第85話 今後の事
「――ちょ、ちょっと外見てきますね!」
ベンさんが部屋から出ていった後、残ったのは赤面の高校生と何とも言えない空気。決して気分が悪くなるような空気ではないが、居心地はすこぶる悪い。
その空間から逃げるように、俺は部屋の扉を開き廊下へと出る。すると、
「……何やってんですか」
「ん? 見れば分かるだろう。男として気を使っているんだ」
「一応言っておきますけど誤解ですからね!
たまたまあんな感じになっちゃっただけで、全く持ってやましい事はやってないですから!」
廊下へと出た俺の目に飛び込んできたのは、壁にもたれ掛かり腕組みをしたベンさんだった。
完全に悪い方向に誤解しているベンさん。それは薄っすらと浮かべた笑みを見れば分かる。
「まぁまぁそんなに大声を出すなよ政宗。傷に障るぞ」
「じゃあそのニヤニヤした顔を止めてくださいよ!」
はぁっと深いため息をつく。この人には絶対に勝てないな……。
「――政宗」
俺の名前を呼んだベンさんは、そのまま音もなくスッと頭を下げた。
「え、ちょ、ちょっと」
「ありがとう、お嬢を守ってくれて。政宗があの時身を呈して守ってくれなければ、もっと酷い事態になっていたかもしれない。――だから、ありがとう」
茶化すような感じではなく、誠心誠意、ベンさんは感謝の気持ちを俺に向けた。
「や、止めてくださいよベンさん。俺は別に何もしてないです。澤田先生を倒したのはベンさんですよ」
「それでもだ。政宗には感謝してもしきれない。……お嬢の様子はどうだ」
「彩乃先輩は……そうですね。体調面は特に問題ない感じでしたけど、精神面がちょっと不安定な感じです」
ベンさんは顔を上げ神妙な面持ちを見せる。
「……そうだよな。あのような事が起こらない為に俺がいる筈なんだが……。上手くいかないな」
ベンさんの拳がグッと握られる。自分に与えられている役目を果たせなかった事が許せないといったところか。
だが俺からしてみれば、ベンさんが来てくれたからこそ最悪の事態にはならなかった訳で。
……だけど例え俺がそう言っても多分ベンさんは自分を責めるだろう。何故ならそういう人だから。
「ベンさん……」
その時、廊下を誰かが歩いてくる音が聞こえてくる。
その音は徐々に近づき、その正体は、
「――彩乃さんは部屋にいるのですか?」
「す、鈴乃さん……」
いつも通り和服を着た鈴乃さんが俺とベンさんの前に現れる。
「はい。中にいます」
「そうですか。……では二人とも中に入りなさい。政宗さんにも話したい事がありますし」
そう言い鈴乃さんはノックもせずに彩乃先輩の部屋の中へと入っていく。
「……行くぞ政宗」
「は、はい……」
◆
「まず始めに――政宗さん」
部屋に入るやいなや、鈴乃さんは俺の方を向き、ベンさんと同じように頭を下げた。
「親としてお礼を申し上げます。娘の危機を救ってくださってありがとうございます」
「い、いや……! そんな、止めてください!」
「貴方がいなければどんな事になっていたか……。ベンか彩乃さんからお礼されているでしょうが、改めてありがとうございました」
(むず痒いというか……本当に俺は何もしてないんだけどな……)
鈴乃さんに感謝されるのはベンさん以上に気を使うな。
彩乃先輩の方へ視線をやると、未だベッドに座ったままだが鈴乃さんが入ってきたからか、俺がいた時よりもしっかりとした表情を見せている。
「……そ、そうだ。一つ聞きたい事があったんですけど……」
「あの男の事ね」
俺が聞きたかった事。それは澤田先生の処遇についてだ。
あの後ベンさんが澤田先生を制圧したのは知っているが、その後どうなったのかは知らない。
あんな事をしでかしたんだ。何か罰があるとは思うのだが……。
「はい。澤田先生がどうなったのかが知りたくて」
「あの男については――ベン?」
「はい。あの男については指示通りこちらで預かっています。素性については調べていますが、中々の良家出身らしいです」
ベンさんは後ろに腕を組んだ状態でそう言った。自分が何をしようと家の後ろ楯がある。そういった気持ちを抱きながらの犯行だったのだろう。
「じゃあ今後の澤田先生はどうなるんでしょうか? やっぱり警察に……」
「警察? ――そんな所に行かせる訳ありませんよ、政宗さん」
鈴乃さんは何を言ってるんだといった様子ではっきりそう言い切った。
……え? 警察へ引き渡すのが一番だと思うのだが……。
まさか無罪放免で社会に解き放つ訳じゃないよな?
