第79話 胸騒ぎ
「――甘いッッ!!」
「うおっ!?」
道場の畳に俺の体が打ち付けられる音が響き渡る。下からベンさんを何回見上げただろうか。
向上するのは受け身の技術ばかりで、俺はまだ一度もベンさんから一本取ってない。
「簡単に攻撃を受けすぎだぞ政宗。目をしっかりと開いて攻撃を見るんだ」
「いや、ベンさんの攻撃が速すぎるんですよ……。一生ベンさんの攻撃をいなせる気がしないです」
俺は道着を直しながら立ち上がる。
別に手を抜いている訳ではない。結構本気で突きを放ったりしているのだが、簡単にいなされてしまうのだ。
「そんな訳ないだろ。それは政宗が無意識に俺を怖がっているからだ。怖がらずに目を見開けば俺の攻撃なんて見えるに決まっているだろう」
「そ、そうなんですかね……」
ベンさんの攻撃にびびらず目を開いて対応するか……うん、絶対に無理。
俺はため息をつきながら道場の壁に掛けてある時計を見る。もう結構いい時間だ。
時計を見ていた俺に気付いたのか、
「もういい時間だな。そろそろ撤収するか」
「! そうしましょう!」
「……急に元気になったな。まぁやり過ぎでまたお嬢に叱られるのは俺も嫌だしな」
やっている最中は物凄く疲れているのに、終わりと言われた瞬間元気になるのは一体何故だろう。
少し軽くなった体を感じながら、俺はロッカールームへと引き上げる。
「……ん?」
「どうかしたんですか?」
ベンさんの声に振り返ると、ベンさんは自分のスマホを見ていた。
「いや、お嬢からのメッセージが入っていてな。この場所に来るというメッセージの後にやっぱり政宗の家に行くというメッセージが入っているんだ」
「俺の家ですか? まぁでも彩乃先輩が俺の家に来る事は今となっては珍しくないでしょ」
ベンさんは何か考えるように顎を触る。
「……そうなんだがな。この場所から政宗の家は反対方向だぞ? ここに向かっていたのなら何でここに来ずに政宗の家に行くのかと思ってな」
言われてみればそうだ。
学校からわざわざ来た道を引き返して俺の家に行く理由。……あまり思い付かない。
(何だか嫌な予感がするな……)
理由は分からない。だけど何故か胸の辺りがもやもやとする。
その時、ベンさんの持っていたスマホから着信音が鳴る。
「っと。……鈴乃様か」
ベンさんはスマホを耳を当て何やら鈴乃さんと話し込む。
(……取り敢えず着替えるか)
俺はロッカールームへと行き、道着を脱ぎ制服に着替える。汗ばんだ体にシャツが張り付き少し気持ち悪い。
着替えながら何となくスマホを開くと、
「……何だろ」
一分前に彩乃先輩から着信があった。何か急用でもあったのだろうか。
思い当たる用事はないが、一応彩乃先輩へと掛け直す。
電話のコールが一回……二回……三回……四回……。
(……出ないな。家の鍵持ってる筈だから今頃台所に立ってるのかもな)
鼻歌交じりに料理をしているのであれば気付かなくても仕方ないか。
料理を作ってもらっておきながら、その料理を冷ましてしまうのは駄目だ。早く帰る事にしよう。
着替え終わった俺は荷物をまとめ、ベンさんの元に向かう。するとちょうどベンさんは鈴乃さんとの通話を終えた所だった。
「ベンさん。準備出来ました」
「……すまん、政宗。鈴乃様に呼ばれてしまった」
「え?」
「だから申し訳ないんだが……歩きでも大丈夫か?」
とても申し訳なさそうにベンさんは顔の前で手のひらを合わせる。
「そうですか。分かりました。歩きで大丈夫です」
「すまんな。また後日埋め合わせするからな」
「気にしなくていいですよ。それじゃあまた」
俺はベンさんに別れを告げ道場の外へと出る。
汗ばんだ体に夜風が吹き付け、清々しい気分になる。体を動かした後の爽快感はとてもいいものだ。
(……もう一回掛けてみようかな)
先ほど感じたもやもやが爽快感の後ろに隠れているように、チョロチョロと顔を出す。
俺は再度、彩乃先輩へ電話を掛ける。
すると――、
『お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為掛かりません』
刹那、俺の足はアスファルトを力の限り全力で蹴った。
風を全身で感じているのに先ほどのような爽快感は微塵もない。
先へ先へと急ぐ気持ちに足が付いてこず転びそうになるが、歯をくい縛り耐える。息は切れているが、走る速度は一切衰えない。
(彩乃先輩……ッ!)
俺の家にちゃんと居ますよね?
たまたまスマホの電源を切ってるだけですよね?
何の問題もないですよね?
からかうような笑顔で俺を迎え入れてくれますよね?
――無事、ですよね?
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