第5話

 今日の会について神山は主催者ではないが、提案者なので主催者側の人間となる。だから乾にも神山名義で招待状を送ったのだ。

 楽屋に挨拶をした後で、開場してお客が入って来るのをホールの隅で眺めていたら、後ろから声を掛けられた

「神山さん。今日はお招きに預かりありがとうございます。折角ですのでやって参りました」

 振り向くと乾だった。

「これは乾先生。お忙しいので、まさか来て戴けるとは思ってもみませんでした」

 乾は神山より歳上であり、しかも評論家としての格は遥かに上なのでこのような言葉遣いになるのは仕方なかった。

「いやいや。これでも私は落語は大好きですからね。だから落語の将来が不安で堪らないのですよ」

 乾の言い方は一見何でも無いようだったが、神山は腹の底に何かを隠してるのを感じていた。

「今日は楽しみです。演目を見たら、判り難い噺ばかりですからね。名人の仙蔵師や達者な柳生師が難題の古典をどう演じるのか興味が尽きないですよ」

 神山は乾の言葉に返答する。

「まあ今日は特に、そのような会ですからね。乾先生にもご覧戴いて、今でも古典が立派に通用するのを見て戴けるなら嬉しいですね」

 神山は今日の会が先日の乾のコラムに対する答えの会だという事を暗に言葉に出した。すると乾は

「神山さん。勘違いされては困るのですが、私は古典も好きですよ。でも今は未だ判る世代の方もいらっしゃるけど、あと二十年も経ってご覧なさい。今の三十代が五十を超えてる。その世代が全く判らない言葉や生活様式を下敷きにした噺が通用するのか? ということなのですよ。だから私は今のうちに古典落語は大衆芸能から保存を目的とした古典芸能に看板を付け替えるべきだと思うのです。このままならやがて古典落語は見向きもされなくなる可能性もあります。今は盛り返しましたが一時はお客が本当に入らなくなってましたよね。今やチケットが取れない噺家さんがトリをとってもその頃は半分もお客が入らなかった」

「確かにあの頃はそうでした」

「それは古い新作が幅を利かせていたからです。いつもでも、『おい木村くん。何だい佐藤くん』じゃ通用しませんよ。それを打破したのが三猿亭圓城師ですよ。彼の『革命落語会』は落語界に衝撃が走った。曰く、落語は今を描かなければならない。と言うテーマのもと斬新な新作が集まって演じられました。それからです。お客が新しい新作を聴きに集まって来たのは。勿論、それに対抗して古典落語も復活しました」

「それを再びやろうと言うのですか?」

 神山の質問に乾は

「再びというより、新たに現代を抉るような新作を出したいですね。それでこそ古典落語は古典芸能の立場を確立出来る」

「と言うと、何かおやりになるのですか?」

 神山の質問に乾は

「そうですね。この会に対抗する訳ではりませんが、新たな新作の会をやろうと考えています。精鋭のメンバーを集めて、今までに無い新作落語を披露しようと思っています。日時は未だ未定ですが、判ったら神山さんにも招待状をお送りしますので是非にも聴きに来て欲しいと思っています」

 乾の言葉に神山は

「それは楽しみにしております」

「それでは」

 乾はそう言って神山の前から遠ざかった。角を曲がる時に乾に寄り添ったのは神山の目が確かなら三猿亭圓城の弟子の圓斉だった。神山はそれを見て、仲入りの時でも楽屋の皆に伝えておこうと思った。


 遊蔵は自分の出囃子「小鍛冶」に乗って高座に出て行った。この会場は何回か使った経験があり、噺家にとってはやり易い会場だった。声の響きなども満足出来るレベルものだった。

 遊蔵が高座に姿を表すと一斉に拍手が沸き立った。若手真打として名が登りつつあった。将来を嘱望される噺家の一人になっていた。師匠の娘を妻に迎えて、将来は仙蔵を継ぐのではと思われている事も事実だったが、本人は今の名を大きくするつもりでいた。

「え〜お次は、わたくしでございます。小金亭遊蔵と申します。今日は根多出ししております通り『金明竹』をやるのですが、この噺は判らない言葉の連発ですので、どうか付いて来て欲しいと思っております。今日は寄席と違って待っていませんので、そこのところ宜しくお願いいたします」

 遊蔵がそう言うと、ドッと笑いが起きた。この噺は前半は与太郎が叔父の店の店番をしているが、ことごとく失敗を重ねる。しかし与太郎は叔父に言われた通りの事をやってると思っているので、何故怒られるのか理解出来ない。そんな後半で問題が起きる。遊蔵は前半の傘のくだりも、猫のくだりも笑いを上手く取って後半に繋げて行く。

 神山は高座の袖から見ていて「上手いものだな」と思っていた。かってはこの噺は三代目金馬師の独壇場で、ラジオでも人気を得ていた。噺は後半に入って行った。叔父が帰って来たが、与太郎の対応の不始末に再び出かける羽目になる。今度は女将にも言いつけて間違いの無いようにして出かけて行くのだが、そんな時に問題の人物が来店する。

「わては、中橋の加賀屋佐吉方から使いに参じまして、先度、仲買の弥市が取り次ぎました、道具七品のうち、祐乗・光乗・宗乗、三作の三所物。ならび、備前長船の則光。四分一ごしらえ、横谷宗珉の小柄付きの脇差……柄前な、旦那さんはタガヤサンや、と言うとりましたが、埋もれ木やそうで、木ィが違うとりましたさかい、ちゃんとお断り申し上げます。次はのんこの茶碗。黄檗山金明竹、遠州宗甫の銘がございます寸胴の花活け。織部の香合。『古池や蛙飛びこむ水の音』言います風羅坊正筆の掛物。沢庵・木庵・隠元禅師貼り混ぜの小屏風……この屏風なァ、わての旦那の檀那寺が兵庫におまして、兵庫の坊さんのえろう好みます屏風じゃによって、『表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたします』と、こないお言づけを願いとう申します」

 と言うのだが与太郎はさっぱり判らない。単なる乞食芸人だと思ってしまう始末だった。幾度も言い直されてて使いは怒ってしまうが、ここで女将が登場してもう一度言って貰うがやはり判らない。そのうち使いは帰ってしまう。その後旦那の叔父が帰って来て、何か無かったかと女将に問うが、しどろもどろで何を言っているのか全く判らない。唯一分かったのが、使いが中橋の加賀屋佐吉から来たものだと言う事。旦那は

「あそこにはあいつに道具七品を買うように手金を打ってあったんだが、それを買ってかい?」

「いいえ買わず(蛙)」

 と下げた。

 この噺は途中で出てくる言葉が関西なまりがもあり、そもそも専門用語だらけなので殆ど判らないのだが、判らないことを前提として噺が作られているので問題無いのだ。むしろ乾に言わせると昔の商家の習慣が、今では全く無くなってしまったのが問題だとされるのだろう。

 サゲを言って遊蔵が拍手に送られて高座から降りて来ると

「お先に勉強させて戴きました」

 と自分の師匠と柳生に挨拶をする。柳星が「お疲れ様でした」と言って高座返しに出て行く。この後は柳生が「竃幽霊」を演じて仲入りとなる。その後は食いつきで仙蔵と柳生の対談となり、トリの仙蔵の「居残り佐平次」となる。

「今日は時間もあるから、たっぷりやるからな」

 そう予告していた。

「いい出来だったじゃねえか」

 仙蔵が遊蔵にそう声を掛ける。柳生も「良かったね」と言って、出囃子の「外記猿」の鳴る中楽屋を出て行くのだった。

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