「あの男は華ヶ咲家で裁きます。華ヶ咲家――いや、私と夫の娘に手を出したのです。警察なんていう生温い機関に引き渡すなんて有り得ません」
スッと細められた鈴乃さんの目。口から発せられた凍てつくような言葉に、思わず背筋がゾッとする。
何となくだが、俺はこの時もう一生澤田先生の姿を見る事は無いのだろうなと確信していた。……警察が生温いってどんだけだよ。
鈴乃さんはベッドに座ったままの彩乃先輩の肩に手を起き、
「本当なら彩乃さんをこの町から遠ざけたい気持ちもあるのですが……」
「え……」
「お、お母様っ!」
思わず彩乃先輩が立ち上がる。だがその後口をパクパクと動かしただけで、何も言う事はなかった。
同時に俺も口から『何でそんな……!』と出そうになるが、自分の娘が危険に晒された町に置いておけないという鈴乃さんの気持ちが分かったので、言葉を飲み込む。
離れたくない。そんなの、離れたくないに決まってる。
だが俺は拳を握り視線を下へと落とす事しか出来なかった。
「……ふぅ」
静まり返った空間に鈴乃さんのため息が響く。
「前の私なら自分の意見を押し通して彩乃さんや彩乃さんを取り巻くコミュニティの事なんて一切考えず力ずくでもこの地から離していたでしょうが――それは悪手だと学びました」
着物の衣擦れの音が聞こえる。鈴乃さんは扉の取っ手に手をかけ、
「政宗さんが近くにいてくれるなら、このままでもいいかもしれないですね」
そう言葉を残し、鈴乃さんは部屋から出ていった。
え、じゃあ……あれだよな。
彩乃先輩はこれからも同じ学校に通えるって事だよな?
俺はゆっくり彩乃先輩の方へ視線をやると、
「彩乃先輩……」
「……っ。ま、政宗……君……っ!」
彩乃先輩は口元に手を置きながら、ポロポロと綺麗な涙を流していた。
「……政宗。お嬢の事、頼んだぞ」
「ベンさん……。――はい。勿論です」
俺がそう言うとベンさんはニッと笑い、
「それでこそ男だ。……後の事は大人に任せて政宗はお嬢と一緒にいてやってくれ」
「分かりました」
ベンさんが部屋から去った後、俺は彩乃先輩の手をとって隣に座った。
ぎゅっと握られた俺の手。決して離さないよう、少しだけ強めに握り返す。
「……ちょっと痛いよ、政宗君」
「え? ……す、すいません!!」
突然ボソッと言われた言葉に思わず握る力を緩める。すると、
「違うよ。……痛いくらい握っててくれるくらいが、丁度いいの」
「え?」
「だからほら。――もっとぎゅってして?」
潤んだ大きな瞳。こんなに至近距離で見たら心臓が止まりそうになるほど綺麗な肌。
肩の所からはらりと髪が落ちる。ドクンっと何かが俺の中で大きくなるが、俺はその感情を沈め、
「……はい」
緩めた握る強さを、再度元に戻し握り直す。
「ふふっ。いたーいっ」
「……何かキャラ違ってません?」
彩乃先輩はニコニコとした表情を崩さない
まま、
「だって政宗君が言ってくれたから。ちょっとずつでいいって。皆の前では華ヶ咲の人間を見せなきゃいけないけど……政宗君の前だけは、素の自分でいることに決めたの」
その時、俺の肩が重くなる。そして女の子の香りが漂う。
「ちょ、ちょっと彩乃先輩」
「んふふーっ。聞きませーんっ」
俺の肩に頭を置いた彩乃先輩は、涙を一筋流しながら幸せそうな表情で笑った。
そんな彩乃先輩を見て俺は、
(何があっても、この笑顔だけは絶対に守らないと)
そう心に誓い、彩乃先輩の手を握り続けた。
その後、彩乃先輩の肩に手を置こうかどうな悩んだが、行き場を失ったようにして動いていた俺の手は、結局ベッドの上に落ちた。
いや、ヘタレとかではないから。
うん。
ゆっくりでいいんだ。
まだまだ時間はあるんだし。
俺と彩乃先輩は、長い時間そのままの状態で一緒にいた。
お互いがお互いを離さないように、ぎゅっと手を握りあいながら。
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