第83話 詰み

「取り敢えず病院だな。華ヶ咲家がいつも世話になっている病院がこの近くだからそこに行くぞ」


 ベンさんはこの程度の傷など見飽きているのか、特に驚くことなくスマホで何処かへ電話を掛ける。


「俺の事はいいですから……まず彩乃先輩を――」


「分かってる。心配するな」


 後ろを見ると、数人の女性が彩乃先輩の周りに立ち、腰が抜けて立てない彩乃先輩を介抱していた。


「ほら、後これ。忘れ物だぞ」


 ベンさんはポケットからもうひとつスマホを取り出す。それは俺が落としたスマホだった。


「これ……」


「道場前の道に落ちていたぞ。その事をお嬢に伝えてもらおうと電話したら繋がらなかったからわざわざ来てみれば……凄い事になってたな」


 ベンさんは投げ飛ばした澤田先生の方を見る。遠くへ投げ飛ばされた澤田先生は上体だけを起こしこちらを見ていた。


 というか投げ飛ばす時、ベンさん片手だったよな?


 どれだけ力が強いんだよ……。本当に人間なのだろうか。


「お嬢に電話が繋がらないなんて珍しいから一応華ヶ咲の侍女を数名連れて来たんだが……予想が当たったみたいだな」


 その時、遠くの方で澤田先生が立ち上がる。投げ飛ばされた時に上手く受け身が取れず腰を痛めたのか、腰の辺りに手を添えていた。


「……っ。――お、お前は何者なんだ! 僕はそこの女に用があるんだ! さっさとモブキャラ共は消えろッ!!」


「……あ?」


 ドスの効いた声。その声から察するに紛れもなくぶちギレている。


 ベンさんはトレードマークであるサングラスを取り――そのまま手で握りつぶした。


「……政宗。お嬢の所にいる侍女に応急処置をしてもらえ。今は興奮状態だからあまり痛みを感じないだろうが、傷はかなり深い」


「で、でもあいつは――」


「いいから早く行け。……事情は後で聞く。取り敢えずあの男をぶっ飛ばせばいいんだな」


 ゴキッゴキッと鈍い関節の音がなる。ベンさんが来てくれた安心感からか、切られた腕の痛みが徐々に押し寄せてくる。


 ……後は、お任せするかな。


「すいません……」


「おう。さっき華ヶ咲の人間を呼んだから、そいつらが乗っている車に乗って病院に行ってくれ」


 俺はこの場をベンさんに任せ、駆け寄ってきた侍女の人と一緒に場を離れる。


 ……すいません、ベンさん。


 そして、ありがとうございます。


 ◆


「――おいッ! 伍堂政宗! 貴様何処へ行く気だ!」


「おいこらそこの男。お前の相手は俺だ。無視するんじゃない」


 この男の手に黒い棒状の物……スタンガンか。物騒な武器を持ってるな。


「……お前。お嬢と政宗に何をした」


「あぁ? 別に何もしてねぇよ。ただ俺が狙っていた女にあのヘタレヤンキーがちょっかい出してたから、ちょっとお仕置きしただけだ。……何だよ。やっぱりお前も僕の邪魔をするのかよ」


 つくづく、俺は駄目な奴だと思いしる。


 ここに来たときにこの目に飛び込んできたのは、お嬢の震えた姿と傷だらけの政宗。


 護るべき存在があんな姿になるまで、俺は何も出来なかった。知らなかったなんてただの言い訳にしかならない。


 それと政宗に重傷とも言える怪我をさせてしまった。大人として、本当に情けない。


「――深い事情を俺は知らない。どういった経緯でお前がお嬢を怯えさせ、政宗を傷つけたのかも、俺は知らない」


 俺は手の中にあるサングラスの破片をアスファルトの上へと落とす。


「だが……お前だけは絶対に許さない」


「――っ。う、うるせぇぇぇぇ!!!」


 男のスタンガンが俺の体に触れ、バチバチッと閃光が迸る。


 そして、


「……え」


「どうした。そんなに驚いた顔をして。後、そんなに大きな声を出したら近所迷惑だぞ」


 信じられないといった様子で俺を見上げる男。


 まぁそれもそうだ。何故なら俺が気を失わないから。


「すまんな。スタンガン程度で気を失っていてはお嬢の護衛なんて出来ないんだよ」


 あまり時間を掛けすぎると周りの人から喧嘩している人がいると警察へ通報されるかもしれない。そうなったら面倒だ。


 取り敢えず、この男はこちらで預かろう。


「じゃあな。次に会った時に色々と尋問させてもらう。――フッッ!!」


 俺の放った拳が驚いた表情で固まってしまった男の顎に命中。


 完璧な角度で入ったパンチの威力はそのまま脳を揺らし、男の視界を暗転させる。


 ドサッという重さを感じる音が足元から聞こえる。転がっている男の体はピクピクと痙攣していた。


「……ふぅ。――すまんな。ちょっと自分にイライラしていたから加減を間違えた」


(取り敢えずお嬢の様子を見てから、政宗の所に行くか……。それにしても――)


 転がっている男を乗せる車を呼び、俺は自分の無力さを嘆いた。


「大人失格だな……」


 二人の傷ついた顔が俺の頭からこびりついて離れてくれなかった。

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