第101話 将来の夢

「へー! 琴葉ちゃんって絵がとっても上手なんだねー!」


「……ありがとう。お絵かきするの、すきだから」


 琴葉ちゃんは、はにかんだように笑う。


 この家に上等な画用紙なんてある筈もなく、俺は溜まりに溜まっている広告用紙と色つきのボールペンを琴葉ちゃんに渡した。勿論広告用紙は裏が白いやつだ。


 彩乃先輩が広げていた教科書や問題集をしまい、ボロいちゃぶ台の上には俺の教科書と琴葉ちゃんが描く絵が広がっている。


「琴葉ちゃんは家でもお絵かきをよくするの?」


「うん。お絵かきしてる時がいちばん楽しいから」


 琴葉ちゃんの目線は画用紙と変貌を遂げた広告用紙に注がれ、その目線はとても熱い。


(へぇ。本当に上手いな、琴葉ちゃん)


 真っ白な紙に描かれている絵を見て、俺も彩乃先輩と同じ事を思った。


 お世辞なんかじゃない。琴葉ちゃんの絵はとても小学生一年生とは思えない。コンクールの類いに応募したら結構いい線行くんじゃないか?


 広告用紙の裏には、琴葉ちゃんを真ん中に俺と彩乃先輩が笑っている姿が描かれていた。


「ちょっとまーちゃんをイケメンにしすぎじゃない? こんなにかっこよくないよ?」


「ちょっと彩乃先輩? 本人目の前にして酷くないですか?」


 確かに彩乃先輩の言う通り大分美化されてるけどさ……。絵の中くらいイケメンになったっていいじゃないか。


「……んー。私はまーちゃんのこと、カッコいいとおもう。おめめがキリッとしてるし」


「聞きましたか彩乃先輩。琴葉ちゃんの純粋な目に映る俺は目がキリッとしてるらしいですよ」


 ふふんと鼻を鳴らし琴葉ちゃんの隣にいる彩乃先輩へと視線を送ると、彩乃先輩は呆れたように肩をすくめる。


「何でそんなに必死なのよ政宗君……。はいはいイケメンイケメン。あー、イケメンだなー」


「棒読み過ぎやしませんかね……。――二人とも、何か飲みますか?」


 俺がそう言うと琴葉ちゃんは顔を上げ、


「のむ」


「そうだね。私も何か頂こうかな」


「了解です。じゃあ持ってきますね」


 俺は台所に行き冷蔵庫の中から麦茶を取り出す。台所にある小窓から差し込む光はほぼなく、夜が近付いていた。


(そろそろ琴葉ちゃんを家に帰さないとな……。琴葉ちゃんのお母さんも心配してるだろうし)


 コップに麦茶を注ぎ居間へと戻ると琴葉ちゃんのお絵かきが丁度終了した所だったようで、無機質で真っ白だった広告用紙の裏には笑顔で手を繋ぐ三人の姿が描き出されていた。


「はい琴葉ちゃん。それと彩乃先輩も」


「ありがとうまーちゃん」


「ありがとねまーちゃん」


 琴葉ちゃんと彩乃先輩は手渡した麦茶に口をつけ、一息つく。そしてお絵かきが終わった琴葉ちゃんが次に興味を示したのは俺の教科書や問題集だった。


「まだ琴葉ちゃんには早いと思うぞ?」


「……うん。全然わかんない。まーちゃんはすごい。わたし、お勉強にがてだから……」


「へぇ、勉強苦手なのか。でも勉強は将来の為にやっておかないといけないものだからな。頑張らないと」


 自分で言った言葉がそっくりそのままブーメランで返ってくる。


 さっきまでテスト勉強で死んでいた俺が言うのはおかしいよな。その証拠に俺がそう言った瞬間彩乃先輩が麦茶を吹き出しそうになっていたし。


「……しょーらい。――私、おとなになってもお絵かきしてたい」


 俺の問題集を見ながら琴葉ちゃんがそう呟く。


「じゃあ琴葉ちゃんの夢は画家さんになることなのか」


「……うーん。よくわかんない。だけど、ずっとお絵かきしてたいの。……まーちゃんやあーちゃんはどんな事をしたいの?」


「え? そ、それは……」


「……」


 琴葉ちゃんの問いに答えを詰まらせる俺と彩乃先輩。彩乃先輩なら何でもなれそうなものだが、俺に関していえば目標もなければ就きたい職業もない。


 これまで真剣に自分の将来の事についてなんて考えた事なかったから、いざこうして問われると何を答えていいのかが分からない。


(ゆ、夢か……マジで思い付かない……。――そういえば彩乃先輩って就きたい職業とかあるのかな……)


