第54話 怪しい気配
コンビニから帰宅した俺は、すっかり目が冴えてしまったので寝る事を放棄し、布団の上で寝転んでいた。
空閑と別れる直前、言われた事を思い出す。
『――そうだ。一つ教えといてあげるわ』
『は? 何を?』
『澤田先生の事よ。あんたはあの人の事を高く評価してるみたいだけど、あいつのいい所は外面だけだから――』
(あんなに言ってやらなくても……。確かにさっき見たのは衝撃だったが……)
誰しもが裏の顔を持っているとはよく言うが、澤田先生も男なんだな……。
俺はそんな事を思いながら目を閉じる。
……やっぱり寝れない。
◆
次の日、徹夜明けの重い体を引きずりながら台所で歯磨きをしていると、インターホンの音が鳴り響く。
誰が訪ねて――と前は思っていたが、多分あの人だろう。
俺は歯を磨きながら扉を開ける。
「おはよ。まだ支度してなかったんだね」
薄っすらと笑みを浮かべながら挨拶する彩乃先輩は、歯磨きをしながら迎えた俺を少し呆れたように見る。
「だってまだ全然時間じゃないですし」
「駄目だよ政宗君。今日という日を素晴らしいものにするには、朝の時間を有効に使わないと。それに、その目の隈」
ピッと指差す方向には酷く黒ずんだ隈。
「どうせまた夜更かししてたんでしょ」
「いや、これは……」
目元を触りながら彩乃先輩に昨日の事を伝えようかと思うが、特に伝える必要もないかと踏みとどまる。
彩乃先輩は今でも若干空閑に対して刺があるし、極力話題には出さない方がいいだろうな。……機嫌悪くなったら俺にも被害が出るし。
「……これは?」
「……何でもないです。彩乃先輩のおっしゃる通り夜更かししてました」
少し怪しむ様子を見せた彩乃先輩だったが、深くは追及してこなかった。
「……あ、中入ります?」
「うん。じゃあお邪魔しまーす」
「居間で寛いでて下さい。すぐ準備しますんで」
「はーい。……何ならお着替え手伝ってあげようかな?」
「っ! ば、馬鹿な事言わないで下さいよ!」
居間の座布団に座りながらケラケラと笑う彩乃先輩。
さっきまで眠かった筈なのに、彩乃先輩と戯れていると眠気はどこかに吹き飛んだように消えてなくなっていった。
◆
「――でさー。その家庭教師の先生が私に言うの。『この系統の問題は出やすいから気を付ける事』って。何度も同じ事言われるから飽々してくるんだよね」
「は、はぁ。大変っすね」
爽やかな朝の登校道を彩乃先輩と二人で歩く。
こうして二人で登校する事は珍しい事ではなく、大体毎朝彩乃先輩が家に来る。
最近になってようやく周りからの羨むような視線や殺気を帯びた視線は緩和されるようになったが、隣を歩く俺としてはこの状況に一向に慣れない。
「ねぇ政宗君」
「どうしました?」
「政宗君ってさ……まだ慣れないの?」
……流石は彩乃先輩。人の心を読むのはお手のものらしく、俺の表情や仕草一つで簡単に心を覗かれる。
「……な、何の事でしょうか」
「その態度だよ。私と一緒にいるようになって結構経つのに、全然緊張解いてくれないんだもん」
俺のキョドったような態度が彩乃先輩はおきに召さなかったようで、口調から不満が伝わってくる。
いや、だって彩乃先輩だよ?
