第80話 執着~華ヶ咲彩乃~

 端正な顔立ち。私の周りにいる子達からも色々と聞いていた。


 誰にでも優しく清潔感があって、そして何より顔が良いというのは年頃の女子にとっては理想の男性像だろう。


 話した事は一度か二度しかないけど、彼の噂は耳にしていた。


 その噂の中ではそれほど評価がよかったのに、今私の前に立つ澤田先生の顔は――怖かった。


 私は無意識にスマホを澤田先生に見つからないように取り出し、政宗君へと電話を掛ける……が、出ない。


「こんな所で奇遇だね。今から家に帰る所かい?」


「っ!」


 まだ完全な闇に包まれる時間ではないから辛うじて澤田先生の顔が視認できる。


 いつもと変わらず透き通るようなイケメンスマイルなのだが、何故か私はその笑顔を見てから鳥肌が止まらない。


 澤田先生はクスッと笑い、


「どうしたのさ。そんなに怯える事ないだろ? 僕は君の教師なんだから」


「……別に怯えてなんかないですよ」


 私の口からは強気な言葉が出てくるが、その声は酷く震えているのが自分でも分かる。


「そうかい? 華ヶ咲さんの事はいつも見ているつもりだけど、普段ならもっと堂々と喋ってると思うけどな」


「……私と澤田先生はあまり接点がないように思いますが」


「いやいや。うちに通っている生徒は皆僕の大事な人だからね。例え僕の授業に出ていない生徒の事でも僕はしっかりと見ているさ」


 ニコニコとした笑顔を一切崩さない。


 それがやけに気持ち悪い。


「……そうですか。では私はこれで」


 固まってしまった体に鞭を打ち、澤田先生に背を向ける。


『早く政宗君に会いたい』


 私の心にはこの感情しかなかった。一見凶悪そうに見えてもその内側にある彼の優しさに早く触れたいと、心の底から思う。


「――こらこら。華ヶ咲さんの家はそっちじゃないと思うけど」


 後ろから忍び寄る声が私の体にまとわりつき、一瞬にして動きが止まる。


 心はこの場から早く離れたいと思っているのに、私の脳から発する信号に体が答えてくれない。


「……私の家はこっちです」


「嘘はいけないな。僕は教師だよ? 生徒の自宅くらい知っているさ」


 コツコツと革靴を鳴らしながらこちらに近づいてくる音がする。


「僕はね――君達のような若く未熟な人間を導いてく、教師という生き物なんだ」


 コツコツとなる音は徐々に大きくなり、その音が止む頃には、私の目の前に澤田先生は回り込むようにして移動していた。


「君は学校でいつも大人の真似事をしているが……駄目だよ。――子供は子供らしく僕みたいな優しい大人を頼らないと」


「……大人の真似事なんてしてないです」


「いやいや、してるじゃないか。君の場合は家の影響もあるんだろうけどさ」


 早くこの場から離れたいが、足の裏が磁石になったようで全く動かない。


 その時だった。


 ――ピリリリリリッ


 私のカバンから電子音が鳴り響く。


「……出てもいいでしょうか」


「誰からだい?」


「先生には関係ないと思いますが」


 私がそう言うと澤田先生は苦笑しながら肩をすくめる。


 カバンの中からスマホを取り出し画面を見ると――、


(政宗君……っ!)


 金縛りのように固くなった体が、政宗君からの着信を見ただけで軽くなる。多分表情も柔らかいものになっていたのだろう。


 そんな分かりやすい変化を目の前の澤田先生に見せてしまったからか、


「……奴か」


 ボソッと呟いた澤田先生はピリッとした空気を纏い私との距離を詰める。そして、


「――っ! ちょっと!!」


「これは没収だ。すまないね」


 私の手にあったスマホを強引に奪い取る。そしてそのタイミングで政宗君からの着信も切れる。


「何するんですかッ!」


「……これは教育だよ。君は美しい。その他大勢の人間とは明らかに違う。――僕と君は同類の人間なのさ」


「し、知らないですよそんなのッ!」


 澤田先生の手にあるスマホを取りかえそうと手を伸ばすと、私の手がスマホに触る前に動きを止める。


 それは私の腕が澤田先生の手によって掴まれたからだった。グッと掴まれた為、若干の痛みが走り私の表情が歪む。


「……っ!」


「レベルの違う人間同士が一緒にいることは僕達のような人間にとって何の利益もない。即刻あの男とは縁を切るんだ」


 瞬間、澤田先生は私のスマホをアスファルトへと叩きつける。


 嫌な音が鳴った後、私のスマホはバウンドし無惨な姿になった状態の画面が空を仰ぐ。


「な――」


「大丈夫だよ。後で僕が買ってあげるから。スマホだけじゃなく、何でもね」


 掴まれたままの私の腕。


 政宗君の着信が切れただけなのに、私の心が大きく厚い闇に染まっていく。


(助けて……政宗君……っ!)

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