第140話 演劇。そして……

「……」


 柚木達が去ってから、俺の心は不安定さを増していく。


 俺は体育館の壁にある大きな時計に視線を飛ばす。……もうじき始まるな。


 さっきまで彩乃先輩の事で頭が一杯だったのに、今は柚木が最後に見せた笑顔だけが俺の脳内に張り付いてる。


(もし彩乃先輩にフラれたら……柚木の気持ちが分かんのかな……)


 そんな事を考えていると、不意にトントンと俺の肩が軽く叩かれる。


「うおっ!!」


「わ! ……何よ。そんなに驚く事ないじゃない。私まで驚いたわ」


 横を見ると、そこには俺の声に驚いた様子の新田が立っていた。


「お、おお……。すまん。もう仕事は終わったのか?」


「ええ。後は演者の皆が完璧な演劇を見せてくれるだけよ」


「そ、そうか……」


「……? どうかしたの? 何だか変よ、伍堂君」


 やはり顔に出ていたか……。


 俺に向けて怪訝な表情を向ける新田。だが俺は理由を話すつもりもない。


「……別に。何もない」


「……ふーん」


 納得なんてこれっぽっちもしていない様子だったが、取り敢えずは興味を収めてくれたみたいだ。


 それから二人の間に無言の時間が流れる。ざわざわとざわついている会場の影響で無音の空間ではないが。


 そんな二人の空間の中に、ぽつりと新田の言葉が落ちる。


「華ヶ咲先輩、綺麗だったわね」


 俺はちらりと横にいる新田を見る。彼女は真っ直ぐステージを見ていた。


「……だな。というか衣装のレベル高すぎないか?」


「衣装だけは外注したからね。高くて当然よ」


 外注て……。どれだけ気合い入ってるんだよ……。


「私、あまり人に興味が湧かない人間なんだけど……久しぶりに他人に見惚れたわ。凄いわねあの先輩」


「まぁ容姿って意味ならそこらの芸能人なんて比じゃないからなー。あの衣装と彩乃先輩の組み合わせを見て目が釘付けにならない人間なんていないだろ」


「……それもそうね。さっきまでステージ袖にいたけど、男子達の意識は華ヶ咲先輩の方を向いていたし」


 新田は「まぁ当の本人はそんな事気にしてないって感じで集中してたけどね」と付け足す。


 その時だった。


『――ただいまより、生徒会主導による、生徒会演劇を行います。演目は……白雪姫です』


 開始を告げるアナウンスが体育館に響くと、会場のざわざわとした喧騒はピタリと止む。


「始まるみたいね」


「……だな」


「いいの? もっと前に行かなくて」


「もう席埋まってるしな。ここで十分だ」


 前側の席は元々生徒達用らしく、クラスTシャツを着た生徒達が皆幕が上がるステージに意識を向けている。


 地域の方々や保護者、他校の生徒は後ろ側の席らしい。……ん?


(あれって……彩乃先輩のご両親か……)


 薄暗くて良く見えないが、少しだけ見える横顔。間違いない。


「――っ!」


 思わず声が出そうになった。


 彩乃先輩のご両親の隣にいる女性。


 その女性が――俺の叔母である美咲さんだったのだから。


(……は!? え、何で……!?)


 偶々隣にいるだけかと思ったが、彩乃先輩の母である鈴乃さんと何やらこそこそと喋っている。な、何であの二人に面識があるんだ……!


 まさかの二人に目を取られ、舞台上の情報が頭に入ってこない。


『鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰?』


 そんな有名なセリフから始まる白雪姫。本当なら舞台上で演技する皆の姿を見なければいけないのに。


「――ちょっと伍堂君。もう始まってるんだから少しくらい落ち着いたら?」


 どうやら俺の動揺は隣にいる新田にまで伝わったらしく、新田は薄暗いなか眉をひそめる。


 だが新田にそう言われても、俺の意識はあの二人に向く。な、何で……!


 ――その時だった。


「――っ」


 皆がそう息をのむ音が聞こえる。


 皆の視線は舞台上に注がれ、その視線の先にいたのは降り立った白雪姫――彩乃先輩だった。


 ひらりと舞うドレス。スポットライトで照らし出される彩乃先輩の姿は、本当の白雪姫のようだった。


「……すげぇ」


 思わず、そう口に出してしまった。


 こんな風に皆の視線や意識を奪う。こんな事、誰でも出来る訳じゃない。


 ステージ上で堂々と、そして繊細に演技をする彩乃先輩。演技の事なんて何一つとして分からないが、多分彩乃先輩の演技力というのはかなり高レベルのものなのだろう。


「……何が違うのでしょうね」


 会場に消え入るような声が、隣から聞こえる。


「……何が」


「私とあの人の違いよ。……これでも私、自分を磨く事に関して妥協した事は無いと思っているの。……でもあの人を見ると、いつも自分の事が小さく思える」


 今も舞台上から彩乃先輩の演技が会場を支配している。


 誰一人として、彼女の演技から目を離す者はいない。


「……別に、彩乃先輩と比べる必要はないだろ。新田は新田だ」


「……そうかしらね」


 彩乃先輩が登場すればもっと騒がしくなるのではと思っていたが、俺の予想は外れ、彩乃先輩の声だけが響く空間になっている。


「……お、千明が出てきたな」


「あの子大丈夫かしら……。数日前から結構緊張していたみたいだから」


 ここから見ていても分かるくらいにガチガチになっている王子様――千明が登場する。


 セリフも若干噛みそうになっているが、必死でやっている事は伝わってくる。


「――ねぇ、伍堂君」


「ん? 何だ?」


「この学園祭が終わった後、私に時間を貰えるのよね?」


「ああ。そういう約束だったろ」


「……それ、華ヶ咲先輩の前にしてもらえないかしら」


 そう言われ、俺は首を捻る。


 新田は真っ直ぐ舞台を見つめていた。


「……何か理由があるのか?」


「ええ。――お願い」


 舞台を見つめる新田が何を考えているのか、それは分からない。


 こうして彩乃先輩へ俺の気持ちを伝える前に、新田に会う事になるのだった。




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