第139話 柚木双葉の初恋

 薄暗くなった体育館には大量の椅子が設置されている。学園祭が始まる前はこんなにいらないだろと思っていたが、蓋を開けてみれば空席なんて一つも無かった。


 それどころか立ち見の人達までいる。……うわ、「彩乃先輩!」って書いてあるうちわを持ってる人達までいるんだが……。


(俺……そんな人に今日、告白するんだよな……)


 控室で彩乃先輩と別れてからというもの、ずっと俺の心はフワフワと落ち着きが無い。


 俺は一人で体育館の奥の壁に背中をつけ、幕が下がったステージを眺めていた。


 因みに新田もここにはいない。多分今頃あの幕の裏で最後の仕事をしているのだろう。


「――あ! いたいた!」


 そんな時、少し遠くから通りのいい声が聞こえて来る。


「ちょっとあんた……。声大きすぎ……」


「マサ先輩ー! こんな所で何してるんですか?」


 疲れ切った様子の空閑の手を引き現れたのは、薄暗い中でも分かる程にキラキラとした表情を浮かべた柚木だった。


 腕に掛けている大量の袋を見るに、この学園祭を大いに楽しんでいるのだろう。


「おお、柚木か。別に何もしてない。演劇が始まるのを待ってるんだよ」


「あれ? マサ先輩ってこの演劇の関係者じゃなかったでしたっけ? ここにいていいんです?」


「関係者って言っても俺がした事は何もないしな。後は演劇の成功を祈るくらいだ。……そっちは大分楽しんでるみたいだな」


 俺は柚木に手を引かれる空閑へと視線を送る。


 俺からの視線に気付いた空閑は、「ちっ」と軽く舌打ちをした後、


「ちょっとあんた。この子どうにかしてよ。好き勝手に連れ回されていい迷惑なんだけど」


「そう言いながらもしっかり楽しんでいるように見えるが」


「は? あんた目おかしいの?」


 ……こいつ。俺に対する態度はやっぱりこうなんだな。


「えー、くーちゃん私と一緒にいるの楽しいよね?」


「別に普通」


「ぶー。そろそろデレてくれてもいいのに」


 擦り寄る柚木を押しのけるようにする空閑。……柚木に空閑を任せて本当に良かった。


 百合百合した二人のじゃれあいを苦笑しながら眺めていると、空閑の鋭い視線が俺の目に飛び込んでくる。


「……何だよ」


「あんた、気持ちは決まったの?」


 空閑の言う気持ちというのは、十中八九彩乃先輩への気持ちの事だろう。


「――ああ」


 その言葉だけで全てを察したのか、空閑は「……あっそ」という短い言葉を吐き捨て、荒々しく壁に背を付けた。


 こんなやり取り、間にいる柚木には何が起きてるか分からないんだろうな。


 俺と空閑を交互に見た柚木は、


「――あー、そういう事ですか」


 と呟き、俺の目の前に回り込む。




「――マサ先輩。ずっとずっと……好きでした」




 時が止まったような気がした。


 薄暗い中、柚木のにししっと笑ういたずらっ子のような笑顔が、俺の目に映る。


「……え?」


 俺……告白、された……?


 聞こえた言葉の意味を何度も頭の中で考えるが、あの言葉の意味は好意を打ち明けられたものだという結果しか出てこない。


 驚愕したのは俺だけではないようで、目を見開く空閑も同じく動揺しているようだった。


「ふっふっふ。マサ先輩って女の子に告白された事、まだ無いですよね?」


「……おお」


「なら――私がマサ先輩の初めてって事になりますね! やった!」


 そう言って笑う柚木。


 異性に告白した後とは思えないほど、柚木の表情は明るい。


(――そ、そうだ。返事……しないとな)


