第73話 毒の華①
「……え?」
私――空閑凛音が澤田先生と会ったのは、店で働いている頃だった。
学校で見かける時のように自然で普通な服装ではなく、ハイブランドに身を包みこういった店に手慣れているかのような所作。
(っ。やばいやばい。早く隠れないと……っ)
あの先生の授業を受けた事は無いから多分覚えられてないと思うが、もし覚えられてて見つかってしまったら終わりだ。
今相手している男の話を笑顔で聞きながら、私は澤田先生から顔が見えないように自然に位置を調整する。
「今日はどの子が空いてる?」
「貴女様直々のご指名ならうちにいる子なら飛んでくると思いますよ」
「ははっ。よく言うよ店長。……じゃあ今日はみさちゃんにしようかな」
「かしこまりました。では、いつものお席でお待ち下さい」
私の近くを通り過ぎる時、そのような会話が聞こえてくる。
いつも偉そうな店長が拍子抜けするほどペコペコと……。澤田先生って何者なの?
(それにあの奥の部屋ってVIPルームよね……)
私が今いる席は普通の席。誰でも座れ、今相手している小汚いおっさんでもお金を払えば座る事が出来る。
だが、澤田先生が入っていったあの部屋には、どこかの社長や、この店で相当な額を落としていった人間しか入れない。
「――ん? どうしたのりんちゃん。具合でも悪い?」
VIPルームの方を見ていると、隣に座るおっさんから、源氏名である『りん』という名前を呼ばれる。この人一々距離が近いのよ……。
「大丈夫ですよ! もっとお話しましょーよ!」
「そうかい? ……なら延長しちゃおうかな!」
顔中の筋肉を総動員させ、男が求める可愛い女を演じる。このおっさん、見た目は平均以下だけど、時間終了間際に笑顔見せたら延長してくれるから助かるのよね。
このような夜の店に来る男に私達のような女の考えが読まれたら、さぞ憤慨するのだろう。
だけどこっちだって仕事なのだ。いい気分になった分は支払って貰わないと。
……そうだ。
「ねぇー? あそこの部屋って何か知ってる?」
「ん? ああー、あそこか。知ってるぞ。金持ちしか入れない部屋な」
「そうそう! でさ、あの部屋に入るまでどのくらいお店に貢献したらいけるのかな?」
「んー、そーだなー……」
隣のおっさんは顎髭をさわりながら、
「俺もこの店に来るようになって大分経つけど、よく分からんな。でもあの部屋を取れる輩に金を持ってない奴はいないな」
おっさんは「俺もいつかはあの部屋に行きてぇなぁ」と呟く。……いや、多分あんたは無理でしょ。
おっさんの話を聞いて益々謎が深まる。あの先生は一体何者なのか。……まぁ何か副業でもやってるんだろう。
うちの高校の教師は確か副業禁止だった筈だけど……。
「――りんさん」
私を呼ぶ黒服の声。黒服は私の耳に口を近付け、
「店長があちらでお呼びです」
黒服の視線の先には手招きをする店長の姿がある。さっきまであんなにペコペコしてたのにもう偉そうだ。
「分かりました。――ごめーん! ちょっと行ってくるねー!」
折角延長してくれた客を置いていくのは幾ら私でも少しだけ心が痛むが、店長命令には逆らえない。
私はおっさんに明るく別れの挨拶をした後、店長の元へと向かう。
「あの、お話があると聞いたんですけど」
「ああ。お前、まだVIP席についた事無かったよな?」
……やばい。嫌な予感がする。
「……はい。ついた事ありません」
「なら今からVIP席の方についてくれ。今VIP席におられる方が初めて会う子と喋りたいと言っていてな」
悪い予感が当たった。風の噂でVIP席の客からはよく『チップ』が貰えると聞いていたからいつかは行ってみたいと思っていたが、まさかこのタイミングなんて……。
中々返事をしない私を不審げに見た店長は、
「……りん? どうした?」
「っ。……いえ。分かりました。今から向かいます」
「頼んだぞ。あそこの部屋にくる客はこの店にとって重要な客だ。万一機嫌の損ねればこの店の売り上げに関わってくる。――それに、お前の『首』もな」
ねっとりと手汗が滲んだ手が、私の肩に置かれる。肩口が露出している服装だから、その感触がダイレクトに伝わる。
「……分かってます」
「それならいい。――たっぷりとサービスするんだぞ」
(……やっぱりか)
『サービス』
この言葉が何の隠語なのか、この仕事をしていれば理解出来てしまう。お金を稼ぐとは大変な事だ。
要するに――何があっても笑顔で我慢しろって事ね……。
「分かったら行ってこい。あまりVIP客を待たせるな」
「分かりました」
「お前が話してんだろうが」と心の中で毒づき、私は一旦裏へと下がる。
(バレないようにちょっと化粧濃いめにしとこ……)
焼け石に水かもしれないけど、気持ち程度は変装していこう。
……バレないといいけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます