第98話 報告

 カリカリとシャーペンの芯がルーズリーフに走る音が部屋に響く。勉強というものはやる前が一番億劫になるものであり、やり初めてしまえば案外結構時間が経っているものである。


「……ふぅ」


 パタッとシャーペンがノートに落ちる音が聞こえる。ちらっと前を見ると、一息ついた様子の彩乃先輩がいた。


「もう今日は止めにしますか?」


「うーん……。どっちでもいいよ。私個人としては多分これ以上やってもそんなに成績に影響ないし」


 それはもう既にテスト範囲を網羅しているからという事ですかね……。未だテスト勉強で苦しんでいる自分が情けなくなる。


「そ、そうすか。俺はもうちょっとやっておかないと不安なので……」


「了解。……でも大丈夫? 小学生の相手をして結構疲れてるんじゃないの?」


 交流会終了後、俺はバイトに行くでもなく、ベンさんとの訓練に出るでもなく、真っ直ぐ自分の家へと帰って来た。


 それはバイトやベンさんとの訓練が面倒とかそんな理由ではなく、ただ単にもうすぐそこまで迫った中間テストが本当にヤバいからだ。


「疲れてない訳じゃないですけど……でもやっとかないと俺の成績が焼け野原になっちゃうんで」


 後、成績の影響で鈴乃さん行きになるのも勘弁してもらいたい。そんな事になるなら今のうちに泣きながらテスト勉強した方がマシだ。


「じゃあ政宗君がお母様行きにならないようにお姉さんが懇切丁寧に教えてあげようではないか」


 そう言い彩乃先輩は俺の前から隣に移動し、ストンと腰をおろす。


 ふわっと香る彩乃先輩の匂い。……な、何か近いんだけど。


「ち、近くないですか?」


「え~? そんな事ないよ。いいからほら、勉強勉強。分からない所があればちゃんと言ってね」


(……最近何か距離が近くなった気がするんだが……)


 そう思いながら隣でスマホを弄る彩乃先輩を横目で見る。


 綺麗な横顔。その細い指でスマホを弄るその所作にさえも意識を奪われてしまう。


「……政宗くーん。手が止まってるよー」


 スマホから視線を上げることなく彩乃先輩の声が飛んでくる。


「す、すいません」


 落ち着け俺……。今は勉強の時間だ。煩悩を捨て去りちゃぶ台に広がる問題集へと意識を向けるんだ……っ!


 強めの自己暗示をかけ問題集へと取り組もうとしたその時、


「……ねぇ、政宗君。交流会ってどうだった?」


 少しトーンの下がった声色に、シャーペンの動きが止まる。


「そ、そうですね。思ったよりは楽しめたって感じです。仲良くなった子もいますし」


 仲良くなった子――琴葉ちゃんの事を思い出す。俺の家まで来ると言っていたが、本当に来るのだろうか。


 お母さんに連れてきてもらうと言っていたが……一人で出歩いてないといいのだが。


「……そう、良かったね。いや、いいんだけどさ……その……」


 いつもの彩乃先輩らしくない、歯切れの悪さ。スマホに視線を落としたまま、指に自分の髪の毛をクルクルと巻いていく。


「――し、紫帆ちゃんと、何かあったのかなって」


「……はい?」


 新田?


 新田がどうかしたのだろうか。


「いや……特に何もなかったですけど。結構頑張ってましたよあいつ。最後の方なんて小学生達に好かれて中々帰れなかったんですから」


「そ、そう。それならいいんだけどさ」


 そう言い彩乃先輩は黙りこんでしまう。


 スマホの画面に沈みこむその表情を覗きこんでみると、何故か頬が紅潮していた。


(そんなに新田の事が気になるのか……。でも特に彩乃先輩へ報告する事もないんだよな……)


「――あ」


 思わず俺の口から間抜けな声が漏れる。


「ど、どうしたの?」


「いや、そういえば新田が小学生と遊んでいる途中で倒れたなと思いまして」


「えっ!? 紫帆ちゃん倒れたの!?」


 彩乃先輩の目が驚きで見開かれる。


「あ、いや、そんな救急車を呼ばないといけないとかそんな重症ではなかったですけど。俺がおぶって保健室まで連れていって休ませたらすぐに回復しましたし」



 ――ガタンッッッ!!!!


「~~~~っっっっ!!!!」


 俺が言葉を放った瞬間、彩乃先輩の体が魚のように跳ね彩乃先輩の脛がちゃぶ台の角にダイレクトアタックしてしまう。


 そして隣で悶絶する彩乃先輩。


「ちょ――大丈夫ですか!?」


「っっ!! だ、大丈夫じゃないよ!!」


「そ、そうですよね。待ってて下さい。今すぐ保冷剤か何か持ってくるんで」


 足の脛にちゃぶ台の角が当たるとか想像しただけで背筋が凍る。今すぐ冷やさなければ。


 ――だが慌ててその場を立とうとする俺の服を、中々強い力で握る彩乃先輩。


「え、ちょっと彩乃先輩! 何やってんすか! 早く冷やさないと……!」


 すると彩乃先輩は伏せていた顔をパッと上げ、


「大丈夫じゃないのは私の足じゃないよっ!! ――紫帆ちゃんをお、おお、おんぶしたって本当っ!?」


 ぐいっと俺に顔を近付け物凄い形相で俺を問いただす彩乃先輩。彩乃先輩の手は俺の服から肩へと移動し、絶対に逃がさないという強い意思を感じられる程、肩を握りしめる力は強かった。


 ちょ、マジで痛いんですけど!


「お、落ち着いて下さい彩乃先輩! 何でそんなに興奮してるんですか!?」


「落ち着ける訳ないよ! 紫帆ちゃんをおんぶしたっていう現実のどこに落ち着ける要素があるのさ!!」


 俺からしてみればどの辺に落ち着けない要素があるのかが分からない。ただの人助けだと思うのだが……。


「も、もしかして保健室で何かやましい事でも――」


「そ、そんな訳ないでしょ!? ……ただ新田をベッドに寝かせて回復するまで一緒にいただけですよ」


「ぐはっっっっっ!!!」というゲームの敵キャラが散っていくような声を上げながら倒れていく彩乃先輩。


 倒れていく瞬間「保健室……ベッド……二人きり……」と聞こえた気がする。


「あ、あの……彩乃先輩?」


 返答ない。只の屍のようだ。


 完全に瀕死状態になってしまった彩乃先輩をどうしたもんかと頭を悩ませていたその時、


 ――ピンポーン


(ん? ……もしかして)


 来訪者が誰なのか予想をしながらボロい扉を開ける。そこには、






「……きたよ、まーちゃん」


「やっぱり琴葉ちゃんだったか」


 予想は当たり、現れたのは今日仲良くなった天使だった。


(……あ、彩乃先輩になんて説明しようか)

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