第74話 毒の華②
裏に下がり化粧を整えてから、私はVIPルームの重い扉に手を掛ける。
中からは大勢の女性の声と、上機嫌な男の声が聞こえてくる。どうやら結構盛り上がっているようだ。
私は深く深呼吸し、満面の笑顔を作る。
「――失礼しまーすっ!」
少しだけ薄暗い。そして艶っぽいピンクの灯り。
私が中に入った瞬間、当然だが全員の視線が私に刺さる。ドクドクと鼓動する心臓を押さえながら、表情を崩さないように計らう。
「ん? ……あぁ。さっき店長にお願いした娘か。こっちに来なさいよ」
「はい! 失礼しまーす!」
澤田先生は隣に座っていた子をどかせ、その空いた席に座るよう指差す。
……何とかバレてないみたい。まぁこんな所で生徒が働いているとは思わないか。
私は笑顔を維持したまま、澤田先生の隣に座る。その時、
「……っ!」
「ん? どうかした?」
座ると同時に私の肩に澤田先生の手が回る。店長と違って脂ぎっている訳ではないが、まるで体全体をその細く長い指で掴まれている感覚に陥る。
(や、やば……っ!)
「――い、いえ~。何でもないですよ~?」
この店は基本的にお触り禁止だ。客が私達相手に何か手を出そうものなら、袖から黒服が出動するというとても怖いルールがある。
流石に私もお金の為とはいえ、不必要に全く知らないおっさんに体を触られるのは嫌だから、この店で働く事を決めたのも、そのようなルールがあったから。
……まぁ、それでもちょくちょく軽いスキンシップ程度はあるんだけどさ。
「……ん? 君――」
澤田先生は私の肩に手を回したまま、私の顔をじっと見る。
……凄く綺麗な肌。こんな人ならモテる筈なのに。何でこんな所に来ているのか。
「は、はい?」
ここで分かりやすく表情や声色を崩したら駄目だ。
この店で習得した『笑顔の偽造』というスキルで澤田先生を見つめ返す。
そして、澤田先生はゆっくりと口を開く。
「……ちょっと化粧が濃いね。君みたいな可愛い子はもうちょっとナチュラルな感じが似合うと思うな僕は」
そう言い澤田先生は私の唇に自分の指を這わせる。周りの女からは「え~!? ちょっと私の事忘れてない~!?」とかの声が上がる。
歯の浮くようなセリフ。『但しイケメンに限る』と表現されるような、そんなセリフ。
(……何言ってんだ、こいつ)
と、私は思ってしまうが……いけないいけない。これは仕事だ。
この場のノリに合わせ「本当ですか~!? やった~!!」と言いながら笑顔で振る舞う。
「今度良かったら一緒に化粧品でも見に行くかい? 君にピッタリな物を選んであげるよ」
「え~? 本当ですか~?」
徐々にではあるが私と澤田先生の距離が縮まっていく。顔に掛かる吐息が少しお酒臭い。
テーブルの上にあるお酒の量を見れば大分飲んでるのが分かる。……それに、テーブルのあちこちにあるこのボトルって店で一番高いやつよね……。
(これ会計どのくらいいくのよ……想像つかないわね……)
「――ちょっとー! 私の方も構ってよーっ!」
私と澤田先生の距離を見て、私に取られると勘違いしたのか、同僚の一人があからさまに澤田先生の片腕に絡まる。軽いボディタッチではなく、自慢げに開けた胸元に澤田先生の片腕が収まっている。
「おいおい。そんなに引っ張るなよ。順番だ順番」
(うわー……)
この部屋には澤田先生一人に対して大勢の女がいる。
私は近くにいる同僚に目配せし、席を変わってもらう。そしてふぅ、と一息。
(こんな姿……学校の女が知ったらさぞ幻滅するんでしょうね)
皆が大好きな澤田先生。いつもにこやかで爽やか、誰にでも優しくまさに理想の男性。少女漫画の世界から飛び出してきたような人。
そんな人が今、両手に華どころか身体中に大量の華を引っ提げてお酒を飲んでいる。
……まぁ、裏がない人間なんていないか。
私個人的に言えば、こんな男は嫌だけど。
(……私も色々とクズだったわ。そーいや)
◆
「……っと」
店での勤務が終わり帰ろうとしたその時、私の目にある光景が飛び込んでくる。
(うわー……がっつりやっちゃってんじゃん)
私の目に飛び込んできたのは、澤田先生の隣でずっと甘えるような声を出していた私の同僚と澤田先生が、唇を合わせている所だった。
二人は澤田先生のであろう車を背に、長い間唇を重ね合わせている。あれは確実にフレンチではなくディープね。
……何考えてんの、私。馬鹿みたい。
(全く……何でこんな出入り口の近くで盛ってんのよ。帰りにくいじゃない)
物陰に隠れながら毒づく。何で仕事終わりに自分の高校の教師がキスしてる所を見ないといけないのかしら……。
「――ねぇ。今日は私メインでしてくれるんでしょ?」
「そうだね。それは君の頑張りしだいさ」
(は? 何の話してんのよ)
その時、従業員出入り口の向こう側から話し声が聞こえてくる。
(――ッ! やば!)
私は咄嗟に身を隠す。ここなら従業員出入り口からも、澤田先生からも見られない。
すると、従業員出入り口から数人の同僚が喋りながら出てくる。……あの人らはどういった反応するのだろう。
やっぱり無視する――
「やっと来たね。待ちくたびれたよ」
え?
「ごめんねー? あのくそ豚店長に捕まっちゃってさ」
「こらこら。自分達の雇い主をそんなにディスるんじゃないよ。まぁ、見た目がみすぼらしいのは同意だけど」
今出てきた数人の同僚は、抱き合うように女と体を密着させている澤田先生の姿を目撃している。
なのに、何故そんな風に自然にいられる?
普通、そんな自然に接せられないと思うんだけど……。
「だよねー。……くそ豚店長の事はいいからさ、早く行こうよ」
行く?
どこかに移動するの?
「そうだね。じゃあ行こうか」
「遅れた分はしっかりサービスするからさー。満足させてよね?」
「そんな事言ってこの四人の中で一番早く潰れちゃうじゃないか」
そんな会話をしながら、四人の同僚を乗せた澤田先生の車は走り去っていく。
確かこの方向にあるのは――ホテル街だ。
(……凄い所見ちゃったわね)
妙に鼓動が早い。ついていく女も女だが、あそこまでクズだったとは……。
しかも会話の内容からして、一回や二回ヤッただけではないだろう。別に周りの女子みたいにあの人のファンではないから、プライベートがどうだろうが、どうでもいいのだが……。
「やっぱり男って最低ね」
あんな王子様みたいな奴でも、裏ではこうだ。
男なんてしょうもない。
――自分を犠牲にしてまで他人を救えるような、そんな人間なんている筈がない。どいつもこいつもクズなんだ。
私の持論が持つ信憑性が深まった瞬間だった。
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