第108話 波乱の予感

「ねぇねぇマサ先輩。ちょっといいです?」


 先輩従業員から頼まれた山のような仕事が一段落し休憩室で休憩していると、ひょこっと顔の覗かせた柚木が俺の元へと現れた。


「ん? 何だ? というかお前まだ休憩の時間じゃないだろ。サボるんじゃないよ」


「はいはいすいませーん。……で、ちょっと聞きたい事があるんですけど」


 こいつ……絶対に俺の事なめてるよな。いや、今に始まった事じゃないけどさ。


 柚木は俺の注意なんて気にもしない様子で俺の目の前に座る。


「あの――くーちゃん先輩、何かあったんですか?」


「は?」


「いや、何もないならそれでいいんですけどね? ……何か様子がおかしいなーっと思いまして」


 くーちゃん先輩――空閑の事だ。様子がおかしいと柚木が察知したのは気のせいなんかじゃない。確実にさっき学校で起きた出来事が原因なのだろう。


 柚木はうかない様子で足をぶらぶらとさせながら、


「最近ずっとなんですよ。私がいつもみたいに抱きついたりしたら凄い鬱陶しがるし」


「それはいつもの事だろ。大体お前が抱きつこうとしたら空閑の奴必死に抵抗してるじゃねぇか」


「それはそうですけど。でもくーちゃん先輩は本気で嫌がってなかったですから。最終的には折れてくれますし。……でも最近、くーちゃん先輩の元気が無いなーと思って……」


 空閑の柚木の関係はよく分からない。柚木が空閑に対して何故か懐いているのは分かるが、空閑自身はどう思っているんだろう。


 あいつの性格上、本気で嫌だったら虫けらを見るような冷徹な視線を相手に浴びせて「……マジで鬱陶しいんだけど」とか平気で言いそうだし。


 それに柚木の過剰なスキンシップにも抵抗する態度が軟化していると言われればそうだ。


「まぁ……常に元気一杯な人間なんているはずないからな。空閑にも色々あるんだろ」


「うーん……そうなんですかね……」


 俺は今日起きた出来事を思い出す。あのギャル三人組の事はあまり知らないが、よく廊下とかで騒いでいる所を見ると、多分カースト上位の所謂『陽キャ』といった感じか。


 そして空閑の立場は俺との一件後奈落の底に落ちた影響でそこらの目立たない生徒とほぼ同類になっている。……いや、あの絶対に他人にへこへこしない性格も相まって、大人しい生徒より立場は下になっているのか。


 因みに俺のカーストは――よく分からない。だってカースト上位のチャラ男集団にも怖がられるし、そいつらに目をつけられる事もない。


 当然『陰キャ』と呼ばれる人達にだって怖がられる。多分俺はクラスや学校のカーストかれ除外されてるんだろうな。……ナニソレカナシイ。


「でも絶対に何かあった事は確かですよ。仕事中もずっと仏頂面だし」


「あいつはいつも接客中だってぶっきらぼうな感じじゃねぇか」


「そんな事ないですよ! そりゃ私みたいにいつも笑顔が弾けてる訳じゃないですけど、たまに笑ってくれますし!」


 へぇ、柚木には笑顔を見せるんだなあいつ。あいつの笑みは邪悪に染まった笑みしか見たことなかったから知らなかった。


(あいつ……苦しんでるんだろうか)


 空閑が孤立状態になっていることは知っていた。取り巻きの男達も離れていき、勿論同性の女子達だって近づこうとしない。


 その現状にもやっとする自分がいる。だがその一方で、今まで苦しめられてきた俺が叫んでいる。





 ――当然の報いだ、と。バイト先や住む所まで紹介してやったんだ。これ以上やってやる義理はない。俺は、それぐらいの事をされたんだ、と。





 一人の寂しさや辛さはよく知っている。周りに人がいない事の悲しさも。


 だけど俺が素直に空閑に対して手を差し伸べてやれないのは、あいつに「余計なお世話」と突っぱねられる事を恐れているというのが表面的な理由。


 そして裏の理由は――単純にまだ根に持っているからだろう。本当、俺っていう人間は小さい。


「……マサ先輩」


「……ん? ――ってうおっ!?」


 柚木の言葉に伏せていた顔を上げると、視界には柚木の顔が広がっていた。


 柚木は大きな瞳でじっと俺を数秒見つめてから少し俺から離れ、頭を下げた。


「お願いしますね。もし、くーちゃん先輩が困っていたら、助けてあげてください。くーちゃん先輩は中々分かりにくい人ですけど、本当の中身はとっっっても可愛い人なんです。……だから、お願いします」


「柚木……」


 思い返せばそうだった。


 こいつは人の見た目なんかに左右されず、人の内面をちゃんと見てくれる人間だった。


 この顔のせいで周りから避けられ、どうせバイト先でもそうなのだろうと思いながら応募したこの仕事。


 だが俺の予想は大きく外れ、人懐っこい笑顔で話し掛けてきてくれたのは……こいつだった。


「……分かったよ。ちょっと気にかけとく」


 俺の言葉を聞いた柚木はゆっくりと顔を上げる。


「マサ先輩なら絶対にそう言うと思ってました。……だからこそ、私は――」


 続きの言葉を発しようと柚木の口が若干動くが……何故かそのまま口を閉じ、口角を上げた。


「じゃあ任せましたよマサ先輩っ! ちゃんと言質とったんでっ!」


 キャピっとあざとくウインクした柚木は「じゃあ私戻るんでーっ!」と休憩室を飛び出していく。


 そして遠くから「くーちゃん先輩~っ!!」というおしとやかさが欠片もない声が聞こえてくる。元気な奴だ全く。


(……さて、どーすっかな……)


 俺はふぅっと息を吐きながら、休憩室の真っ白な天井を見上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る