第78話 少女を送る。――そして
「――じゃあ行こうか。私が連れていってあげる」
「うん」
紙に書いてある番号へ電話すると、切羽詰まった声色の声が聞こえてきた。その後、申し訳ないという気持ちと安堵の気持ちが合わさったような声色に変化。
私の手をぎゅっと握るこの子はどうも放浪癖があるらしく、少し目を離してしまうとフラフラと何処かへ行ってしまうらしい。今回は親子での買い物中に起こった出来事だ。
(ここまで保護者の方に来てもらうっていう選択肢もあったんだけど……何か放り出したみたいで嫌だし)
名前も知らない子だが、この小さな手でぎゅっと握られるこの感じにやられてしまったのかもしれない。だって滅茶苦茶可愛いんだもん。
それにこの子の家は政宗君の家と結構近く、この子を送ったらそのまま政宗君の家に行く事にしよう。
「ねぇ。名前聞いてもいいかな?」
「……おなまえ?」
「そうだよ。お名前。あ、私は華ヶ咲彩乃っていうの」
少女は抱えるウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱いた後、
「……ことは。おとみことは」
「音海琴葉ちゃんね。覚えたよ。じゃあことはちゃんって呼んでもいい?」
「……うん。えっと……」
「あ。私の事は……そうだね。呼びやすい呼び方でいいよ」
「わかった。じゃあ……あーちゃん?」
首をこてんと傾げながら呟くことはちゃん。
や、やばい……何でこんなに可愛いの! まだ目覚める筈のない母性なるものが胸の内から溢れでてきちゃう!
「……っ。う、うん! あーちゃんでいいよ」
「うん。あーちゃん」
……何故だろう。ことはちゃんにあーちゃんと呼ばれるだけでこう……胸がむずむずするというか……。
今すぐこの小さなことはちゃんを目一杯抱き締めてあげたい感覚に陥る。いや、しないけどさ。ギリギリ理性で耐える。
その時、後ろからたったったったとリズムの良い足音が聞こえてくる。
「……あーちゃん?」
いきなり立ち止まった私を不審がるようにことはちゃんが私を見上げる。
足音が近付くにつれ心臓の鼓動が早まる。嫌な汗も全身から噴き出してくる。
後ろから聞こえてくる足音はその後、私とことはちゃんを追い抜きやがて聞こえなくなる。
(――っ。……駄目だ。暗くなってきたせいでどうしても思い出してしまう)
「……ごめんねことはちゃん。行こうか」
ジッと私を見たまま動かないことはちゃんに一言謝って、私は再度歩を進める。
だが、一度背後が気になってしまえばその後も敏感に感じ取ってしまうものだ。
「あーちゃん……?」
「っ!」
こんな小さな子に気遣われるほど、私の表情は固く、そして動きはぎこちなかった。
あまり感情を表に出さないことはちゃんだったが、この時だけは分かりやすく私に心配の目を向けていた。
「――大丈夫。大丈夫だから」
やっぱり、駄目だな。
『あの事』を思い出すと夜道を一人で歩けない。それどころか、最近はただ暗い場所にいる時も変に意識しちゃってる。
私はことはちゃんの小さな手を握ったまま、
「――大丈夫」
と小さく呟き、指定された場所へと向かった。
◆
「――本当にありがとうございました!!」
指定された場所に立っていたのは、極々普通の女性だった。
遠くから見ていてもそわそわしているのが分かったくらい、ことはちゃんの事が心配だったんだろう。
ことはちゃんのお母さんはことはちゃんを抱き締めた後、私に向かって深く頭を下げた。
「いえいえ。全然大丈夫ですから」
自分より年上の人にいつまでも頭を下げられているのは少し気まずい。
「貴方のような優しい人に声を掛けて頂いて助かりました。……気を付けてはいたのですが、私が目を離したばっかりに……」
「そ、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。ことはちゃんはとてもいい子でしたし」
親が子を制御するのは当たり前だが、たまには制御しきれない娘ともあると思う。……私はまだ子供がいないからよく分からないけど。
「それじゃあ私はこれで失礼しますね。――ことはちゃん。今度は一人で何処かに行っちゃ駄目だよ?」
お母さんのズボンを掴みこちらを見ることはちゃんの目線に合わすように膝を折り、ことはちゃんの頭を撫でる。
撫で終わった後に立ち上がると、ことはちゃんは私の下半身に抱きつく。
「っと。……ことはちゃん?」
「……ありがと、あーちゃん」
私のスカートに顔が埋まっている為、声がこもり聞こえにくいが、何となく言っている事は分かった。
「ふふっ。どういたしまして、ことはちゃん」
そうしてとある迷子の少女は無事にお母さんの元へと戻ることが出来た。
がっちりと繋がった二人の手。そんな姿を見送った後、
「――よし。じゃあ政宗君の家に向かいますか」
今日はどんな晩御飯を作ろうかな?
この前うどんを作りに行った時に冷蔵庫の中があまり充実してなかった気がするし……。
まぁ無かったら政宗君の一緒にスーパーにでも行けばいいか。
(……私と政宗君の間にことはちゃんみたいな子がいたら楽しそう――って! 何考えてるのよ私!!)
その時だった。
――トンッ
革靴がアスファルトを叩く音。
そんな音が、私のすぐ後ろで鳴り響く。普通の人なら気にしない音だが、私の耳はその音を見逃す筈がなかった。
絡み付くような視線。自分の一挙手一投足全てが見られているようなこの気持ち悪い感覚。
いつもなら怖くて振り返れなかったが、いつまでも逃げている訳にもいかない。
私は大きく深呼吸し、振り返る。
「やぁ、彩乃さん」
その顔には見覚えがあった。いや、ありすぎた。
「……澤田、先生」
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