込める。しかし、ついでにふぐに当たってしまって亡くなってしまう。熊はこの世に残したお金に未練があり成仏出来ない。古道具屋に売られた竃が買われると、夜にその持ち主の所に出たのだが、誰も怖がって話を聞いてくれない。しかし、新たに持ち主になった熊は逆に幽霊の長五郎を脅かす有様。

 柳生の噺は三木助や圓生の上方の噺に近いやり方ではなく、ストーリーを整理して判りやすくした古今亭志ん生の型だった。これは柳生がこの噺を習ったのが志ん生の息子の志ん朝からだからだったからだ。

 今日の客はよく笑っていた。筋の良い客だと思った。この噺の本質を理解しているのが伺えた。それは、この噺は竃が何か判らなくても、お金を隠した場所が判ればそれで良いのであり、竃が何か判ればその後は重要ではない。重要なのは熊と長五郎のやりとりなのだ。お金に未練たっぷりの幽霊と幽霊なんざ怖くも何ともないという肝の太い男とのやりとりが楽しいのだ。そこだけを見れば充分に現代でも通用する噺なのだ。表面的な事だけを見ていては噺を理解出来ない。

 少なくとも柳生はそう考えていた。先ほどの楽屋で仙蔵と二人になった時にも話したことだった。仙蔵も

「そうなんだよな。本当の面白さは、普通は怖がる幽霊と博打を打つという信じられない事が面白いのであって、そこが重要なんだよな。俺がやる『居残り佐平次』も昔の品川の宿場女郎のことや仕組みが判らなくても、要領の良い奴が居残りになって、お客を取り巻いて売れて行く様が痛快なのであってさ、そこが大事なんだよな。今だって要領よく生きてる奴は居るし、殆どの人はそう出来ないから噺を聴いて楽しむんだよな」

 仙蔵も柳生も考えは同じだった。

 噺は後半に入って行った。幽霊の長五郎が熊に頼むシーンとなっている

「親方、ねえ良いじゃありませんか。どうもねえこの金に気が残ちゃって、このままじゃ浮かばれないんですよ」

「そうか、じゃあおれも男だ受けてやろうじゃねえか。それで幾ら掛けるんだい」

「へえ、百五十両行きます」

「お、凄いねえ」

「いや、ゆっくりやってると朝になっちまうんで、すると帰らなくちゃならないんで」

 ドッと客に笑いが起きる。そして噺は勝負のシーンとなる。目が出たのは熊が張った半となった。長五郎は負けたのだ。このシーンをかっては熊がイカサマで金を巻き上げたとやる噺家もいたが今は少なくなった。時代に合わなくなったのだろう。古典はこんな所も変わって行くのだ。

「ウゥーン…」

「幽霊がひっくり返るの初めて見たぜ」

「親方、もう一勝負…」

「それは勘弁。てめえには、もう金がねえじゃねえか」

「親方、あっしも幽霊です。決して足は出しません」

 ドッと笑いが起き、拍手が湧き起こる。柳生は頭を下げると

「おなかいり〜」

 と柳星の声が入り緞帳が降りた。


 高座の袖に下がると裾で見ていた遊蔵と柳星が

「お疲れ様でした」

 と頭を下げる。柳生は軽く頷き楽屋に下がると仙蔵に向かって

「お先に勉強させて戴きました」

 と頭を下げた。仙蔵は

「今日の客は筋が良さそうだな」

 そう言って嬉しそうな顔をする、柳生も

「そうですね。判ってる者ばかりと言う感じですね。やり易いですよ。だからこっちもノリますよね」

 そう答える

「ちげえねえ」

 仙蔵もそう言って笑った。会は二十分間の休憩に入る。少し長めなのはトイレの数とお客の数を考慮したせいだ。

 仙蔵が食いつきの対談に合わせて着物を着始めた。遊蔵が手伝ってるのは言う間でもない。そこに神山がやって来た。

「良かったですね。柳星君も遊蔵師や柳生師も良かったですよ。良い原稿が書けそうです」

 そんな事を言ってから

「そう言えば、乾先生が来て挨拶されたのですが、圓斉が付き添っていましたよ。それで自分たちも新作派の会を開くから来て欲しいと言われました」

 先ほどの事を伝えると仙蔵が

「圓斉? なら本山は圓城か。あいつは一癖あるからな。神山さん是非、その会の模様を教えて下さいね」

 そう言って神山に頼みこむと、神山も

「それはもう」

 そう言って事が次第に大きくなる事を感じるのだった。すると遊蔵が

「でも、向こうの目的は何なのでしょうね」

 そう言って、乾の最終的な目的を考えた。

「それは私の考えですが、もしかして『落語研鑽会』に新作で出ることなのかも知れません」

「『落語研鑽会』!!」

 柳生の言葉に柳星と遊蔵が声を揃えて叫んだ

「お前らふたり漫才も出来そうだな」

 仙蔵が笑って茶々を入れた

「なるほど、今まで新作派の噺家はあの会には出られなかったからな」

 仙蔵の言葉に柳生が

「もともと、研鑽会は古典の保存、向上を目的として続けられている会ですからね。新作が高座に掛かった事は無いかも知れません」

 柳生が返事をすると遊蔵が

「じゃあ、それこそ新作が板に掛かるということは……」

 そう疑問を口にすると柳生が

「そう、古典に変わって新作落語も保存、向上の範疇に入るという事なんだ」

 それを聴いて仙蔵は苦い顔をし、若手二人は顔を見合わせるのだった。

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