 そう思い彩乃先輩へ視線を滑らせると、彩乃先輩は少し寂しそうな笑みを浮かべながら、


「……そうだね。私は幸せに生きられればそれで十分って感じかな。まーちゃんは?」


「え、そ、そうですね。俺もそんな感じです。……だから琴葉ちゃんは凄いよ。その年でちゃんとやりたい事を見つけられているんだからさ」


 俺と彩乃先輩の顔を交互に見てから、琴葉ちゃんは「うーん……」と唸り、


「じゃあ……あーちゃん」


 くいくいっと彩乃先輩の制服を引っ張る琴葉ちゃん。


「ど、どうしたの?」


 ジーっと彩乃先輩の目を見ながら、琴葉ちゃんは言った。







「――いつ子供つくるの?」








 ピキっと空気が割れる音が聞こえる。沈黙の状態が数秒続き、その沈黙を解消したのは彩乃先輩の慌てた声だった。


「――え!? こ、ここ、子供っ!? な、何言ってるの琴葉ちゃんっ!?」


 顔を赤くした彩乃先輩は口元を手の甲で隠しながら壁まで後ずさる。かく言う俺も琴葉ちゃんの口から出てきた言葉がまさか過ぎて唖然としていた。


「……? だっておかあさんが言ってたもん。女の子の幸せは好きな男の子と一緒になって子供をそだてることだって」


(あぁー……なるほどね)


 彩乃先輩は将来の事を琴葉ちゃんに振られ『幸せに生きたい』と答えた。


 だから琴葉ちゃんは女の子としての幸せという意味で、彩乃先輩を赤面させるような爆弾発言をしたのだ。


 彩乃先輩にクリティカルヒットを喰らわせた琴葉ちゃんの標的は勿論俺へと向き……、


「まーちゃん。まーちゃんはいつあーちゃんと結婚するの?」


「……えっ!!??」


「あーちゃんが子供をつくるには、男の子が一緒にいなきゃだめなんだよ? だから、まーちゃんがいないとだめなの」


 確実に琴葉ちゃんはまだ保健体育の授業を受けていない。だから、子供の作り方なんて知っている筈がない。


 だけど中途半端な知識は持っているようで、その一言一言が俺と彩乃先輩の体力ゲージをゴリゴリと削っていく。


 こ、このままではまずい……っ! 何とかして話題を反らさなければ。


 俺は湯気が出るほど赤く茹で上がっている彩乃先輩の肩をトントンと叩く。


「あ、彩乃先輩……。そろそろ琴葉ちゃんを家に帰した方がいいんじゃ……」


「そ、そうね。――こ、琴葉ちゃん。お家の電話番号が書いてある紙って持ってる?」


「もってる。……はい」


 琴葉ちゃんはポケットを漁り、一枚の紙切れを彩乃先輩に手渡す。


「ありがとね。……じゃあ私ちょっと琴葉ちゃんのお母さんに今から帰りますって電話してくるね」


「え? 彩乃先輩って琴葉ちゃんのお母さんと知り合いなんですか?」


「うん。琴葉ちゃんを送ってた時に会ってるからね」


 そう言い彩乃先輩は居間から出ていってしまう。


「じゃあ琴葉ちゃん。そろそろ家に帰る準備をしようか」


 だが琴葉ちゃんは俺の事をジーっと見るだけで全然動かない。


「こ、琴葉ちゃん?」


 すると琴葉ちゃんはスッと立ち上がり、俺の元へと歩を進め、そして俺のあぐらの上に座り込む。


 琴葉ちゃんは座り込んだ後、ジェットコースターの安全バーのように俺の腕を自分の腰の位置に巻き付ける。


 え、えーと……。これはどうしたら……。


「……もっといたい」


 ボソッとそんな声が聞こえてくる。だがその願いは叶えてあげられない。お母さんだって心配している筈なのだから。


「また遊びに来たらいいぞ。こんな所でいいならな」


 琴葉ちゃんの期待に沿えなかったせめてもの償いとして、俺は優しく琴葉ちゃんの頭を撫でた。


 ――その時、俺のスマホにメッセージが届く。


「……ん? ちょっとごめんな、琴葉ちゃん」


 俺は手を伸ばしスマホを手に取る。そして琴葉ちゃんの頭の上で届いたメッセージを確認する。


(……えぇ。面倒だな。別に気にしなくていいのに)


 俺は『了解です。都合のいい日にちを教えてくれれば合わせます』と入力し、送信した。

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