 答えはもう決まってる。


 ――だが、何故か喉に突っかかって言葉が出てこない。言うべき言葉なんて分かっているのに。


 言葉を発そうと口を動かしてみるが……出てこない。


 そんな様子を見た柚木は、微笑を浮かべ、薄い自分の唇に人差し指を当てた。


「――言わなくて、大丈夫ですよ。……マサ先輩が考えてる事くらい、一番付き合いの長い私が分かってますから」


 手を後ろに回した柚木は、


「マサ先輩、彩乃さんに自分の気持ちを伝えるんですよね?」


「っ。な、何で……」


「さっきのくーちゃんとのやり取りを見てれば分かりますよ。……まぁ、何となくそんな気はしてましたけど」


 なら柚木は……俺が彼女の想いに答えられないのを知っていて、告白したのか。


 ……なんて強い、女の子なんだろう。


「この想いはこのまま蓋をして鍵を掛けようかと思ったんですけど……やっぱり無理でした」


 あははと笑う柚木。今彼女の心中はどうなっているんだろう。


「マサ先輩が私の想いに答えられないのは分かってます。……けど、こうして伝えられて良かったです!」


「柚木……」


 俺はなんて声を掛けたらいいんだ。


 好きになってくれてありがとう? これからも仲良くしてくれ?


 それらしい文言は思い付くが、この場に合っているのかが分からない。


 もし明後日の方向を向いた言葉を投げかけてしまえば、俺なんかを好きになってくれた柚木を傷付けてしまうのではないか。


 そんな思いが、俺の中を駆け巡る。


「――じゃあ、私とくーちゃんは行きますね! まだ回りきれてない所があるんで!」


 柚木はにっと笑みを見せると、壁にもたれかかる空閑の手を取る。


「え、ちょっ……ほんとにいいの!?」


「じゃあマサ先輩! また会いましょうっ!!」


 そう言い残し、柚木と空閑は俺の前から姿を消した。


 去っていく柚木の後ろ姿はいつも通りで、最後に見せた笑みもいつも通りのあざとい笑顔だった。


「……結構、くるな、これ」


 人の好意に首を振る。


 その行動が、これ程までに心が重くなるなんて、俺は知らなかった。


 これは……罪悪感?


「――こんなの、もう二度としたくないな……」


 荒々しく頭をかきながら、思わず本音が溢れでた俺であった。


 ◆


「――ちょ、ちょっと待ちなさいよ柚木!」


 引っ張られる力に抵抗し、私は両足を踏ん張る。


 この子はさっきあのヤンキーに「回りきれてない所がある」とか何とか言っていたが、明らかに連れてこられた場所はクラス展示や屋台から離れている。


「……ったく、あんたはいつも力づく過ぎるのよ。あー、手首いた……」


 柚木の手から解放された自分の手首を撫でる。……うわ、赤くなってるし。


(――さて、どうしたものかね……)


 この子はさっき……フラれた。完璧に。


 同性の友達なんていない私からして、こういう時の慰め方なんて知らないし。


「回りきれてない所に行くんでしょ? 生憎、こっち方面には何も無いわ。……しょうがないから付き合ってあげる。さっさと行くわよ」


 私はこちらに背を向けたまま何も喋らない柚木の肩を持ち、振り向かせる。


 そこには……、


「……っ……ふ……っ……!」


 必死に涙を堪える、柚木の顔があった。


 唇を強く結び、スカートを力の限り強く握っている。


 いつもあざとく、私の周りを笑顔でうろつくこの子。


 そんな子の顔が、今だけは酷くしわくちゃになっていた。


「……っ……く……くー……ちゃん……っ!」


 ドンっと強い衝撃が、私の体に響く。


 思わず後ろに倒れそうになるが、何とか耐える。


「マ……マサ先輩……に……フラれ……ちゃ……た……っ!!」


 私の胸に顔を埋めてる影響で、声はこもっている為聞きづらい。


 肩を小刻みに振るわせ、力の限り私の体に抱きつく柚木。


「……そうだね。知ってる」


「ず……ずっと……ずき……だっだ……っ!!」


「あーそ。そりゃあ、ショックだねぇ」


 私は顔の下にある柚木の頭を、ポンポンと軽く叩く。


「……そんなに悲しむ事は無いと思うけど? あんた、顔はいいんだからさ。これから先、絶対にあんなヘタレヤンキーよりずっといい男と出会えるよ」


「……そ……そんな、人……いない……っ! マ……マサ、先輩……しか……っ!!」


「……はいはい。今は泣けるだけ泣いたら?」


 何やってんだろ、私。


 まぁだけど――こんな風に頼られるってのも、たまには悪くない、か。


「……もうそろそろいい?」


「……まだ」


「はぁ……。制服ビチャビチャだし……」


 私もこんなに泣ける程、誰かを好きになってみたいものだ。


(あのヘタレヤンキーのハーレムには絶対加わりたくないけどね)



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