この人の助けになりたいと言ったのは紛れもなく俺で嘘ではないけど、そう簡単には慣れない。
……慣れない理由は分かっているが。
「そ、そうっすか?」
「そうだよ! 双葉ちゃんや空閑ちゃんと一緒にいる時の方が政宗君楽そうだもん!」
「そ、それは……」
彩乃先輩の言葉を否定できない。
あいつらと一緒にいる時は素でいるというか、変に飾らないでいいから。
だけどそれは彩乃先輩の隣にいたくない訳じゃない。
「悲しいなー。私は政宗君と一緒にいる時が一番心休まるのに」
茶化すような口調だが、その解きに見えた横顔は俺をからかって面白がっている時の横顔じゃなく、本気で沈んでいるように感じた。
「……っ。ち、違いますからね! 確かに彩乃先輩の言う通り、あいつらといる時は何も考えずに素で接してますけど――」
「ほら! 今自白したじゃない!」
「話を聞いてください! ……俺が彩乃先輩の前で気持ち悪くキョドってしまうのは――」
俺は歩みを止めて彩乃先輩と向き合う。
「それは――変な所を見せたくないから、です」
(……あれ? 俺今凄く恥ずかしい事を言わなかった?)
俺達の側をランドセルを背負った小学生が歩いていく。小学生達は固まったままの俺達二人を不思議そうに見ていた。
彩乃先輩は俺の言葉を理解するのにかなり時間を要したようで、初めは表情に変化は見られなかったが、みるみるうちに顔が赤くなり口をパクパクと動かす。
「あ、彩乃先輩……?」
名前を呼ぶとハッとした様子を見せ俺に背中を見せる。
「……あの」
「な、なに」
「その、彩乃先輩と一緒にいることが苦痛に感じた事はないですから。取り敢えず、そこは理解して頂ければと思います……」
この人の対等でいたいと思うからこそ、今の自分では駄目だと自覚しているからこそ。
俺はこの人の近くで気が抜けないのだろう。
彩乃先輩はこちらに背を向けたまま「パチンッ」と頬を叩き、
「――わ、分かったわよ。納得はしないけど理解はしてあげる」
彩乃先輩の頬は赤く紅潮していた。
それは外部からの刺激なのか、それとも内側から込み上げてくるものか。
それは彩乃先輩しか知りえない。
「あ、ありがとうございます」
最近俺のキャラが崩れていっている気がしてならない。前の俺ならこんな恥ずかしい事言ってない。
「遅刻しちゃうし、そろそろ行こうか」
「そうですね。行きましょう」
◆
「……」
「……」
先程の恥ずかしい出来事の後、俺達二人は学校へ続く道を再度歩き始めていた。
だが二人の間に会話は無い。
それは決して先程の出来事が影響して喋れなくなっている訳じゃない。多分彩乃先輩も俺と同じ理由で黙っているのだろう。
「……あの」
彩乃先輩の体がビクッと震える。そして俺のカッターシャツをちょこんと摘まむ。
「……気付いてますよね」
「……うん」
俺と彩乃先輩は歩みを止める。
そうすると、感じていた人の気配も同じく止まる。
(家を出た時から薄々気付いてたけど……これは確実につけられてるな……)
後ろを振り返ると、道端にそびえる一本の電信柱から藍色のスクールバッグの一部が顔を出している。
(あれが犯人か……)
家を出た時から何かおかしいと思っていた。この凶悪な顔面のせいで人の視線には他の人間よりも敏感な自信がある。
偶々その場にいて俺達を見ていただけかもしれないから泳がせていたが……こうなってくると故意的な行動だろう。
「どうしますか彩乃先――」
あれをどうするか聞こうと彩乃先輩を見た時、俺は驚愕した。
俺の予想では「気にしなくていいんじゃない? いいから学校行こうよ」と言うか「ちょっと言ってくるよ」とあいつの元へ向かおうとするかと思っていた。
だが、俺の予想はどちらも外れた。
彩乃先輩は顔を真っ青にし体の動きをピタリと止め、俺のカッターシャツを強く握りしめアスファルトの一点を見つめていた。
「あ、彩乃先輩……?」
「……っ! ――だ、大丈夫。つけられてるんだよね? そんなの気にしなくていいでしょ」
「え、あ……はい。でも彩乃先輩……」
「いいから! 早く行こ!」
固まった顔中の筋肉を無理やり動かしたからか、俺に見せた笑みは酷く歪んでいた。
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