第81話 戦闘

「はぁ……はぁ……っ!!」


 最近運動しているとはいえこれだけ全力疾走を休みなしで続ければ、肺が張り裂けそうになるほど苦しいのは当たり前だ。


 普段なら絶対に立ち止まってしまう筈なのに、俺の足は止まらない。


(彩乃先輩……っ!!)


 自分の家に近付くにつれて心のざわつきは激しくなる。


(あの角を曲がればもうすぐ俺の家だ……っ!!)


 なるべく速度を落とさないように角を曲がる。


 そこには、


「ゴホッゴホッ……! はぁ……はぁ……っ! ――彩乃先輩ッ!!」


 二人の人間の影。


 二人のうち一人が誰なのかは視認出来なかったが、もう一人は彩乃先輩だ。


 二人の距離は近く、自分の意思で近づいている訳ではなさそうだ。それは掴まれた腕を見れば分かる。


 膝に手をつき咳き込みながら、俺は彩乃先輩の名を叫ぶ。


「……っ! 政宗君っ!!」


 聞きなれた声。だがその声には恐怖の感情が見え隠れしていた。そして同時に安堵の感情も存在している事が分かる。


 彩乃先輩は捕まれている腕を振りほどき俺の元へと駆けてくる。


「政宗君……政宗君……っ!!」


「彩乃先輩……っ!」


 俺の体へと体当たりするように駆け寄ってきた彩乃先輩はそのまま倒れこむかのように俺へと体重を掛ける。


 疲れでガクガクと震える膝にむち打ち、俺は彩乃先輩を優しく受け止める。


 柔らかくホロホロと崩れそうな女の子の体。その体をぎゅっと抱き締めると、その体は小刻みに震えているのが分かる。


「――やぁ。こんな所で会うなんて奇遇だね」


「……え?」


 聞いたことがある声。


 闇に紛れる人影から聞こえてきたその声は、とてもよく聞いたことある声だった。


 滑舌が良く、聞き取りやすい。とてもクリアな声色。


「うーん……。君がいないと思って今日近付いてみたんだけどな……。人生というのはそう上手くいかないね」


 コツコツと革靴がアスファルトを叩く。


 闇に潜んだその人影の正体は、


「澤田……先生……」


 ポリポリと頭を掻きながら、澤田先生は現れた。


 街灯に照らされ澤田先生の姿が映し出されたその時、俺の胸辺りのシャツが強く握られる。


「ま、政宗君……!」


「え、ど、どうしたんですか……!」


 何故こんなに怯えているのかは分からない。


 だが、この二人の間に何かあった事だけは彩乃先輩の様子から察する事が出来る。


 俺は自分胸に顔を埋める彩乃先輩の頭をぽんぽんと叩き、


「……どういう事でしょうか。澤田先生」


「ん? どういう事とは?」


「……これ程彩乃先輩が怯えているんです。そして貴方は先ほどまで彩乃先輩と一緒にいた。……何をしたんです」


 多分俺の顔は今凄い形相になっているだろう。他の人間が見たら思わず怯むに違いない。


 だがそんな俺の顔を見ている澤田先生は一切表情を崩さず、


「何もしてないさ。ただ偶然そこで会ったから、華ヶ咲さんと談笑していたのさ」


「談笑していただけでこんなに彩乃先輩が怯える筈ないでしょう……!」


「本当さ。僕は彼女と喋っていただけ。――何なら僕は自分の番をずっと待っていたんだから」


 底冷えするような声に思わず背筋がゾッとする。


 この人は危険だ。


 俺の第六感に似た何かがそう強く感じとる。


「……私、この所ずっと誰かにつけられていたの」


 胸の辺りから絞り出すような声。視線を下ろすと、彩乃先輩の弱々しい視線が向けられていた。


「今まで何も言わなくてごめんなさい……。私、政宗君の負担になりたくなくて……」


「彩乃先輩……」


 こんなになるまで俺は気付いてあげられなかった。


 俺より大人だと勝手に思い込んで、大丈夫だろうと勝手に納得していた。


 そんな自分の情けなさに沸騰するような怒りが込み上げてくる。だがそれと同時に、彩乃先輩がつけられていたという事実に関しても怒りを覚えざるを得なかった。


