第84話 並び立つ者として
「……痛い」
病院で処置を受けた後、俺は華ヶ咲家にお邪魔していた。
腕の切り傷は予想通り深かった為、傷口を縫う事になった。……今は局所麻酔が効いている為腕は何ともないけど、麻酔が切れた時が怖いな。
そして頭の方も少し切っていたらしく、今は大袈裟な包帯が頭にぐるぐると巻き付けられている。
その他にも傷であったり打撲であったりと色々あったが、今は取り敢えず全身が痛むといった感じだ。
「えっと……。――ここか」
俺はある部屋の前で立ち止まる。
長い廊下を歩きやっとの思いでたどり着いたこの部屋は、侍女の人曰く彩乃先輩の自室らしい。
あんな事があった後に何を話せばいいのか分からなかったが、今は彩乃先輩を一人にしたくない気持ちの方が強かった。
ふぅっと息を吐き、扉をノックする。
「……彩乃先輩。入ってもいいですか」
数秒間が空いてから、
「……うん」
「失礼します」
扉を開けると淡い橙色の光が小さく灯っていた。
ベッド近くにあるその間接照明の灯りに照らされていたのは、沈んだ表情を浮かべた彩乃先輩。
彩乃先輩は部屋に入ってきた俺を見て、思わず目を見開く。……多分この包帯だらけの俺を見て面をくらったのだろう。
そしてその後、また沈んだ表情に逆戻りしてしまう。
「……そんな顔しないで下さいよ。結構頑張ったんですよ?」
「……ごめん、ごめんね、政宗君。私……政宗君に怪我、させちゃった……」
「彩乃先輩がやった訳じゃないです。やったのは澤田先生で、何もかもあの人が悪いんです。――だから彩乃先輩」
ベッドに座っている彩乃先輩に近付く。
「泣かないで下さいよ」
彩乃先輩の小刻みに震える肩にそっと手を置いた。
「……っ。で、でも……! 私は政宗君を危険な目に合わせた! 最初から誰かに相談しておけばこんな大事にはならなかったかもしれないのに! 私は――」
「俺だって彩乃先輩が抱えていた悩みにもっと早く気付いてあげられていたら……。気付けなくてすいません」
「違う……違うの……。政宗君は何も悪くない。寧ろこんなボロボロになるまで守ってくれた……」
彩乃先輩は俺の手を取り、そのまま自分の頬に当てる。
柔らかな彩乃先輩の肌。涙で濡れている箇所がダイレクトに伝わってくる。
「……さっきお母様に凄く叱られたの。いつもはあんな大きな声で怒鳴るなんてあまりしないのに。凄く怒ってた」
「てしょうね。自分の娘が危険な目にあってたんですから」
「そうだね。その通りだよ。――そしてその後、お母様が涙を流したの」
あの鈴乃さんが流す涙。
その涙には親として死ぬほど心配していたのと、無事に帰って来てくれて良かったという安堵の涙が入り交じっていたのだろう。
「私、お母様を悲しませちゃった。……他の人に迷惑を掛けたくないって大人ぶっちゃってさ。結局大事な人を泣かせちゃったの」
決して彩乃先輩も悪気があって黙っていた訳ではない。自分の悩みを誰かに打ち明ける事で、身近な誰かの負担になる事を恐れて黙っていたのだ。
まぁでも今回のケースは抱え込んだ事が裏目に出てしまった訳だが……。
「……彩乃先輩はもうちょっと楽にしてもいいのかもしれないですね」
「え?」
「華ヶ咲の家に凡人はいない。ましてや自分の親があれだけ多才な人達なら、凡人の俺でも少しだけ焦るのも分かります。でも――」
俺は床に膝をつき、彩乃先輩の目線に合わせる。まるで、小さな子に諭す時のように。
「でも――俺達はまだ高校生です。まだ大人じゃないです。だから……ゆっくり行きましょう」
「政宗君……」
彩乃先輩の頬に触れている俺の手の甲に、熱い涙が線を作る。
潤んだ大きな瞳。何故か俺の目線はその瞳から外れない。超能力でも作用しているのかと錯覚するくらいだ。
「彩乃先輩……」
「政宗君……」
どちらから動く訳でもなく、極々普通に二人の距離が縮まっていく。
そして――、
「……ごほん」
ピタッと二人の動きが止まる。静寂の部屋に響いたその野太い咳払いは、俺の後ろから聞こえてきた。
俺の体は超能力が解けたように動き、後ろを振り返る。
「……え?」
「……すまん政宗。邪魔したな。また後で来るからな。一時間後くらいに来るから。――男として鈴乃様には黙っといてやる」
いきなり現れた大男――ベンさんは、ぎこちない動きで部屋を出ていく。
バタンと扉が閉まった後、取り残されたのは当然俺と彩乃先輩。
(ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)
心の中で声の限り叫ぶ。
ちょ、ちょっと待ってくれ!
俺さっき何をしようとした!?
傷心の女の子を目の前にして、まさかとは思うがその傷心につけこもうとした訳じゃないよな!?
そんな外道みたいな真似をする筈が……!
(というかさっきから彩乃先輩も固まっちゃて――)
俺は再度彩乃先輩の顔を見る。
「~~~っっっっ!!!」
彩乃先輩の顔は完熟トマトに負けない程赤く、その大きな瞳には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
だが、その涙の意味は多分先程の涙とは違った意味なのだろう。
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