第107話 遠くに……
昼休みが終わり午後からも俺は中間テストという怪物退治に勤しんでいた。
午後からの教科は特に苦手科目という事もあり、中々スムーズにシャーペンが動いてくれない。脳みそをフル回転させ目の前の問題に取り組むのだが、俺の脳みそはテストの問題に一点集中できなくなっている。
『――あの話ね、一旦保留にしてもらってるの』
(保留って……。断るんじゃなかったのかよ……)
テスト中だというのに頭の中で彩乃先輩の言葉がリフレインする。いや、この静かな中だからこそ何度も何度も聞こえてくるのか。
俺が彩乃先輩の将来について口を挟むなんて事はあってはならない。そりゃ他の人よりは多少彩乃先輩との関わりが多いのは確かだが、人様の進路に関われる程俺は偉くない。
だが……なんて言うんだろう。
心のどこかで思っていた。あのボロアパートの台所に、ピンク色のエプロンをつけ鼻歌交じりに料理をする彩乃先輩の後ろ姿が、いつまでも続くと。冷静になればそんな日常、続く筈ないのに。
(……駄目だ駄目だ。今はテストに集中しないと……)
◆
「――あ~っ!!! 終わった終わった~っ!!!」
「テスト終わったし遊びにいこーぜ!!」
テストが終わり騒々しく教室を飛び出すクラスメイト達。朝の時点では死にそうな顔色だったにも関わらず、今は水を得た魚のように生き生きとした表情にうってかわっている。
そんな事を思っている俺も最後のテストが終わった瞬間、まとわりつく重力が少しマシになったような感じがした。
「――ねぇねぇ、もうちょっとで文化祭だね。うちのクラスはなにやるんだろ」
「私お化け屋敷したーい! 滅茶苦茶楽しそーだもん!」
「えー、鉄板過ぎないー?」
(……そうか。中間テストが終わったという事は文化祭が近いのか)
テストというイベントが終われば、次は生徒が主になって楽しむイベント――文化祭がやってくる。
この学校にも当然文化祭というものは存在し、毎年大いに盛り上がりを見せる。
そしてこの時期になると学校中でカップルが急増しそこら中で惚気る男女。本当にいい加減にしてほしい。
(まぁ分かるよ? 催し物の準備期間で男女の距離がぐっと近づくのはさ)
帰り支度をしながら周りの声に聞き耳を立ててみると、やはり近付く文化祭の事についての内容が多い。
あまり今までの文化祭にいい思い出がない俺からしてみれば特にテンションの上がるイベントではないのだが……。
(今年も俺は影で静かに過ごすとするか……。取り敢えずバイト行こ)
俺は鞄を担ぎ教室を出る。そして角を曲がったその時だった。
「……は? 何言ってんのあんた。頭おかしいんじゃない?」
「……それはそっちでしょ。嫌がらせするなとは言わないけどさ、もうちょっと上手くなりなさいよ。人間なら脳みそあるでしょ?」
「は?」
「あ?」
文化祭の話題で盛り上がりながら教室を出ていく生徒の中に、廊下の先で一組だけ険悪な空気を醸し出している。怒鳴り散らす訳ではなく、女子特有の雰囲気で喧嘩するあの感じ。
そんな険悪な空気の中心にいたのは見た目がギャルっぽい三人組と――空閑凛音だった。
空閑は大層面倒くさいという顔色を全面に出し、その様子を見たギャル三人組がまた機嫌を悪くするという悪循環が生まれているようだ。
(あ、あいつ何やってんだよ。というかあいつがあんな絡まれ方するとか珍しいな)
あまり見ちゃいけない所だとは分かっているが、俺の視線は空閑の元へと注がれる。
「……あんたさー、立場分かってんの? あんたの今の立ち位置、そこらの陰キャと同じなんだけど」
「そーそー。いつまでもお高くとまってんじゃないわよ」
(……なるほどね。今までのカーストが崩れてる訳か)
空閑は「はぁ……っ」とため息をついた後、キッとギャル三人組を鋭く睨み付ける。
一瞬萎縮したように見えたギャル三人組だったが、カーストが逆転したという事実がその萎縮を解く。
「っ。な、何よ。その生意気な目は」
「そ、そんなだから同性から嫌われるのよ。あんたに味方なんかいないんだから」
そんな捨てゼリフを吐き捨てギャル三人組は空閑の前から去っていく。……多分同性から嫌われているのは本当なんだろうな。
(ってやば。そろそろ退散しないと気付かれる……!)
俺はなるべく足音をたてずにその場を離れようとするが、
「……ねえ、そこのヤンキー。もうちょっと上手く覗き見するとか出来ないの」
俺の動きが空閑の言葉で止まる。空閑は肩に掛けている鞄からスマホを取り出しスマホをいじりだす。
「今日ってあんたシフト入ってんの」
「あ、ああ。入ってる。今から向かう所だ」
「あっそ。なら早く行きなさいよ」
空閑は心底鬱陶しそうに俺に向かって「しっしっ」とまるで犬を追い払うかのような仕草を見せる。
「お、おう。じゃあ、またバイトで」
何か言った方がいいのだろうか。
だが掛ける言葉が見つからない。慰めたりしたら絶対空閑の逆鱗に触れてしまうからな……。
「何、なんか用」
「い、いや。何でもない」
うん。この件に関しては見なかった事にしよう。
首を突っ込んだら悪い方にしかいかない気がする。
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