「……彩乃先輩。こちらこそすいません。彩乃先輩の異変には感付いていて、周りの人からも忠告されていたのに、こんなになるまでほったらかしにしてしまって」


「ううん。私が悪いの。自分一人じゃ解決出来ないくせに強がっちゃって。……結局政宗君に迷惑掛けちゃった」


 俺は彩乃先輩を強く抱き締めた後、優しく彩乃先輩を自分の体から剥がす。


 そして、ふぅっと息を吐き、


「――澤田先生。貴方が、彩乃先輩をつけ回していたという事でいいでしょうか」


 彩乃先輩を背に隠し、澤田先生を睨む。


「伍堂君こそ身の程をわきまえた方がいいよ。華ヶ咲さんの隣に君は相応しくない。でも奪い取るのも何だか大人げないだろ? だから君が華ヶ咲さんの近くにいられなくなる時を待っていてあげたのに……そんな言い方されちゃぁねぇ……」


「質問に答えて下さい。――澤田先生。貴方が彩乃先輩をつけまわしていたんですか」


 澤田先生は顎を触りながら、


「うーん……。まぁ、そうだね。でもどうせ華ヶ咲さんは僕のものになるのだからそれほど問題ではないんじゃないかな?」


(何、言ってるんだ……この人)


 澤田先生は本気でそう言っている。


 本気で彩乃先輩を自分のものだと誤認識していて、未成年の少女をつけまわすという行為を正しいと思っている。


「君を生徒会長にして、君が潰れるくらいに仕事を押し付けて、華ヶ咲さんの近くをうろつかなくなってから彼女を堪能しようと思っていたけど……まぁ、いいか」


「俺を生徒会長にしたかった理由は……彩乃先輩と引き離す為……か」


 澤田先生はニカっと白い歯を見せる。


「当たり前だよ。――君なんかを本気で生徒会長に推す訳ないだろ。僕の中で君はさっさと消えて欲しい存在なんだからさ」


 ……なるほど。本気で俺を推してくれているとは思ってなかったが、そんな裏があったとは。


「……生徒会長の仕事は楽なんじゃなかったんですか」


「そんなのどうにでもなるよ。僕は学校でそれなりの地位を築いている。僕がどれだけ君をボロ雑巾のように扱おうと、それが正しい事だと皆思う。……例え生徒会長以外の仕事でもね」


(こいつ……やばい!)


 もしこの人の描く未来にこのまま進んでいたら、俺の未来は真っ暗だった。


 この人なら学校以外の所でも様々な嫌がらせをしてくるに違いない。


「さっきも言ったけど感謝してほしいよ。君みたいな人間には夢のような日々だったでしょ。華ヶ咲さんが近くにいる日々は。……まぁ僕も彼女に中々近付けなかったのは色々と忙しかったというのもあるんだけどね」


 澤田先生はこちらへ向けスッと手を出す。


「さぁ。そろそろ返してもらえないか。その子は僕が先に目をつけてたんだ」


「……本気で言ってるんですか」


「本気だよ。君はもう充分だろ? 今度は僕の番だ」


 その時、シャツの背中がクシャっと握られる。


「……政宗君っ」


「――大丈夫です。大丈夫ですから」


(どうする……! 走って逃げるにしても彩乃先輩がいるし。くそっ、何でこんな時に限って通行人がいないんだ!)


 通行人がいない事に腹を立てても仕方がない。


 俺は澤田先生から彩乃先輩を守るように立つ。


 絶対にこんなクレイジーな奴に彩乃先輩を渡す訳にはいかない!


「――渡して、くれないのか……」


 うーん……と何か悩んでいるように頭を掻きながら、こちらへ伸びた手を降ろす。


「あんまりこのやり方はやりたくなかったんだけど……」


(何言ってるんだ……あの人)


 ボソボソと何かを呟きながら、澤田先生はポケットに手を入れる。


 そして――、


「……嘘、だろ」


 澤田先生のポケットから現れた物。


 それは街灯の光をキラキラと反射させていた。


「あんまり僕の手を煩わせないでくれないかな伍堂君。――特別な人間なんだよ、僕は」


 澤田先生はポケットから取り出したナイフを手の中で回しながら、刃の切っ先を俺へと向けた。

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